素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

カルメン・マキさんの登場にびっくりポン!

2015年10月24日 | 日記
 夕食がいつもより1時間余り遅くなった。ブラタモリの富士登山を見ながらとなる。富士山自体の奥深さと長きに渡る人間との関わりにあらためて思いが駆け巡る。350mlの缶ビール1本でほろ酔い気分になるようになった。食後は酔いがさめるまではゴロリとテレビ三昧と決め込む。新聞の番組表を見ているとNHKBSプレミアムの20:00~21:00に「ザ・フォークソング カルメンマキ・海援隊」とあった。

 他にこれといった番組もなかったのでチャンネルを切り替えた。てっきり昔の懐かしい映像を編集した番組と思い込んでいたが、さにあらず、今の武田鉄矢がライブをしていた。金八先生以来、武田鉄矢は生理的に受けつけないのでいつもだったら消すかチャンネルを替えるが、今夜は雰囲気が良くてそのまま聞いていた。

 イメージした番組構成とは違ってなかなか面白い。番組が終わりに近づいた段階でもカルメン・マキさんは思い出の映像コーナーで扱われるだろうと思っていた。私の中ではちあきなおみや藤圭子と同じような存在になっていた。しかし、進行役の南こうせつさんの紹介からそれは思い込みに過ぎないとわかった。

 切り替わった画面に、寺山修司の思い出を語り、大学時代によく歌った♪戦争は知らない♪を歌う”今のカルメン・マキ”がいた。びっくりポン!である。
  

野に咲く花の名前は知らない 
だけども野に咲く花が好き
ぼうしにいっぱいつみゆけば
なぜか涙が 涙が出るの

戦争の日を何も知らない
だけど私に父はいない
父を想えば あヽ荒野に
赤い夕陽が夕陽が沈む

いくさで死んだ悲しい父さん
私はあなたの娘です
二十年後のこの故郷で
明日お嫁にお嫁に行くの

見ていて下さいはるかな父さん
いわし雲とぶ空の下
いくさ知らずに二十才になって
嫁いで母に母になるの
 そして、2度目のびっくりポン!は彼女が1951年生まれというテロップが出た時。「エッ!同じ歳やったんや」と思わず口に出た。浪人時代に♪時には母のない子のように♪がヒットしていたと思うが、5歳以上は年上だという印象があった。
 

 「年齢を重ねる」ということに深く思いを馳せる夜となった。
コメント
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