素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

『亀蔵』お目覚め!確認記念日となる

2014年04月15日 | 日記
 昨夜は満月に近いと火星の大接近を見ることができると報じられていたので、性懲りもなく写真を撮ることにチャレンジした。深夜、南の空に並ぶというので寝る前にベランダで観賞。
 毎日新聞ではアベノハルカスを挟んでのツーショットであった。天体ショーを見ると気持ちが大きくなってうれしくなる。今日は小さな喜びが2つ。

1つは『亀蔵』のこと 

昨年の11月23日のブログで季語の「亀鳴く」に寄せて、誤解に満ちた観察と亀蔵にとっては迷惑な行いをを書いた。 要は、気温の低下で体温が下がってきたため食欲が落ち、動きが鈍って来たことに気づかず、運動不足による食欲不振と人間と同じように考えてしまったのである。2週間後には誤りに気づき、12月8日に反省文とともに冬眠宣言を出した。

 それから3ヶ月ほどは部屋の隅に置かれたままであったが、啓蟄の3月6日にサンルームのテーブルの上に水槽を置いて、目覚めを待った。岸壁の母ではないが、「亀蔵」が元気な姿で現れないかと毎日、何度もそっと覗くことが習慣となった。気温の方は波はあるが確実に上がっているのに一向に動いている兆しがない。3月中はともかく4月に入るとだんだん「冬眠ではなく永眠」ではという思いが強くなってきた。ただ、私の思い込みでゆっくり眠っている亀蔵を起こすのは悪いなという気持ちもあり、葉っぱや亀石を取り除き確認することは自重して来た。とは言っても今週末には確かめねばならないだろうとは思っていた。

 そんな矢先、昼食後何気なく水槽を見ると亀蔵が首をのばして水槽の外を窺っているではないか。「お~生きとったか!」と思わず声をかけた。近づくと例によって首をすっこめ防御の姿勢。この1ヶ月余り待ち続けたが、その日は意外とあっけなく来たという感じ。こういう時目覚めの「亀鳴く」があればと思うが、永眠でなくてよかった、よかったである。
  お目覚めした時に献上しようと思っていた詩がある。草野心平の『いぼ』である。「いぼがえる」の「いぼ」だが、「亀」の「亀蔵」に読み替えてもらうと良い。

  い  ぼ
いよう。ぼくだよ。
出てきたよ。
いぼがえるだよ。
ぼくだよ。

びっくりしなくってもいいよ。
光がこんなに流れたり崩れたりするのは。
ぼくがぐるぐる見廻しているせいではないだろ。

やりきれんな。
まっ青だな。
匂いがきんきんするな。
ほっ雲だな。

そっちでもこっちでもぶつぶつなんか鳴き出したな。
けっとばされろ冬。
まぶしいな。
青いな。
やりきれんな。
春君。
ぼくだよ。
いつものいぼだよ。


 もう1つは、寝屋川公園往復の新・10㎞コースを「歩く」ではなく、今日は「走る」と書けるようになったこと。
1週間サイクルでと書いたばかりだが、亀蔵のこともあり今日チャレンジしたくなった。これまでは歩き主体で走りを入れていくという感じであったが、「今日はおまけの日、しんどければ止めればよい」とリラックスして走ってみたら思いの外継続できて80%は走り通すことができた。走っていて自分でも不思議な気持ちになったぐらいで結果は1時間18分27秒と一昨日より13分短縮。4月の目標まで3分強まで一気に迫った。うれしい誤算であった。
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デジブック 『花から花へと渡り歩く』御室仁和寺から原谷苑へと歩く

2014年04月14日 | 日記
 仁和寺の御室桜が見頃を迎えたとニュースで見たので急きょ出かけることが決まった。しばりの少ない生活の特権というところ。ついでにそこから30分ほど山越えをして原谷苑にも行ってみようということになった。

 京都マラソンで走った所で混雑が予想ができたので少し離れた所に車を置いて歩くことにした。案の定きぬかけの路は大渋滞で大正解であった。警備員の人に言わせると「今日はまだまし。土日は交通障害というべき状態であった。」我々と同じようにニュースを見てきた人や観光ツアーの団体客で仁和寺の境内もいっぱいであった。

 御室桜は想像していたよりも数も多く見応えがあった。今回は原谷苑にも足を延ばしたので仁和寺の御殿の方はカットした。落ち着いた頃にもう一度きぬかけの路界隈の散策をしようと思った。とりあえず今日は花である。

 仁和寺から原谷苑は山越えの道を約30分、上り20分余り下り10分といったところ。思っていたより歩きやすかった。生活道路を守るためマイカー規制がされており、歩くかタクシーである。最近、評判が広がりツアーにも組まれてきたところである。ホームページで原谷苑の歴史を読むと考えさせられることも多い。桜以外の花も多く、予想以上に華やかな空間であった。

 ここも、原谷弁天から桃山展望台へ上る道と金閣寺へ抜ける道はカットして、仁和寺からの往復コースにしたが、私の好みではない。是非もう一度、仁和寺→原谷(桃山展望台)→金閣寺→(きぬかけの路)→龍安寺→仁和寺という周回コースにチャレンジしようと決意する。いつになるかはわからないが引き出しには入れて置く。

 今日は、急きょ決めた割にはうまくまわることができ、花三昧の一日となった。

 デジブック 『花から花へと渡り歩く』
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寝屋川公園往復の新・10㎞コースを歩くことが定期的になってきた。

2014年04月13日 | 日記
 3月29日に約7ヶ月ぶりに寝屋川公園往復の新・10㎞コースを歩いてから4月6日、そして今日と特別決めたわけではなく、身体の声に自然に従った結果であるが1週間サイクルになっている。自分の体調をはかるバロメーターになりつつある。

 結果は前回より約12分短縮して1時間31分28秒で目標の1時間15分にまた一歩近づいたことになる。ここまでは10分単位で短縮できたが、ここからはそうはいかない。おそらく1~3分位ずつしか縮まらないだろう。このレベルまで戻って来たことを喜ぶべきだろう。焦らずに粘り強くトレーニングをつんでいくことが肝要。

 1週間で寝屋川公園の樹木の様子も変化していた。ソメイヨシノとコブシの花はほとんど散ってしまった。ハナミズキの花が咲き始めてきたことが一番の変化。それと新緑のやわらかな緑が空をかくすようになってきた。

 今、中学公民教科書の採択で全国的に話題になっている竹富町、新聞報道だけではわかりにくかったが、「新潮45」4月号の『国境再考』というシリーズがちょうど”多島行政区・竹富町の苦悩”と題して取り上げている。東海大学教授の山田吉彦のルポで複雑な構図がよくわかった。新潮45ではこのシリーズとサイエンスライターの佐藤健太郎が書いている『国道者』というシリーズを毎月楽しみにしている。

 中学公民をはじめとする社会科の教科書についてはこれから全国的に問題になってくるような気がする。竹富町の問題を契機にもう一度自分の中で整理していこうと思っている。全国的といったが、中国、韓国まで拡大して国際的な問題に発展する可能性もある。
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デジブック 『気ままに長岡京散策』

2014年04月12日 | 日記
山崎にいる娘が、中古物件の家を購入することになった。一緒に候補の家を見に行って欲しいと頼まれたので妻と行くことになった。15時30分に約束していたので、それまで近くでブラブラと時間つぶしをすることになった。そこで長岡天満宮、乙訓寺、光明寺方面に行く時に目にしていた勝龍寺城跡公園の矢印標示板にしたがって一度行ってみようと話が決まった。

 さしたる情報もなく、成り行きまかせの時間つぶしである。171号線を京都に向かって走り、勝龍寺の交差点を左折、50mほど行った最初の信号(ここに標示板がある。いつもは直進)を右折、小畑川沿いに走るとすぐに勝龍寺城跡公園に着く。予想していたよりもきれいに整備されていた。細川ガラシャで有名だが、展示室で城の歩みを見ると南北朝時代には南朝方の京都進出に対抗する前線基地に始まり、応仁の乱では西軍(畠山義就)の拠点、天正10年(1582)の山崎の合戦では明智光秀が本拠とした。という風に歴史の波に翻弄されてきたことを痛感した。光秀の三女である玉(ガラシャ)の38年の生涯が象徴的である。天正6年8月に16歳で細川藤孝(幽斉)の長男忠興に嫁ぎ丹後宮津に移るまでの3年間勝龍寺城で過ごした。父光秀の「本能寺の変」のあおりを受け丹後の三戸野に幽閉され、2年後に秀吉の計らいで忠興との復縁が許されたが、今度は関ヶ原の戦いで石田三成の人質になるのを拒み自害する。転換点での判断で細川家はまことにきわどい選択を強いられた。歴史にifはないが、違う道を選んでいたならば細川護熙さんの首相も都知事選立候補もなかった。

 そんなことを考えながら、たまたま見つけた城跡公園にけいじされていた散策コースを歩いて長岡京市の中心街を周回してきた。ちょうど長岡京駅前商店街連合会が100円市のイベントをしていたので妻は大喜び、おおかた2時間余り買い物ツアーに切り替わる。100円パンセットに100円いなり3個パック、100円コーヒーと店々でスタンプをもらいながらまわっていた。私はベンチで一休み。

 長岡天満宮のキリシマツツジはつぼみ固しという状態であったが、桜、ヤマブキ、ミツバツツジなどをたのしみながらゆっくり散策した。いつも来ていたのはシーズンで人がいっぱいの時ばかりだったのでひと味違う風情を味わった。

 10時20分過ぎに勝龍寺城跡公園着いたのだが、思わぬ所で時間をつぶせて、アゼリア通り、西国街道をまわって公園にもどったのが14時すぎ。公園内を見学してから娘のマンションに行ったがドンピシャリの時間となった。「何をしたでもないが、何かおもしろい一日やったなあ」とは一致した感想。

 名物の筍を買ったことは言うまでもない。

デジブック 『気ままに長岡京散策』
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いつものようにいつもの花が

2014年04月11日 | 日記
 夕方、ジムのロッカールームに入って来た人が開口一番。「今日は寒いんですか?暖かいんですか?」一同キョトンとする。「私の温度センサーがおかしくなってしまったんです。寒暖の判断が自信がないので他の人に訊くしかないんですわ?」と冗談ぽく笑う。「朝は寒かったが昼からは暖かいですな」「でも家の中にいると寒いんですわ。」「日の当たっている所では一枚脱ぎますが日陰に入ると着なあきませんのや、難儀しますわ」と愚痴る。確かに昨日の午後から今日にかけてはわかりにくい。

 それでも造幣局の通り抜けが始まると、ソメイヨシノに代わって八重桜などの里ザクラが花を開き始める。毎年のことながら花のリレーには感心する。

   ジムまでの道には八重の方が多いので来週にかけては華やいだ気分を味わうことができる。

 もうひとつ、いつもこの時期の水やりでの楽しみは、ロールシャッハテストではないがビオラの花が可愛い顔に見えるのである。
   自然の造形美の妙である。
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