まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

高柳重信選の想い出/2020東京五輪に向けて思う~プロローグ3の終わり(その165)

2014-10-14 16:07:49 | エッセー・評論
俳句の初学者にとっていずれかの結社に所属し、主宰者の選を受けることと並んで総合誌の雑詠欄に応募するという道がある。私が20代で俳句に入門した頃、俳句の世界は有季定型を重んじる伝統派とそれに飽き足らない前衛派に二極分解していた。そのうち前衛派の拠点となっていたのが故高柳重信氏が編集発行人を務めていた旧「俳句研究」誌であった。同誌は年に一度の新人登竜門「50句競作」と並んで毎号巻末の雑詠欄で3ヶ月毎に選者を交代して募集していた。ここで運良く推薦(1位)していただき後に同人にもしていただいた「地表」の小川双々子先生に続いて、高柳重信氏自らが選者を務めた。そのさいの応募作が次の句で明らかに失敗句であった。
 呆けたる左手に春の傾斜あり
選評で『呆けたる左手は面白い。しかし〈春の傾斜〉とは何であろうか。再考すべきだ』との御指摘をいただいた。
それから1年ほど過ぎて高柳氏も帰らぬ人となり、同誌も廃刊となった。私はこの句を次のように直して「地表」の同人自選欄に載せていただいた。
 呆けたる左手野菊を曳き出せり
これが成功したかどうかは今もってわからない。したがって自信句では到底あり得ない。