私には離れ難いものがある。
その柔らかな姿態。
何とも魅力的な色艶。
口元に運ぶと、
私の疲れた心や体を癒してくれる。
その離れ難いものとは、
40年近く愛用している湯呑。
職場の上司からお土産として頂いた。
萩焼と言っていたが、
高価な品ではないと思う。
高台には萩焼特有の切り込みはない。
「寒山」と言う銘がある。
長年愛用しているため、茶渋も染み込み、
実にいい味わいだ。
私にとって魅力的な湯呑茶碗である。
私には離れ難いものがある。
その柔らかな姿態。
何とも魅力的な色艶。
口元に運ぶと、
私の疲れた心や体を癒してくれる。
その離れ難いものとは、
40年近く愛用している湯呑。
職場の上司からお土産として頂いた。
萩焼と言っていたが、
高価な品ではないと思う。
高台には萩焼特有の切り込みはない。
「寒山」と言う銘がある。
長年愛用しているため、茶渋も染み込み、
実にいい味わいだ。
私にとって魅力的な湯呑茶碗である。
工場の煙が真っすぐと上空に上がり、
穏やかな日の出前の風景です。
この写真は、丁度1年前の2月8日、
写した黎明の写真です。
さて、この日私は心臓のバイパス手術をしました。
2本の血管が狭く、1本は詰まって梗塞。
3本のバイパス手術を施されました。
それから1年、動悸や息切れが無くなり、
元気になりました。
早期に心臓が悪いのが発見され、
直ちに手術をして助かったのです。
1年間、そこそこ体力も付きました。
これから無理せず人生を楽しんでいきたいと思っています。
スーパーの菓子コーナーで、
「江戸揚げ」と言う米菓と目が合った。
「江戸揚げ」
子供の頃めちゃめちゃ大好きなお菓子だった。
引き寄せられるように手に取り、
迷うことなく買った。
立派に包装されているが、
子供の頃量り売りだったような気がする。
止め処無く手が伸び食べ続ける私は、
よく母に注意されていたような気がする。
さて、買った江戸揚げ、
袋を開けるとさらに2袋に小分けされ、
キツネ色にこんがり焼かれた江戸揚げ。
子供の頃の思い出を、
甦らせながら口に入れる。
サクッ! とした一口目の食感が心地よい。
口の中にほどよい塩味が広がる。
何と言う美味しさだろうか。
60年前の味が、脳の記憶を呼び起こす。
恋人と再会したような、
米菓・江戸揚げとの久々の出会いだった。
先日、NHK・BSの放送で「伊勢大神楽」の放送をしていた。
獅子舞が民家を歩き、厄払いをする。
伝統行事の映像を見ていると、
70年前の思い出が甦て来た。
多分お正月だと思うが、
獅子舞が我が家を訪れ、
母が玄関先で座り、頭や肩などを嚙んでもらっていた。
私は母の後ろで恐る恐る見ていたのだ。
あれは厄払いだったのだろう。
甦った記憶は、放送の伊勢大神楽と同じように見えた。
あの獅子舞は、恐々除くように見ていた私だったが、
日本の伝統行事神楽だったのだろう。
思い起こすと昭和30年代のことだ。
記憶に残る食べ物がある
洋風カツ丼
上野松坂屋近くの喫茶店で数回食べた
私の中で忘れられない食べ物の高いランクとなった
時が流れて55年
「ふっ!」と洋風カツ丼が脳裏に甦った
「食べたい…」と思う食欲は
日増しに強くなった
そうだ!
あのホワイトソース、デミグラスソースを使った
ドリアがあの洋風カツ丼に味が近いのではないか
そう思ってドリアを食べに行った
無論カツはのってなく違うものだが
なんとなく心に残る洋風カツ丼に近付いた気がした
あなたを待てば雨が降る
濡れてこぬかかと気にかかる
………
有楽町で逢いましょう
※ ※ ※
65年ほど前に大ヒットした昭和の歌謡曲
低音が魅力のフランク永井が歌っていた
今の若者達が知らない歌だ
※ ※ ※
上京中小雨降る中有楽町に行ってみた
JRの有楽町駅はレンガ造りのガードで
なんとなく昭和の面影が残っていた
昔懐かしい「有楽町で逢いましょう」の歌詞が、
頭の中で甦った
あぁ~古い人間だ
子供の頃よく田んぼで遊んだ。
半ズボンにランニングシャツ。
柳の枝の棒を振り回し、野山を駆け回り、
ひざはいつも赤チンで傷ついていた。
夕方日が暮れると家に戻ったものだ。
特に田んぼは水遊びは出来るし、
ゲンゴロウやタニシ、ミズスマシ、ドジョウなどがいて楽しい。
遊びが創造出来た。
あぜ道を走り回り、バランス感覚を養った。
子供の成長に「田んぼ」ほど素晴らしいフィールドはない。
先日水の張った整然と整備された綺麗な田んぼを見た。
私の住む町は、畑地も田んぼもない町。
田んぼを見ると郷愁を感じる。
ゆったりとした広大な田園風景は、
昔のそれとは違うが、
何故か落ち着く風景だ。
久しぶりに大きな機関車を見た。
今はSLと言う人が多いと思われるが、
私の年代では「機関車」と言った方が心に響く。
私は機関車が好きだ。
あの武骨な姿、パワフルな姿。
実に力がみなぎっているではないか。
※
安平町の道の駅D51ステーションに行った。
そこではピカピカの機関車が間近で見れる。
圧倒される迫力の機関車。
♬ ♪ 汽車汽車しゅっぽしゅっぽ ♪♩
力強く煙を吐き大地を走る機関車が、
心の中で甦る。
多くの人が汗をかき、一生懸命働く姿にもダブル。
古き良き時代の哀愁かもしれないが、
機関車のようにただひたすら前進する時代が懐かしい。
圧倒的な軍事力でウクライナに進行するロシア軍。
20世紀の戦争を目の当たりにしているような気がする。
あの悲しい映画「ひまわり」は、
ウクライナが舞台だった。
※ ※ ※
『隊長ブーリバ』と言う本を小学生時代読んだ。
勇敢なコサックの話だったが、
無論内容までは覚えていない。
この本を書いた作家は、
ウクライナ生まれのゴーゴリ。
コサックは15世紀に存在したウクライナの軍事組織。
17世紀、当時の支配者ポーランド・リトアニアに対抗し、
武装蜂起をした勇敢なコサック・ブーリバの話だった。
何故か隊長ブーリバは、私の記憶に残っていた。
※ ※ ※
今、ロシアの侵攻に対抗しているウクライナだが、
コサックの末裔たちと言える。
子供の頃読んだ『隊長ブーリバ』が甦った。
戦争の状況が、テレビやSNSで伝えられるが、
早期に平和になることを願う。
美しいウクライナの“ひまわり”が、
平和で穏やかな気持ちで見れるように。
今日は「二・二六事件」の日。
陸軍皇道派青年将校が起こしたクーデター、
86年前の事件である。
私の父は、この2月26日が誕生日なので、
毎年この二・二六事件日が来ると、
父のことが甦る。
供養と思い書くが、
父は明治40年(1907)生まれなので、
生きていると115歳になる。
教員として人生を送り、
私が小学校に入った時、父は校長先生だった。
厳格な面もあったが、お酒が好きで、
優しい父でもあった。
父が少年時代の写真(右)がある。
ほぼ100年前の豆教員時代(16歳当時)の写真だ。
兄弟3人の写真だが、3人とも教員だった。
ほぼ100年前の写真。
キリッとした表情が父らしい。