素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

星田神社の節分祭

2023年02月03日 | 日記
 太陰太陽暦では立春に最も近い新月を元日とし、新年の始まりであることから、一般的に立春の前日に節分の行事が行われるようになった。昔から「季節の変わり目は邪気が入りやすい」と考えられ、また「この時期(2月上旬)はまだ寒く体調を崩しやすい」ことから新年を迎えるにあたって、邪気を祓い清め、一年間の無病息災祈る行事として追儺(ついな)という行事が行われてきた。

 元々の発祥は中国だが、大陸文化が広く取り入れられた平安時代、大晦日に宮中行事として追儺が行われるようになった。これは疫鬼などを追い払うもので、大晦日に陰陽師がきて厄や災難を祓い清める儀式である。

 宮中行事としての追儺は徐々に衰退し、江戸時代には行われなくなったという。しかし、いつの頃からか、追儺は豆をまいて鬼を払い無病息災を願う「節分」という行事として庶民の間に広まり、定着し日本各地でいろいろな形で節分祭が執り行われている。

 このあたりでは寝屋川の成田山不動尊の豆まきが有名である。毎年、大阪局制作の朝ドラの出演者が豆まきに参加し大盛況である。私は2012年に成田山不動尊の豆まきに行った。⇒https://blog.goo.ne.jp/showa26125hy5/d/20120203
 3年ぶりに開催の今年は「舞いあがれ!」の福原遥が登場するので少し心が動いたが11年前のような人混みの中に飛び込むエネルギーはなく、地元の星田神社の節分祭に出かけた。ちょうど孫の保育園の迎えを頼まれていたので18時からの豆まき式が都合が良かった。

 夕暮れの神社はまた趣きが違う。

佐々木宮司の音頭で、全員で大きな声での”福笑い”から豆まきは始まった。
 
初めて星田神社の豆まきに来た孫は、突然の”福笑い”に何事が始まったのか?と目を白黒させていたが、豆まきが始まると下に落ちた落花生を素早く拾っていた。保育園で使った豆まき用の箱が役に立った。
 
赤鬼と青鬼がいるが、豆を沢山ゲットしようと思ったら鬼と仲良くなること。後ろの方で豆を袋に入れてくれるのである。孫も最初は用心していたがそのことがわかると箱が一杯になるように入れてもらっていた。


 園の豆は、折り紙を丸めて作ったものだったが、本物の落花生が飛んでくるのが楽しかったみたいであった。

 息子は昨日、一足早かった八坂神社の豆まきに行って来て、福豆の袋を持ち帰った。隣では外国人がテレビのインタビューを受けていたみたいで賑わいに驚いていた。かくして我が家には福豆がいっぱいとなった。
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