東京都調布市は、都のほぼ中央部・武蔵野台地南部で、古代朝廷に納める「調・税のカラムシを原料とした布」を生産しておいたことから地名に。
明治26年東京府に編入している。
段丘下の湧水は、深大寺湧き水と野川・仙川・入間川の水源となっている。
江戸時代は、甲州街道、布田5宿がおかれた。稲田堤の桜名所ー1940年から宅地造成が急速に進み「近郊住宅都市」に。
1964年東京オリンピックの選手村・軽飛行場などがある。
「深大寺蕎麦」
江戸時代、深大寺北の台地は、コメの生産に向かないため、小作人は、「そば」を作り、米の代わりに「そば粉」を寺に納め、寺はそばを打って来客をもてなしたので、深大寺蕎麦有名になった。

「深大寺蕎麦」を有名にしたのが、元禄年間総本山・上野寛永寺の公「辨法親王」献上し、賞賛され全国大名に広く推奨された。


「大正寺」新義真言宗寺院・三栄山と号す。
廣福山栄法寺と、紫雲山寶性寺、三栄山不動院の3ヶ寺が大正4年に合併、三栄山大正寺として創建、栄法寺は、当寺境内にもとよりあり、現在は墓域となっている。
布多天神社の別当寺を務めていたといい、現本堂は、栄法寺の本堂を、観音堂は不動院より移設したもの。
観音堂は多摩川三十三観音霊場8番札所、
寺の恵比寿神は調布七福神の恵比寿神となっている・多摩八十八ヶ所霊場5番札所に。

布多天神

瑠璃薬師如来

「深大寺」 天台宗の寺・本尊は、阿弥陀如来像・733年「満功上人」開基、当初は「法相宗」-859年「天台宗」改宗。
本堂西に「元三大師堂」は、開創時の本尊堂(重文)
重文の銅造釈迦如来像は、1909年発見された。

(国宝)仏像

深大寺元町 マップ

寺にある句・歌碑
高浜虚子句碑 遠山に 日のあたりたる 枯野哉 松尾芭蕉句碑 象潟や 阿免尓西施が 合歓能花
林光雄歌碑 この寺に 遊ぶ志者しを 清や可尓 あら志免むとや 梅さき澄免る など多数ある。
参道

参道

深大寺の縁結び
733年、満功上人開山され、その寺名は、水神の深沙大王に由来し、満功上人父「福満と云う渡来人」で、この地の豪族「右近長者」の美しい娘と
恋に落ち、娘は両親の反対にあう。二人の仲はさかれ、娘は湖の小島に隔離。
「福満」は三蔵法師がインドに赴いたとき、福満は、「流沙河で救われたと云う故事を思い出し」 深沙大王に祈願したところ霊亀が現れ、島の娘の処へ連れて行ってくれたと云う。娘の両親は二人の仲を許し、生まれたのが「満功上人」と云う。
故郷の武蔵野に「深大寺」建立した。
桃山時代の遺構をとどめる 山門

深大寺本堂 大正時代再建

江戸時代、徳川家康から50石が与えられている。
国宝 釈迦如来像

動物霊園 我が家の「愛猫」が眠る


動物供養塔

次回は、隣接の「神代植物園」へ