素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「山のいぶき」ではなくてウ~ン?♪ズンズンズッズン♪

2014年03月09日 | 日記
昨日の『蔵王』を聞いてから1つの歌が気になり始めた。二中時代の文化祭で歌われていた合唱曲で、イメージがよく似ているのである。その曲の名前が思い出せないのである。どうでもいいことではないかと思いつつもスッキリしないのである。帰りの電車の中でも、帰ってからも記憶の扉を開けていく作業を続けたが曲名だけはポッカリ穴があいているのである。自分のクラスで取り組んだのではなく他のクラスの発表を聞いて「いいなあ」と思っていた曲のため強く刻まれていないのもたしか。でも思い出せないことに悔しくなる。

 人物で 顔や声、姿は鮮明によみがえるのだが名前が出てこないという経験はよくある。まったく同じ状態で、曲に合わせたホリゾント、立山連峰のような雪山とすさまじい吹雪の絵は鮮明に浮かぶ。題名を思い出そうとする時邪魔をするのが「山のいぶき」という曲名。自分のクラスで取り組んだことがあるので頭の中に出しゃばってくる。でも違う、あの曲は春から夏にかけての山のイメージ♪山すそを洗う せせらぎに 耳を澄ませば しみじみと 山の息吹きが 思われる♪これじゃない、もっと冬の厳しさを感じさせるものと堂々巡りになる。

 テスト時間中は必死に思い出そうとしても出てこなかったものがチャイムが鳴って提出した瞬間に思い出されるという経験もよくした。思い出そうとそこに焦点をあてていくと脳がフリーズ状態になってしまう。チャイムが鳴ってあきらめた時、緊張が解けてリラックス状態になる。するとうそみたいに忘れていたものがよみがえる。

 ということで、一晩寝れば思い出すかもしれないと考えることを停止した。

 朝、掃除機をかけながら考え始めた。昨日頭の中を支配していた「山のいぶき」のメロディは消えて♪ズンズンズッズン ズンズンズッズン 分け入っても 分け入っても♪という部分が出てきた。「これこれ!」と思いながらも題名は依然記憶の底に沈んだまま。 ズンズンズッズンと歌いながらの掃除となった。

 テストの時に思い出す手段として、授業風景などの状況から攻めるということもよくやる。真っ先に浮かんだ冬山の連山と吹雪を組み合わせたホリゾントは二中に行って5年目、Aさんのクラスのものだったな、ズンズン節とかいってからかったりしたことを思い出した。あの吹雪は美術のIさんがちょっと手を入れたら見事になって、餅は餅屋と感心したことなどもよみがえってきた。

 初めてあの曲に出会ったのは?と考えると二中に行って2年目であった。と記憶が戻って来た。私は担任を持っていなかった。副担任として学年だよりをつくっていた。各クラスの自由曲について自分なりに資料を集めて学年だよりに掲載して、少しでも曲の解釈のお役に立てればと自己満足な企画であるがやっていた。当時は33歳、担任王国の色濃い時代に担任外の有り方も模索していた。♪親不知子不知♪や♪十字架(クルス)の島♪に取り組んでいたクラスは題材もはっきりしていて資料集めも楽だったが、この曲は固有名詞の山ではないのでどうしようかと考え込んでしまった。そこで曲のイメージにあう山を自分なりに探した結果、出羽三山の一つ、月山がピッタリだと思い、学年だよりに書いたことを思い出した。

 「そうだ、月山だったよな」と思い出した時、急に「奥の細道」で芭蕉が出羽三山に詣でた部分を読み返そうと思考が飛躍した。10月の「100分de名著」で取り上げられた時に強く印象に残った部分であった。羽黒山、月山、湯殿山の順に六月三日から詣でるのだが、八日に月山の山上で野宿をする。その下りは

 八日、月山にのぼる。木綿(ゆう)しめ身に引(ひき)かけ、宝冠に頭を包(つつみ)、強力と云うものに導かれて、雲霧山気の中に氷雪を踏みてのぼる事八里、更に日月行道の雲関に入るかとあやしまれ、息絶え身こごえて、頂上に至れば、日没して月顕われる。笹を鋪(しき)、篠を枕として、臥して明くるを待つ。

 この時のことを句にしたのが「 雲の峰幾つ崩て月の山 」でこの句の長谷川さんの解釈をあらためて読んでいた時に突然、稲妻のごとく「山の輝き」という題が閃いた。「蔵王」を聞き終わって20時間後、やっとスッキリできた。YouTubeで検索して曲を聴きながらさらに思い出にひたった。

 
調布市立神代中学校 山の輝き
コメント
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