素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

今日の夕刊は「講師不足の深刻さ」がトップに

2014年04月10日 | 日記
 同じ風景でもふと美しいなと感じる時がある。今朝カーテンを開けた時の東の空がそうであった。ここ3日ほど降水確率0%の日が続いているから空の様子に大きな変化はないはずだが、今朝は格別であった。
 ちょうど6時17分に撮影したが、きれいだなと思ってカメラを取りに行くまでの1分間余りでもずい分感じが変った。太陽の位置で色は刻々と変化する。姿を現す直前が一番きれいである。

 しばらく太陽の昇るのを見ていた。約3ヶ月前の始めて冬日になった朝も同じような写真を撮った。その頃に比べて太陽がずい分東の方から出るようになったと目を南東に移すとお向かいの家の庭に小さなこいのぼりが立てられていた。さりげなさがいい。
山の木々も若葉をつけはじめた。

 今日のジムは、スタジオレッスンのボクササイズで気分転換をする。定員20名のところ18名といつもより多い。暖かくなると自然と体を動かしたくなるのかもしれない。いつもより早めに切り上げて3時30分過ぎに家に帰るとちょうど夕刊が届いた。そのトップ見出しが『小中教員不足痛手』、見た瞬間「やはり」と思った。現場で働いている人と会うたびにどの地域の人からも講師がすぐにつかなくて難儀しているという声をよく聞いた。新聞を読んだが現実はもっと深刻な事例があるのではないかと思う。
 『授業が学校の生命である』という大原則から考え直して枝葉を剪定してスリム化しないと根本的な解決の道は見つからないような気がする。今の現状はあまりにも無秩序に肥大化している。
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「悪意のないまちがい」か?

2014年04月09日 | 日記
 今日のジムは何と言っても小保方晴子さんの会見が話題の中心であった。12時前にローッカールームへ入ったが、午前中にトレーニングを終えた人たちが大きな声で「今日、何時からやったかな?」「1時やで、帰ってからビール飲みながら見よう」と話していた。ロッカールームの空気は、理研の広告塔ように使われた若き女性研究者への同情がしはいしていた。芸能プロダクションの戦略で実力もないのに仕立て上げられて売り出された少女歌手といったとらえ方である。天地真理や桜田淳子の名前には時代を感じた。

 2階のトレーニングルームに上がると、企業の研究畑にいた人は「自分の研究成果を世に問う時は細心の注意を払うのは当然で、細かい字句とか引用文献の表記間違いは有りうるが核心部分の資料に取り間違いがあるなんて考えられないミスだ」と嘆いていた。研究成果を先を越されないように秘密を保持しながら世に出すまでの苦労話をひとしきり話していた。

 70歳台と見受けるご婦人方は「若い小娘に、いい年の男たちが振り回されているに違いない」とロッカールームのおじさん達とは真逆の分析。「女は怖いでえ、男は阿保や」という言葉には妙に説得力があった。「会場費が2時間でざっと24万やて、テレビで言うてたわ」「誰が払うんやろ?」「自腹みたいやで、延長すると1時間に12万近く取られるんやて」「年金暮らしにはできんなあ~」「年収1000万ぐらいはあるって」STAP細胞の有無なんかそっちのけで好きなこと言っている。2時間30分におよんだ会見だったから36万近くかかったことになる。

 私は、その世界のことはとんとわからないので研究の中身にも小保方さんがどういう人であるかも興味はないが、ただ「悪意のないまちがい」という言葉にはちょっとひかかった。捏造とか改ざんを否定する意味で使ったのだろうが、まちがいをまちがいとして認める潔さよりも開き直りを強く感じて違和感がある。「悪意のないまちがい」だから論文は撤回しない。ではなく、まちがいがあれば撤回し、正しくしてもう一度発表するというのが普通の対処じゃないかなと考える。

 人間は誰しも失敗はする。その時、「そうするつもりはなっかった」とか「想定外だった」と言えば、「それは言い訳に過ぎない」と厳しくとがめられる。どんな意図であれ、失敗を失敗として認めることから成長できるように思う。正当化したい欲望は自分を振り返ってもよくわかる。でも、寅さんじゃないが「それをいっちゃおしまいよ」である。「悪意のないまちがい」という言葉が堂々と存在感を持つ世の中にしてはいけない。

 

 
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『火天の城』(山本兼一著・文春文庫)一気に読み切る

2014年04月08日 | 日記
 本の中程までは空いた時間に軽く読んでいく感じであったが、段々と物語の世界に引き込まれ残り三分の一となった今日は取りつかれたように『火天の城』を読むことが中心になった。こういう風に本の世界に引き込まれていったのは久しぶりであった。映画化もされていたがあえて見なかった。今は正解だと思っている。木曾の檜を育て守る杣の頭、上松の大庄屋甚兵衛と総棟梁の岡部又右衛門とのやりとり、大丸太を木曽川の急流を使って流す命がけの仕事、穴太の石工頭戸波清兵衛の「石」への思い、木挽き頭の庄之介の「木」への思い、瓦職人一官や絵師狩野永徳の心意気など安土城築城という大プロジェクトに取り組む職人魂を表現することは不可能だろう。それぞれの立場にある職人たちの意地、情熱、こだわり、創意工夫を文字の力で書きあげている。

 築城のシーンのイメージづくりを助けてくれたのはNHKBSプレミアムで1月早々に放映された「よみがえる江戸城」であった。あの番組で城を見る視点ががらりと変わったような気がする。あの映像を重ねながら読むと、頭の中に安土城のイメージが浮かびあがってくる。その時代の技術、文化の粋の結晶が安土城である。奈良の大仏建立など各時代ごとにそういうものは存在する。それが日本の伝統というべきもので大切にしたい。

 それに比べると侍に関してはマイナーなイメージを持つ描き方になっている。ここに著者のこだわりのようなものを感じた。

 最後に、けがのため現場に立てなくなった又右衛門に代わって棟梁として番匠たちをまとめていった息子の以俊(もちとし)の悪戦苦闘の結果たどり着いた境地の部分も強く心に残ったので紹介しておきます。

 『・・・つい怒鳴りつけたくなる気持ちをおさえ、一歩さがって、みなの仕事ぶりを見た。

  それだけのことで、見なれていた作事場風景が、新鮮に感じられた。

  番匠たちはいろいろだ。経験だけの差ではない。熟練工でも手の遅い者、早い者がいるし、人によって得意な仕事、不得手な仕事がある。熱心にやっ  ている者がいれば、上の空で鋸を握っている者もいる。無口な男、冗談ばかり口にしている男、理詰めの男、直感の男、なにも考えていない者、やる  気はあっても鈍い者、怠けたがっている者、疲れている者、ごまかそうとしている者。いろんな男たちが集まって天主を建てているのだ。

  その当たり前のことに、以俊はあらためて気がついた。

   木を組むのが番匠の仕事で、人を組むのが棟梁の仕事か。

  棟梁のなすべき仕事がすこしだけ、わかった気がした。そう思えば、作事場にひびく槌音さえ、かろやかに聞こえた。番匠たちの輪のなかに、自分が  立っている実感があった。』

 

 

 
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山本兼一著「火天の城」より今日の一言

2014年04月07日 | 日記
 朝から近くのスーパーの朝市に行った。途中、交野三中と藤が尾幼稚園の前を通ると入学式の立て看板。緊張気味の新入生、入園児の姿がチラホラ、変わらぬ風景である。ここ2,3日の雨にも風にも負けず桜が残っていて良かった。

 ジムの方も月曜日の担当であるMさんとKさんがいない。2人とも下の子供が小学校をようやく卒業したと言っていたから三中の入学式へ行っていることになる。

 MさんとKさんとはジムでは挨拶をかわす程度であったが、広報の孫請けで2010年9月25日に交野三中へ体育祭の写真を撮りに行った時にバッタリと会った。向こうもビックリであったろうが、私も二人に中学生の子供がいるとは思わず驚いた。以来、不思議なもので電車の中や自転車で走っている時などによく会うようになった。こういう人を「ご縁のある人」と呼ぶ。当然ながら私的な話題もするようになる。

 すると、MさんとKさんの間にも不思議な縁があるという。ジムで働くまでは面識がなかったが、上の子供が同学年であるということから親しくなったという。その子達は今、高校生になったが同じ高校へ通っているし、下の子供も同学年で小学校は同じクラス。しかもKさんの子供の名前が漢字は違うがMさんと同じ、誕生日もお互いの家族で同じ日があるみたいで先日、二人でケーキを買っている店の前でバッタリ会った。これで、中学校でも同じクラスだったら切っても切れぬ仲、間違いなしである。

 いつもの二人がいないということで、ジムの話題も入学や入園、入社のことが主流となった。それぞれにフレッシュな頃があったのだとあらためて思った。

 同時に、1日から始まって7日の入学式、8日の始業式までに、新年度の体制をつくる大変さに思いを馳せた。1日(火)から4日(金)までの4日間で決めていかなければいけないことが膨大にある。今、読んでいる山本兼一さんの「火天の城」(文春文庫)も資材集め、図面づくり、石垣、骨組みの組み立ての部分である。信長の苛酷な要求に応えるべく総棟梁の岡部又右衛門をはじめとする大工、石工の奮闘ぶりがいきいきと書かれている。それぞれに腕に自信を持ちプライドの高い多くの棟梁を束ねて大プロジェクトを進めていく総棟梁の又右衛門には心ざわつく、不快な声も聞こえてくる。学校という組織を立ち上げ軌道に乗せていく4月当初の感じとよく似ていると思った。ちょうどジムで運動しながら読んでいた部分で今日一番印象に残った部分。

 『山は大勢の人足や番匠で騒々しいが、それでもなお天地は寂としている。目を見開いて、しばらく空を仰いでいた。蒼穹の青さが瞳に染みた。なんの雑念も感じなくなった。

 どのみち、生きて働いているということは、煩わしい雑事の連続である。いちいち腹を立ててなどいられない。』


 新聞も入学式、入社式のことが掲載されていた。本格的な始まりである。
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花より運動

2014年04月06日 | 日記
 気温の方はグッと下がって風の冷たさを感じたが、思っていたより天気の崩れはなかった。傍示川の花見大会も午前の初めは雨が降ったりやんだりのはっきりしない天気に世話人の人は思案顔であったが昼近くになって回復に向かいホッと一息といったところ。
 予定通り12時からにぎやかな宴となった。 
 

 私は「花より運動」。雨の心配がなくなったので寝屋川公園往復の新・10㎞コースを歩くことにした。寝屋川公園でも至る所で花見を楽しむグループや家族連れでにぎわっていた。花見にはちょっと気温は低かったが歩くにはちょうど良かった。1週間前より約20分縮めて1時間43分24秒であった。これでだいたい時速6kmで歩いた勘定になる。当面の目標は時速8kmでの1時間15分。
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