素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

近所の枝垂れ梅ももう満開

2014年03月02日 | 日記
 東大寺お水取りの松明が始まると一段と春近しと思う。ここ何日かはストーブのいらない日が続いた。自然と体も心もほぐれる。近所の枝垂れ梅も満開になった。ほのかな甘い香りが鼻をくすぐる。
  2月末からジムでは、1時間のウォークを始めている。少しずつ距離を延ばしていくようにしている。28日は6.2kmそして今日は6.7kmを歩く。歩きの中に1~3分間走(時速8km)を数回入れないといけない。足づくりと体をしぼるのが目的である。ようやくここまで回復してきたという感じである。明日は7kmを1時間で歩くことを目標にしている。

 世界を見るときな臭さが増大している。ウクライナではロシアと欧米とせめぎ合いが激しくなっている。モスクワオリンピックの時はアフガニスタン侵攻でスポーツの世界が政治に振り回されたが、ソチ冬季五輪の年にはウクライナ問題と歴史の皮肉を感じる。オリンピックは無事閉会したがパラリンピックに影響が出ないか心配する。あのソチでの演出が幻の平和に終わらないことを願う。中国雲南省昆明での事件も暗雲たちこめる感があった。民族間の対立は想像を超えるものがある。中東やアフリカの政情も不安定なままである。

 個人であれ集団であれ間違いを犯す。そのことを覆い隠したり、強弁して開き直るべきではないと思っている。私自身もそうだが自分の非に対して正当化したいという気持ちは働く。またしてしまうこともある。自己愛のなせるわざだが、それを克服して現実を直視し、間違ったおのれを背負って歩くことが大事だと戒めている。

 自らの非を一切認めない論調で言いつのる個人や集団(政党、国など)は信用できない。先日亡くなった詩人のまど・みちおさんについての記事の中にこういうのがあった。

 『9歳で台湾に渡り、土木技師として台湾総督府に勤務。太平洋戦争中は南方を転戦。その間、戦争協力詩2編を制作していたことが後に研究者によって明らかになり、まどさんは痛惜の念を隠さなかった。
 92年に出版した「まど・みちお全詩集」には該当の2編を収録し、「あとがきにかえて」として「昔のあのころの読者であった子供たちにお詫びを言おうにも、もう五十年も経っています。懺悔も謝罪も何もかも、あまりにも手遅れです。(略)私のインチキぶりを世にさらすことで、私を恕(ゆる)して頂こうと考えました」と記し、話題となった』
 

 間違いを犯したからダメなのではなく、そのことを糧にしていかに未来に向かって生きていくかである。というのが大原則であるように思う。
徳川家康の有名な言葉に「人の一生は重き荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず」がある。この重き荷には失敗、挫折も含まれると考えている。また人を国と置き換えてもいい。

 
コメント
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