昨年、8月末に左膝まわりに違和感を感じてからウォーキングマシーンを使っての有酸素運動を満足にできない状態が続いてきた。最初に思っていたよりも回復のスピードは遅かった。3月に入ってからようやく60分間連続してのウォーキングができるようになり、その距離も6kmから200~400mずつ増えていき、ようやく目標にしていた8kmに到達した。正確に言えば8.1kmである。
とはいえ、まだ余裕を持っての走りではないので、体の声を聞きながらコンスタントに60分間8kmを走ることができるようにボチボチとやっていくほかはない。膝の違和感とつきあってきたこの半年余りの経験はなかなか貴重なものであった。
今日の朝刊の『くらしナビ*いりょう・健康』に前衆議院議員 与謝野馨さんへのインタビューが載っていた。先日、テレビで安倍さんの経済政策、アベノミクスについて検証する番組に出演していた時、声を出すのに苦労されていると思ったが、2006年に下咽頭がんの手術を受けた後遺症で、2012年9月に声を失う手術を余儀なくされたためだと知った。「気管食堂シャント法」という手術で、現在は気管の穴を手で塞ぐことで話せるようになったとの」こと。
記事によれば、与謝野さんは1977年に衆院選で初当選した翌年、39歳の時悪性リンパ腫の一種であるろ胞性リンパ腫を発症して以来、政治家人生とぴったり重なった37年間、直腸がん、前立腺がん、下咽頭がんと4つのがんとも闘い続けた。
がん治療とその副作用に悩まされながら党の要職や閣僚を歴任し、政策通の呼び声の高かった与謝野さんの言葉には説得力があった。
「がんは気持ちが沈んでしまうとなかなか手ごわい病気です。共生していくためには前向きに、そして無理をせずに自然に生きることです。がんになったから反省したり生活を改めたりするという方もいますが、僕はだめですね。酒もたばこもやめられません。でも人生観、価値観は人それぞれ。がんはそうやって付き合っていく病気だと思います。『患者に夢中にならないこと』も大切です。患者としての自分と、その自分を客観視できるもう一人の自分を持って冷静に正しい判断をすることです。」
私の知人に、乳がんの手術をされた方がいた。術後も順調で職場にも復帰され、合唱のサークルなどでも元気に活動されている。その方がお母さんの米寿を記念して2年前に家族歌集を自主出版された。妹さんが姉を思う歌
癌告知受けたる姉の繰り返す「心配かけてごめん」切なし
命には代えがたしされど黒髪も乳房も奪ふ癌治療惨し
手術終へし姉を残して老い母と夕暮れ寒きバス停に佇つ
平穏に明かり灯れり風寒きバス停より見る姉の病室
姉の手術終りて寒き夕暮れを老い母と駅前にぜんざいを食む
乳房切除の手術受けし姉にして今年の桜いかに眺めむ
「術後八年」と小題のついた本人の歌
「みかん」の字も「がん」と思はず読み違ふ時経て術後八年の秋
療養の日々を歩きし野の道は葛のみ覆ふ八年を経て
ジュラルミンの巨大な腹を今見せて駅舎頭上を飛行機通過す
短歌、俳句、詩と形は違っても自分というものをつきはなして見ることができるという点では共通のものがあるよいうに思う。折々に読ましてもらっている家族詩集、ご両親のものも含め私に力を与えてくれる。
『患者に夢中にならないこと』は示唆に富む言葉である。
とはいえ、まだ余裕を持っての走りではないので、体の声を聞きながらコンスタントに60分間8kmを走ることができるようにボチボチとやっていくほかはない。膝の違和感とつきあってきたこの半年余りの経験はなかなか貴重なものであった。
今日の朝刊の『くらしナビ*いりょう・健康』に前衆議院議員 与謝野馨さんへのインタビューが載っていた。先日、テレビで安倍さんの経済政策、アベノミクスについて検証する番組に出演していた時、声を出すのに苦労されていると思ったが、2006年に下咽頭がんの手術を受けた後遺症で、2012年9月に声を失う手術を余儀なくされたためだと知った。「気管食堂シャント法」という手術で、現在は気管の穴を手で塞ぐことで話せるようになったとの」こと。
記事によれば、与謝野さんは1977年に衆院選で初当選した翌年、39歳の時悪性リンパ腫の一種であるろ胞性リンパ腫を発症して以来、政治家人生とぴったり重なった37年間、直腸がん、前立腺がん、下咽頭がんと4つのがんとも闘い続けた。
がん治療とその副作用に悩まされながら党の要職や閣僚を歴任し、政策通の呼び声の高かった与謝野さんの言葉には説得力があった。
「がんは気持ちが沈んでしまうとなかなか手ごわい病気です。共生していくためには前向きに、そして無理をせずに自然に生きることです。がんになったから反省したり生活を改めたりするという方もいますが、僕はだめですね。酒もたばこもやめられません。でも人生観、価値観は人それぞれ。がんはそうやって付き合っていく病気だと思います。『患者に夢中にならないこと』も大切です。患者としての自分と、その自分を客観視できるもう一人の自分を持って冷静に正しい判断をすることです。」
私の知人に、乳がんの手術をされた方がいた。術後も順調で職場にも復帰され、合唱のサークルなどでも元気に活動されている。その方がお母さんの米寿を記念して2年前に家族歌集を自主出版された。妹さんが姉を思う歌
癌告知受けたる姉の繰り返す「心配かけてごめん」切なし
命には代えがたしされど黒髪も乳房も奪ふ癌治療惨し
手術終へし姉を残して老い母と夕暮れ寒きバス停に佇つ
平穏に明かり灯れり風寒きバス停より見る姉の病室
姉の手術終りて寒き夕暮れを老い母と駅前にぜんざいを食む
乳房切除の手術受けし姉にして今年の桜いかに眺めむ
「術後八年」と小題のついた本人の歌
「みかん」の字も「がん」と思はず読み違ふ時経て術後八年の秋
療養の日々を歩きし野の道は葛のみ覆ふ八年を経て
ジュラルミンの巨大な腹を今見せて駅舎頭上を飛行機通過す
短歌、俳句、詩と形は違っても自分というものをつきはなして見ることができるという点では共通のものがあるよいうに思う。折々に読ましてもらっている家族詩集、ご両親のものも含め私に力を与えてくれる。
『患者に夢中にならないこと』は示唆に富む言葉である。