素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

故郷の4つの山

2024年07月17日 | 日記
 高校を卒業するまで伊勢・鳥羽・志摩で過ごした私にとって故郷の山として思い浮かぶのは4つである。小中学生の頃よく遊びに行っていた横山。小2までと高校生の時に暮らした磯部で毎日のように眺めていた青峰山。小学生の時に夏休みや冬休みに1週間ぐらい泊りに行っていた親戚のある鳥羽の日和山。高校を卒業してから名古屋、大阪に暮らすようになり帰郷した際、宮川を渡ると前方に見えて来る朝熊山。故郷に帰って来たと実感する時だった。

 先日訪れた和泉市久保惣記念美術館での【六十余州名所図会~広重と巡る日本の風景~】展で、4つの山の内、日和山と朝熊山の2つが描かれている作品に出合い嬉しくなった。

 志摩(三重県)「日和山鳥羽湊」・嘉永6年(1853年)7月
 私が高校を卒業するまでは、近鉄線は宇治山田までだったので鳥羽駅の前は海だった。近鉄が志摩電を吸収して宇治山田から賢島まで延伸した時JR鳥羽駅の前の海を埋めたて近鉄鳥羽駅を作ったため景色は一変してしまった。
私が通学していた時は日和山にはエレベーターがあった。
  屋外にあるエレベーターで当時としてはとても珍しく、子どもの頃に親戚の家に行く時、乗せてもらうのが楽しみの一つだった。昭和49年(1974年)1月に鳥羽駅前の火災で延焼してしまい。その後解体された。浮世絵を見ながらふとその頃のことにも思いを馳せ懐かしかった。

 伊勢(三重県)「朝熊山峠の茶屋」・嘉永6年(1853年)7月
 今は朝熊山をトンネルで抜ける伊勢道路と第二伊勢道路で伊勢と志摩は短時間で行くことができるが、それまでは二見、鳥羽の海岸べりに沿ってグルっと回って行くか朝熊山をの峠道を越えていくしか方法はなかった。父が新任の頃鳥羽で勤めていたが生徒を連れて朝熊越えの遠足した思い出を話していたことを200年ほど前の様子から思い起こした。

 今昔の思いが巡る名所図会。
コメント
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