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小諸宿ー鍋蓋城と本陣跡へ

2019-06-12 | 季節だより
「小諸城」は、山本勘助ゆかりの小諸城で、武田の軍師、築城の名主 山本勘助の小諸城縄張りに。
懐古園本丸跡・山本勘助の鏡石 天文23年の1554年、甲斐のの武田信玄の侵攻で武田氏の手中に落ち、以後約30年間、武田氏の城代によって支配された鍋蓋城と諸城。
武田信玄は、この地の重要性にかんがみ、 重臣の山本勘助と馬場信房に命じて鍋蓋、乙女城を取り込んだ新たな縄張りをして城郭を整備し、総合的な大城とした。
それが小諸城の原型・勘助が縄張りをした小諸城は「攻めるに難しく、守るに易い城」いわば難攻不落の城で知られている。
小諸城址本丸跡には山本勘助が小諸城築城の時に研磨したと伝えられている鏡石がある。
勘助は朝夕この鏡石におのれの顔を映し反省したと伝えられている。
その7年後、1561年・武田信玄と上杉謙信の「川中島合戦」に。

      国道18号線と141号線の間に小諸宿の街が広がっている。至軽井沢ー至長野・上田へ


                    市役所に近い「荒町」


                      健速神社、神輿


                    市民祭りの氏子の皆さん


                    街の急流の用水路が


「健早神社」 須佐之男命を祀る。祇園さんとも呼ばれている。

               江戸中期の建物 祇園祭は、7月半ばに


                  急階段を神輿が 迫力あると云う


                     階段を下る


                   健速神社社殿 江戸時代


                      神木


                   浅間山 高峰が


                  実大寺 本堂  神社の隣にある


                       山門



                小諸本町 「ほんまち町屋館」


                    醸造用六尺桶




                   宿場の休憩所


「鍋蓋城」
1486年,「大井伊賀守光忠」によって築かれたと云われる。文明16年の1484年、村上正清によって岩村田の大井城は落城し「大井宗家」は衰退した。大井光照は、小諸へ逃れ、近くの宇当坂に館を構えたという。
光照の子「光忠」は、1486年、鍋蓋城を築き、光忠の子は鍋蓋城の支城として乙女城を築いたある。これが「小諸城の前身」。

鍋蓋城は近世小諸城の三ノ丸の北側に辺り、鍋蓋曲輪として小諸城代家老屋敷などが置かれていた。
遺構は特に残っていないと云う。
国道141号線と県道40号線本町交差点を西へ。「大井伊賀守居城鍋蓋城城址」看板がある。

                大井伊賀守居城 鍋蓋城址






「小諸宿本陣問屋場」(国重要文化財)
北国街道沿いに往時の家構えのまま保存、加賀百万石の大名行列も利用した。
問屋とは、宿泊者などの荷物の請け渡しを行う施設。(現在内部は非公開で、修理中)

                     小諸本陣跡


                      門屋場


                      玄関


                      中沢川へ


                        千曲川へ


ここは、旧北国道、この先に「布引観音・釈尊寺」が。
寺は、天台宗の寺院。山号は布引山・布引観音とも呼ばれる。
信濃三十三観音霊場の第29番札所。「牛に引かれて善光寺参り」伝説発祥の地。本尊は聖観世音菩薩。縁日は、5月8日。
今回は、見送る、崖の中腹にある。















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