素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

啓蟄なれど『亀蔵』未だ冬眠中?

2014年03月06日 | 日記
 土の中の虫が陽気に誘われ動き出すという啓蟄を迎えたのを機に部屋の隅に置いていた『亀蔵』の水槽のふたをとりサンルームに移動した。皮肉にも今日から1週間ほどは真冬並みの寒波が押し寄せるみたいでこちらも粉雪がパラついた。ニュースでも各地の雪の様子が映し出されていた。まさに春寒である。それでも三寒四温という言葉通り少しづつ暖かい日が多くなっていくと思うので『亀蔵』が目覚める時を楽しみにしている。
  枯れ葉を押しのけて動き出す時を見逃したくないので目につきやすい場所に移動した。ただ、冬眠が永眠になっている可能性もなくはない。しばらくは水槽から目が離せない。

 町内に野鳥の写真を熱心に撮っている婦人が二人いる。その一人の方が同じジムに来ていてピラティスのスタジオレッスンで時々一緒になる。メジロはよく見かけるがウグイスの姿はあまり見ないという話からウグイス談義になった。ウグイスは枯れ葉のような色をしているので目立たない上に用心深いのでなかなか姿を見せないとのこと。絵になるのはメジロのほうでウグイスはまことに地味だそうだ。今度写真を持ってきてくださるとのこと。彼女に言わせれば、初鳴きから聞いているが今年のウグイスは鳴き方がうまい!らしい。他の人はウグイスにうまい下手なんかあるのかと半信半疑であったが、自信満々に断言していた。

 今日の「余禄」にもウグイスのことが書かれていた。

『「初音の里」は駅名「鶯谷」にその名残をとどめるウグイスの名所、江戸・根岸の異名である。「ここの鶯は声がすぐれて良いので、人々は初音を聞こうと知り合いの文人の庵で詩歌の催しや茶の湯に春の日を過ごす」と当時の本にある▲それも隣接する上野・寛永寺で元禄年間に京から運ばれた何千羽ものウグイスが放たれたからという。皇族だった寛永寺貫主が「江戸のウグイスはなまりがある」と、当時の文化人である尾形乾山にこの放鳥を命じたのだ。江戸っ子も京言葉のウグイスを愛したらしい▲・・・・』 

 これを読むと野鳥婦人の話もまゆつばものではないかもとも思ってしまう。ひょっとしたら去年は地元の河内弁のウグイスで今年は京都から流れてきた京言葉のウグイス?

 鶯の枝ふみはづすはつねかな  蕪村
コメント
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