素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

鹿ではなく鬼だった

2024年07月14日 | 日記
 毎年、7月になると隣家のプランターにオレンジ色にこげ茶色の斑点のあるユリが咲き誇る。道路の方に傾いているのも数本あり、車でひっかけてはいけないと気遣うのも毎年の事となった。
 

 私の頭の中にあるユリの名前はヤマユリ、ササユリ、テッポウユリ、カノコユリの4つだった。中でもカノコユリは 鹿ノ子百合の漢字が当てられているように花に紅色の鹿ノ子絞りみたいな模様があり気に入っている。そして私の脳の中に「花に斑点のあるユリ=カノコユリ」という【枠組み(スキーマ)】が形成されていた。

 ほぼ読み終わった今井むつみさんの『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』(日経BP)で、コミュニケーションの問題を考えるうえで、それぞれが学びや経験、育ってきた環境の違いから異なる「知識や思考の枠組み」(スキーマ)が形成されていることを認識することが大切だと言っている。

 相手の話をよく聞き、どういう「知識や思考の枠組み」(スキーマ)を持っているのかを理解すると同時に、無意識のうちに形成された自分のスキーマを見つめ直すことの大切さも指摘している。

 カノコユリへの思い込みで書いた2年前のブログである。(2021年7月22日のブログ記事一覧-素浪人旅日記 カノコユリの画像をいくら見ても隣家のようなオレンジ色のものは登場してなかったのだが、「花に斑点のあるユリ=カノコユリ」という【枠組み(スキーマ)】から抜けられず、隣家のは園芸種だと決めつけてしまった。

 今井さんの本を読んだおかげで、自分の「認知バイアス(かたより)」を意識しないとダメであるということに気付かされた。その手掛かりは《直観的に感じる違和感》で、心に生じた違和感を見過ごさないようにするということ。

 「カノコユリの画像になぜオレンジ色の花が登場しないのだ?」という違和感はずっと持ち続けていたが、ぞれをスルーしてきた。ひょっとして「認知バイアス」に陥っているかもしれないと思い直し、ユリについてきちっと調べてみた。

 そこで分かったのが隣家のユリは「カノコユリ」ではなく「オニユリ」」だということ。

 これからも「思い込み」がないかを常に意識しながらやっていこう。
 
コメント
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