syuの日記・気まま旅

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上野広小路 朝の公園

2017-10-26 | syu散歩

「藤堂高虎」 築城の名人  1556-1630 伊勢国初代津藩主
早くから徳川家康に近寄り「カラスの鳴かぬ日はあっても 高虎の登城せぬ日はない」と云うほど、毎日家康も元に伺候したと云う。
家康臨終に際して高虎に「おまえとは宗旨が違うので、死んでから話が出来ぬな」と云うと、高虎はその場で家康と同じ「天台宗」に改宗したと云う。
徳川家光の代まで長生・晩年失明していた。
浅井長政・豊臣秀長の子「秀俊」に出仕(2万石)・高野山に隠居後豊臣秀吉の命で直臣・伊予国宇和島7万石拝領・朝鮮戦争で水軍を率いて活躍・
関ケ原の戦い・大坂の役で徳川川で善戦している。32万石大名に。

上野は、台東区の西部、武蔵野台地突端の台地と低地部。地名は、「忍ヶ岡」と呼ばれていたが、「藤堂高虎の屋敷が、高虎の領地伊賀上野(三重県)
にちなんでいる。江戸初期から城の鎮護のため建立された「東叡山寛永寺」の門前町として江戸の有数盛り場で栄えた。
1625年天海僧正を開祖として徳川将軍の墓所は、幕府の手厚い保護を受けていた。

            門前町盛り場で栄えた。上野松坂屋前・広小路交差点


維新後「上野の山」は公園となり、公園下が「上野駅」・繁華街と戦後、闇市がガード下に「アメヤ横丁」が出来、賑わいを見せている。
今は、少なくなったが、映画館、娯楽施設、音楽喫茶等が多くあった。落語の「鈴本演芸場」寄席は古くからあった。

                      アメヤ横丁入口


上野駅は、東北本線・信越本線・上越線・常磐線・高崎線・山手、京浜東北線・新幹線・私鉄京成電鉄・地下鉄等で利用客が多い。
駅は、明治16年開業している。山手線は、その2年後で品川ー赤羽間開通した。

            現在、池袋・新宿・渋谷などに追い越され7~8位と云う。


            戦後、上野ガード下に、全国から食職を求めての人人。


「清水観音堂」
松の木は、浮世絵で有名な歌川広重が「名所江戸百景」で描いた松。

              150年ぶりに、復活したとのこと、「月の松」


「上野恩賜公園の桜」
江戸時代からお花見のメッカとして知られ、東京を代表する桜の名所。
開花時期には、お花見の様子がニュースで流れる。
袴腰ー噴水池あたりまで、花見には、800個ものぼんぼりが灯され、夜桜も堪能できる。

           不忍池周辺で骨董市が催されるなどイベントも、桜並木通り


                    清水堂から不忍池・弁天堂


                     月の松と清水堂


清水観音堂は、京都の清水観音堂がモデルと、本堂正面を舞台づくりにし、不忍池の景色を眺められるようにしたとのこと。
元々は、1631年に公園内のすり鉢山に建てられ、1694年に現在の場所に移転。

                重要文化財に指定されている歴史的建造物


「彰義隊士」
維新の際、江戸入城に反対し、朝敵の汚名を奉じ旧幕府軍3000人が上野山にたてこもり、1868年5月15日大村益次郎指揮する官軍の総攻撃を受ける。

                 山岡鉄舟の筆による戦士の墓が                      


                  輪王寺宮公親王を守り


                     彰義隊士の墓


                     西郷隆盛銅像


「小松宮彰仁親王」 1846ー1903、日本の皇族、陸軍軍人。
官位は、官軍元帥陸軍大将大勲 位功二級。仁和寺宮嘉彰親王と同一人物。 伏見宮邦家親王第8王子。

                      小松宮銅像


上野公園周辺
日本学士院・国立科学博物館・国立西洋美術館・東京文化会館・上野の森美術館・東京芸術大学など

                     東京国立博物館


                      東照宮鳥居








                       本殿


昭和29年に、「赤胴鈴之助ー剣を取ったら日本一」がラジオに流れた。
その頃、東北の村から続々と上野駅を目指し、集団就職の学帽を被った少年たちが降り立った。
望郷の応援歌・井沢八郎が歌う「あゝ上野駅」街に流れた。

2003年、元プロボクサーのファイティング原田や集団就職で上京した中小企業経営者らによる有志団体によって、上野駅広小路口前のガード下に「あゝ上野駅」の歌碑が建立され、同年7月6日に井沢や作詞者の関口、吉住弘台東区長、上野駅長、有志関係者ら約2,000人が参加して除幕式が行われた。
歌碑は高さ2.6mで、C62形蒸気機関車や駅に降り立ち荷物を持ちながら歩く学生服姿の若者達が描かれたレリーフ板と歌詞の銘板からできている。
上野駅界隈のご当地ソングとして広く知られるため、歌碑も観光名所の一つとなっている。建立費用や維持費など計2,000万円は、ほぼ寄付で賄われたという。2013年,上野駅開業130周年を記念し、上記の歌碑から連なる13番ホームにおいて発車メロディとして採用されたと云う。
その後、現在は16・17番線の発車メロディーとして使われている。

「どこかに故郷の香りを乗せて・入り列車のなつかしさー上野駅はオイラの心の駅だ、、、」

集団就職は、数年続き、私と同じ年齢の中学卒業の生徒が上野駅のあふれていた。