「JR水戸線」は、明治22年 小山駅ー水戸駅間開業。
現在、栃木県・茨城県小山駅ー友部駅(16駅)-常磐線に乗り入れている。(単線)距離は、50.2km。
小山駅ー小田林駅ー結城駅下車。
JR水戸線(単線) 江戸期の結城藩水野氏初代、日向守勝成を祀り神とした「聰敏神社」
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「結城氏」平安時代から戦国時代の、主に「下総」で活躍した一族。
「藤原秀郷(平将門を討った武将)」の末裔ー「小山朝光・結城朝光」は、「源頼朝」の挙兵に従い、「志田義広」滅亡後・鎌倉時代に「下総」
の結城を領した。(朝光には、頼朝御落胤説があり、北条氏の為に親子の名乗りが出来ず、その代わりに身分の上では、小山氏に過ぎなかったが
「結城朝光」には、優遇を施しと伝わる。)
伝統的には「源氏」を称し、代々当主に、「頼朝」の「朝」の字を通字している。
朝光・朝広・広網・時広・貞広・朝裕・直朝・直光・元光・満広・氏朝・持朝・成朝・氏広・政朝・政勝・晴朝・秀康(秀朝)・直基ー姓を松平に。
結城氏は、関東有力守護大名として最盛期・三代鎌倉公方「足利満兼」より、「関東八屋形ー宇都宮・小山・佐竹・小田・那須・千葉・長沼・結城の八」の一つに列し、鎌倉府には、「結城の間」なる部屋が創ら一族栄誉となって居たと云う。
鎌倉公方衰退と共に「結城氏」の命運も落ちて「幕府軍」との闘い「結城合戦」が、一時滅亡する。
その後、「古河公方」を支持し、山内上杉氏と長期にわたって争いになる。
戦国時代も古河公方を支援している。
藤原秀郷の後裔・小山政光(初代)4男小山朝光(頼朝挙兵)・2代朝広は32歳で将軍に随行し京都へ・6代朝裕南北朝動乱、足利尊氏に従い九州へ
7代直朝は北朝方に属す・9代基光の時に「関東八家」に選ばれる・17代晴朝は、上杉謙信へ、豊臣秀吉に・18代秀康は徳川家康の次男養子
17代から宇都宮氏から養子は廃して、徳川家康に、、関ケ原の戦いで67万石の大大名にー福井移封
結城四天王ー「多賀谷重経・水谷勝俊・山川朝信・岩上伊勢守」ー17代晴朝・結城系図の四天王項目に。
結城城が歴史の舞台に登場するのは、1440年「結城合戦」平城であったが要害堅固な大城だったといわれている。
室町時代鎌倉公方 足利持氏ー遺児春王丸・安王丸・11代結城氏朝は、幕府軍15万の大軍と結城軍2万で善戦したが1441年落城した。
園内に紫陽花坂 城跡は、公園に 水野氏顕影碑
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堀に架かる三日月橋 園の桜並木
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結城秀康の転封後、結城城は破却され、以後しばらく大名領が当地に置かれることはなかった。
結城一帯は当時全国屈指の養蚕地域であり、幕府がその利益を独占しようと図ったからだと言われている。
しかし元禄年間には他の幕府直轄領にも結城の養蚕技術が広められて、幕府が直接結城を保持する必要性が薄れ,
結城に再び大名が配されたのは、
元禄13年の1700年、「水野勝長」が能登国西谷藩より転封。水野勝長は改易された備後福山藩主「水野勝岑の父・勝種」の又従弟にあたる。
福山藩改易後、藩祖であり家康の従弟に当たる宗家当主日向守勝成の功績が考慮され、勝長に家督相続が許され、1698年、に能登国内に1万石を与えられその後、数度の加増の後、1703年、に結城城の再建を許され、以降城主1万8000石取りの帝鑑間詰め譜代大名として、幕末まで続く。
幕末期には、藩主勝知と隠居の勝進が佐幕と勤王に分かれて対立し、互いに結城城を奪い合う争奪戦を起こしている。
明治に廃城令 園内には寂しく蕪村の句碑 空堀と小川
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源翁和尚は、結城家8代「結城直光」が招いて「安隠寺」を再興しました。
有名な逸話ー殺生石を2つに割り、悪霊を成仏させたとされている話、その中の「ゲンノウ・玄翁」(槌・金槌・ハンマー・・)は、和尚の名から。
結城小学校(囲むように史跡が) 源翁和尚の墓
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「首切り地蔵」-その昔、首切りの刑が廃止になるまで、この地にも「西之宮刑場」と呼ばれる「首切り場」があり、その、供養するため
地蔵がたてられたが、なぜか地蔵の首が何度も落ちてしまい、人々は、「首切り地蔵」と呼んだという。現在は、セメントでつくりかえたという。
首切り地蔵 築地塀 大本営跡地(明治天皇滞在した)
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明治40年ー陸軍特別大演習・結城小学校を中心に「大本営」が置かれ、明治天皇も行在所に滞在している。
西園寺公望総理大臣など政府高官も滞在したという。県内に最初の電話が開通している。
記念碑が
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結城を代表する建築物として「見世蔵」などの蔵造りが、外壁を土塗り漆喰仕上げで厚く塗り籠めた木造防火建築のことで、わが国では、古代から建築され続けてきた伝統的工法と云います。
江戸末期~大正期にかけてこれらの蔵造りの建築が数多く建てられという。老舗や紬問屋で利用されてきた。
蔵の町屋がー江戸末期の結城酒造・明治初期小西見世蔵・明治19年の奥順見世蔵・明治末期の中澤商店・大正の秋葉味噌醸等が今でも点在している。
古い鬼瓦・折釘・戸袋・袖壁など一風変わった蔵がみられる。造酒屋の煉瓦煙突も。
「結城美術館」見世蔵を改造・展示販売も
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「紬の館」体験工房・結城紬に関する展示施設ー有料
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結城街を歩くと、独自の「暖簾」が店先に、また、昔ながらの町名も面白い。
浦町・大町・鍛冶町・国府町・紺屋町・陣屋町・稲荷通リ・健田通リ・西之宮住吉通リ・駅前蔵通リなどが
街角に立つお堂
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観音堂
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「大輪寺」
結城家初代朝光より寺領を給わり,以後,結城家の祈願所となった真言宗の寺院。かつては,常陸国河内郡にあり大輪坊と称したが,鎌倉時代に現在地に移され,元観僧都を招いて開基し,「大輪寺」と改称したと伝えられる。大黒天像,経典・根来塗経管などが文化財として市指定を受けている。
仁王門 境内
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大輪寺の鐘楼 本堂
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「健田須賀神社」
祭神ー武淳川別命・素戔嗚尊。
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この神社は、小山氏勧請した京都の祇園社(八坂神社)を結城氏が創建
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拝殿
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「結城郷土館」ー紬の歴史・製造工程・2F工房・着物展示などが
紬織体験できる。
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4月、結城さくらまつり・7月、夏祭り(健田須賀神社)・10月、結い市・11月、祭り結城、着物を楽しむイベント・2月、ひなまつり
8月の結城盆踊り大会(はやし・和太鼓が)
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次回も、結城市内を
現在、栃木県・茨城県小山駅ー友部駅(16駅)-常磐線に乗り入れている。(単線)距離は、50.2km。
小山駅ー小田林駅ー結城駅下車。
JR水戸線(単線) 江戸期の結城藩水野氏初代、日向守勝成を祀り神とした「聰敏神社」
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「結城氏」平安時代から戦国時代の、主に「下総」で活躍した一族。
「藤原秀郷(平将門を討った武将)」の末裔ー「小山朝光・結城朝光」は、「源頼朝」の挙兵に従い、「志田義広」滅亡後・鎌倉時代に「下総」
の結城を領した。(朝光には、頼朝御落胤説があり、北条氏の為に親子の名乗りが出来ず、その代わりに身分の上では、小山氏に過ぎなかったが
「結城朝光」には、優遇を施しと伝わる。)
伝統的には「源氏」を称し、代々当主に、「頼朝」の「朝」の字を通字している。
朝光・朝広・広網・時広・貞広・朝裕・直朝・直光・元光・満広・氏朝・持朝・成朝・氏広・政朝・政勝・晴朝・秀康(秀朝)・直基ー姓を松平に。
結城氏は、関東有力守護大名として最盛期・三代鎌倉公方「足利満兼」より、「関東八屋形ー宇都宮・小山・佐竹・小田・那須・千葉・長沼・結城の八」の一つに列し、鎌倉府には、「結城の間」なる部屋が創ら一族栄誉となって居たと云う。
鎌倉公方衰退と共に「結城氏」の命運も落ちて「幕府軍」との闘い「結城合戦」が、一時滅亡する。
その後、「古河公方」を支持し、山内上杉氏と長期にわたって争いになる。
戦国時代も古河公方を支援している。
藤原秀郷の後裔・小山政光(初代)4男小山朝光(頼朝挙兵)・2代朝広は32歳で将軍に随行し京都へ・6代朝裕南北朝動乱、足利尊氏に従い九州へ
7代直朝は北朝方に属す・9代基光の時に「関東八家」に選ばれる・17代晴朝は、上杉謙信へ、豊臣秀吉に・18代秀康は徳川家康の次男養子
17代から宇都宮氏から養子は廃して、徳川家康に、、関ケ原の戦いで67万石の大大名にー福井移封
結城四天王ー「多賀谷重経・水谷勝俊・山川朝信・岩上伊勢守」ー17代晴朝・結城系図の四天王項目に。
結城城が歴史の舞台に登場するのは、1440年「結城合戦」平城であったが要害堅固な大城だったといわれている。
室町時代鎌倉公方 足利持氏ー遺児春王丸・安王丸・11代結城氏朝は、幕府軍15万の大軍と結城軍2万で善戦したが1441年落城した。
園内に紫陽花坂 城跡は、公園に 水野氏顕影碑
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堀に架かる三日月橋 園の桜並木
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結城秀康の転封後、結城城は破却され、以後しばらく大名領が当地に置かれることはなかった。
結城一帯は当時全国屈指の養蚕地域であり、幕府がその利益を独占しようと図ったからだと言われている。
しかし元禄年間には他の幕府直轄領にも結城の養蚕技術が広められて、幕府が直接結城を保持する必要性が薄れ,
結城に再び大名が配されたのは、
元禄13年の1700年、「水野勝長」が能登国西谷藩より転封。水野勝長は改易された備後福山藩主「水野勝岑の父・勝種」の又従弟にあたる。
福山藩改易後、藩祖であり家康の従弟に当たる宗家当主日向守勝成の功績が考慮され、勝長に家督相続が許され、1698年、に能登国内に1万石を与えられその後、数度の加増の後、1703年、に結城城の再建を許され、以降城主1万8000石取りの帝鑑間詰め譜代大名として、幕末まで続く。
幕末期には、藩主勝知と隠居の勝進が佐幕と勤王に分かれて対立し、互いに結城城を奪い合う争奪戦を起こしている。
明治に廃城令 園内には寂しく蕪村の句碑 空堀と小川
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源翁和尚は、結城家8代「結城直光」が招いて「安隠寺」を再興しました。
有名な逸話ー殺生石を2つに割り、悪霊を成仏させたとされている話、その中の「ゲンノウ・玄翁」(槌・金槌・ハンマー・・)は、和尚の名から。
結城小学校(囲むように史跡が) 源翁和尚の墓
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「首切り地蔵」-その昔、首切りの刑が廃止になるまで、この地にも「西之宮刑場」と呼ばれる「首切り場」があり、その、供養するため
地蔵がたてられたが、なぜか地蔵の首が何度も落ちてしまい、人々は、「首切り地蔵」と呼んだという。現在は、セメントでつくりかえたという。
首切り地蔵 築地塀 大本営跡地(明治天皇滞在した)
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明治40年ー陸軍特別大演習・結城小学校を中心に「大本営」が置かれ、明治天皇も行在所に滞在している。
西園寺公望総理大臣など政府高官も滞在したという。県内に最初の電話が開通している。
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結城を代表する建築物として「見世蔵」などの蔵造りが、外壁を土塗り漆喰仕上げで厚く塗り籠めた木造防火建築のことで、わが国では、古代から建築され続けてきた伝統的工法と云います。
江戸末期~大正期にかけてこれらの蔵造りの建築が数多く建てられという。老舗や紬問屋で利用されてきた。
蔵の町屋がー江戸末期の結城酒造・明治初期小西見世蔵・明治19年の奥順見世蔵・明治末期の中澤商店・大正の秋葉味噌醸等が今でも点在している。
古い鬼瓦・折釘・戸袋・袖壁など一風変わった蔵がみられる。造酒屋の煉瓦煙突も。
「結城美術館」見世蔵を改造・展示販売も
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「紬の館」体験工房・結城紬に関する展示施設ー有料
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結城街を歩くと、独自の「暖簾」が店先に、また、昔ながらの町名も面白い。
浦町・大町・鍛冶町・国府町・紺屋町・陣屋町・稲荷通リ・健田通リ・西之宮住吉通リ・駅前蔵通リなどが
街角に立つお堂
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「大輪寺」
結城家初代朝光より寺領を給わり,以後,結城家の祈願所となった真言宗の寺院。かつては,常陸国河内郡にあり大輪坊と称したが,鎌倉時代に現在地に移され,元観僧都を招いて開基し,「大輪寺」と改称したと伝えられる。大黒天像,経典・根来塗経管などが文化財として市指定を受けている。
仁王門 境内
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大輪寺の鐘楼 本堂
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「健田須賀神社」
祭神ー武淳川別命・素戔嗚尊。
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「結城郷土館」ー紬の歴史・製造工程・2F工房・着物展示などが
紬織体験できる。
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4月、結城さくらまつり・7月、夏祭り(健田須賀神社)・10月、結い市・11月、祭り結城、着物を楽しむイベント・2月、ひなまつり
8月の結城盆踊り大会(はやし・和太鼓が)
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次回も、結城市内を