syuの日記・気まま旅

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幼児時代のS

2016-08-29 | 思い出


欧米諸国と肩を並べた我が国は、次から次へと軍人内閣が続いていく。
昭和12年2月に「林銑十郎陸軍大臣・食い逃げ解散」が成立、その6月に近衛文麿(華族)第一次内閣、日中戦争が始まり、
11月南京占領、、。
姉(7つ違い)兄(5つ違い)は、千人針や慰問袋づくりをやっている。

12月南京占領祝賀行事挙行等。
翌14年ドイツ軍ポーランド侵攻開始、政府は、国民徴用令公布(国民総動員法)を。8月に阿部信行陸軍大将内閣が成立、
15年、米内光政海軍内閣~から7月に「第二次近衛内閣成立しそこに陸相に「東条英機氏」入閣。9月日独伊三国同盟締結
親戚・近所の若者が出兵している。昭和16年御前会議で日米開戦決定し「太平洋戦争へと進んでいった。

Sは、兄の漫画本(田河水泡)「のらくろーのら(孤児)黒犬・野良犬黒吉が猛犬聯隊の軍隊へ入隊して活躍する話で最初は2等兵から徐々に階級が上がる
確か伍長~大尉・教官にブルドックのブル聯隊長とのやり取りに夢中になった記憶がある。(兄が読んでいた漫画を)。
兄の通っていた小学校校庭の鉄棒でよく遊んで、逆上がりも出来た。厳格な両親であったが、芝居好きで、歌舞伎・新派などへ、家族揃って出かけ、幕間に母の手作り幕の内弁当を桟敷席食べた記憶がある。
又、我が家の父の夕食は、子供たちが済んだ後に、床の間の部屋で母の本格高度三味線で晩酌する父で、戦前と戦後の父の姿の違いには大きすぎる。(最後までお読みください)
子供は、入れない書斎があり、経済の専門書が壁一面に積まれていた。
姉の音頭で、夏の花火大会、防空壕堀、玉川遊園地、慰問袋、千人針、紙の国旗・・・。を思い出す。

昭和16年10月ー東条英機陸軍大将内閣成立・翌年17年に、ミッドウエー海戦・ガダルカナル島・アッツ島・学徒出陣(学徒7万人)
その12月学童縁故疎開が始まった。


「縁故疎開」とは、親戚や知人等を頼っての疎開をいう。それが出来ない学童は、集団疎開で学校毎に疎開。我が家は、父が仕事で利用したという旅館。
旅館は数が月で、その後、障子一枚の農家の一室・蚕小屋と転々とし、弟(5つ違い)の喘息が激しくなっていく。