人間思いがけないことに遭遇することは多々ある。心の動揺をリセットするためには、驚きの表現が必要なのかもしれない。「あまちゃん」では『(‘ jjj ’)じぇじぇじぇ』が流行した。今度の「あさが来た」では『びっくりポンや!』がかなりの頻度で使われている。流行語大賞まで届くかどうか興味あるところ。
驚きの表現の流行はいろいろあった。古くは「めちゃくちゃでござりますがな」「アジャパー」「ビックリしたなぁも」などがあった。「シェー」もあった。ズバリ「アッと驚く為五郎」も。「ぎょぎょぎょ」とかボケ防止に記憶の糸をたぐってみる。「ドヒャーァ」もそうかな?
マンションのデータ改ざん、野球賭博疑惑、維新の党のドロ仕合など驚くことは後を絶たない。『世の中や、浜の真砂は尽きるとも、「びっくりポンや!」の種は尽きまじ』と言うところか。
浜島の祖母は「ウッソータ」とよく言っていた。後に知ったのだが、離婚して20歳の父を頭に5男1女の家庭に入り子供や孫の面倒を見て、私が小学校5年の時に脳出血で半身が不自由になった祖父の介護をしながら60歳までは現役の海女で海に潜っていた。そういう背負ったものを微塵も感じさせなかったおおらかさとたくましさがあった。
「びっくりポンや!」をドラマで聞くたびに祖母の「ウッソータ」が重なる。現実を直視し、自分の気持ちをリセットして一歩踏み出していたのだろうなとしみじみ思う。
驚きの表現の流行はいろいろあった。古くは「めちゃくちゃでござりますがな」「アジャパー」「ビックリしたなぁも」などがあった。「シェー」もあった。ズバリ「アッと驚く為五郎」も。「ぎょぎょぎょ」とかボケ防止に記憶の糸をたぐってみる。「ドヒャーァ」もそうかな?
マンションのデータ改ざん、野球賭博疑惑、維新の党のドロ仕合など驚くことは後を絶たない。『世の中や、浜の真砂は尽きるとも、「びっくりポンや!」の種は尽きまじ』と言うところか。
浜島の祖母は「ウッソータ」とよく言っていた。後に知ったのだが、離婚して20歳の父を頭に5男1女の家庭に入り子供や孫の面倒を見て、私が小学校5年の時に脳出血で半身が不自由になった祖父の介護をしながら60歳までは現役の海女で海に潜っていた。そういう背負ったものを微塵も感じさせなかったおおらかさとたくましさがあった。
「びっくりポンや!」をドラマで聞くたびに祖母の「ウッソータ」が重なる。現実を直視し、自分の気持ちをリセットして一歩踏み出していたのだろうなとしみじみ思う。