思いつくままに

日記のようなメモのような日々思いついたことなどを書き付けていこうと思います。

崎玉神社の万葉歌碑

2023-05-23 12:01:12 | 埼玉の万葉歌碑

歴史散歩の会に参加して、行田古墳公園へ。

丸墓山古墳に上って、行田の街や、忍城を見たり、

稲荷山古墳から出土した鉄剣をみたり、

緑いっぱいの公園内を散策したり、

 

埼玉の由来となった前玉神社では、

思いがけずに万葉集の歌に出会った。

 

階段の右側の灯篭

埼玉の小崎の沼に鴨そ翼きる

   己が尾に零り置ける霜を掃ふとにあらし

 

    埼玉の小崎の沼で、鴨が羽ばたきをして水しぶきを上げている。

    自分の尾に降り下りた霜を払おうとしているようだ。

 

 

埼玉の津におる船の風をいたみ

      綱は絶ゆとも言な絶えそね

 

   埼玉の渡し場に停まっている船の綱が、激しく吹く風のために切れることがあっても、

   私たちの恋は切れて絶えないで遅れ。

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崩岸のうえに、、、、。

2009-03-28 12:19:38 | 埼玉の万葉歌碑
昨日入間市の仏子にカタクリを見に行ったついでに西武線の元加治で降りて、入間川の河原にある歌碑を訪ねた。








崩岸(あず)とは崖の崩れたところをいう古語でこの歌がどこで詠まれたかは不明とされているが、飯能市では入間川南側の「崩岸っ崖」をそこではないかとして河原にある公園に歌碑を建てたそうだ。


歌碑はちょうどその崖に面して建っていたが、雨が降ってきてもっと近くで見る時間がなかったのが残念。場所がわかったからまた出かけてみたい。









崩岸のうえに駒をつなぎて危ほかと
      人妻児ろを息にわがする    (巻14  3539)


   崩れそうな崖の上につながれている馬が危ないように、
   私は人妻であるあなたを恋してしまった。





崩岸辺から駒の行このす危はとも
      人妻児ろをまゆかせらふも    (巻14  3541)


   崖っぷちを行く馬が危ないように、危ないことだけれど、
   人妻であるあなたに目配せをして誘ってみよう。







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武蔵野に占へ、、、、、。

2006-12-05 18:09:33 | 埼玉の万葉歌碑

武蔵野に占へ象灼きまさでにも
告らぬ君が名トに出にけり (巻14 3274 東歌)


武蔵野で占いのために鹿の肩骨を焼いたので、私が口にしたことのない君の名が占いに出てしまいました。





この歌に関係しているのではないかといわれる鹿見塚(シシミ塚)は大正3年東上線建設のときに破壊されてしまったが、この歌の遺跡を記念する碑が川越市富士見町の浅間神社の境内に建てられている。






「象灼き」とは鹿の肩骨を焼いてその割れ方により占いをする事で、その頃武蔵野の原野には鹿がたくさん生息していたのでこのあたりで歌ったものと思われているが定かではない。
浅間神社は古墳の上に建っていて、国道16号のすぐ脇にある。車がひっきりなしに通っていて、往時を思い出させるものはない。

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水くく野に、、、、。

2006-03-26 15:12:20 | 埼玉の万葉歌碑
皆野町日野澤の札所34番・水潜寺に有る歌碑。

水くく野に鴨の匍ほのす児ろが上に

    言をろはへていまだ寝なふも(巻 14 3525 東歌)


 
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父母を見れば尊し、、、、。

2006-01-08 15:43:34 | 埼玉の万葉歌碑
川越氷川神社の境内に柿の本人麻呂神社があって、その横に山上憶良の歌碑がある。小さい文字でびっしり書いてあったのでなかなか読めなかった。


   父母を 見れば尊し 妻子見れば めぐし愛し 世の中は かくぞ道理 
   
   黐鳥の かからはしもよ 行く方知らねば 穿沓を 脱ぎ棄る如く

   踏み脱ぎて 行くらふ人は 石木より 成りてし人か 汝が名告らさね

   天へ行かば 汝がまにまに 地ならば 大王います この照らす 

   月日の下は天雲の 向伏す極 谷蟆の さ渡る極 聞しをす 

   国のまほらぞ かにかくに 欲しきまにまに しかにはあらじか

                   (五巻 800)

       ひさかたの天道は遠しなほなほに

                 家に帰りて業を為まさに

                   (五巻 801)


父母を尊敬し 妻子をいとおしむのは世の中の道理である。それはいくらもがいても逃れがたい。それにもかかわらず破れた靴を脱ぎ捨てるように、現実を逃れようとする者は名を名乗れ。天上ならば勝手だが、この地上は天皇が統治する最上の国だ。そうしたものでもあるまい。
   
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