まわる世界はボーダーレス

世界各地でのビジネス経験をベースに、グローバルな視点で世界を眺め、ビジネスからアートまで幅広い分野をカバー。

通りすがりの世界のアドマンたち (前編)

2020-06-08 12:19:21 | 広告
いつか書かなければと思っていた事なのですが、私の人生の中で出会った何人かの海外のアドマン(広告マン)について書いてみたいと思います。広告業界にいる人でも、こんな昔話に興味を持つ人はあまりいないとは思いますが、自分の記憶を整理するために、書くことにしました。ちなみに上の写真は、60年代のアメリカ広告業界を描いた人気テレビシリーズのMad Menの画像ですが、この記事とは直接の関係はありません。

80年代から広告業界で仕事をしてきた私は、何人かの伝説のアドマンに遭遇してきました。広告業界に生きる人間を「アドマン」と呼びます。今の時代は、差別になるので、アメリカではこの名前は死語になっていると思いますが、あえて、リスペクトを込めて、この言葉を使わせていただきます。

広告会社を立ち上げて、優れた広告キャンペーンで世界に影響力を与えてきた彼らは、それぞれに圧倒的なカリスマ性がありました。

80年代後半に出会ったのが、TBWA社の4人の創業者でした。広告代理店は、一般的には創業者の名前を社名としています。サーチ&サーチでも、ヤング&ルビカムでも、マッキャン・エリクソン、BBDO、オグルビーなど皆そうですが、TBWAも創業者4人のイニシャルです。



写真左から、ギリシャ系アメリカ人のビル・トラゴス(T)、マーケティング担当のフランス人のクロード・ボナージュ(B)、イタリア人のアカウント・マネジメントのパオロ・アイロルディ(A)、そしてクリエイティブのスイス人のウリ・ヴィッセンダンガー(W)です。この4人が1970年にパリで創業した会社がTBWAです。

私は、東京のK&Lという海外向けの仕事をメインに行う広告代理店で働いていたのですが、TBWAとK&Lがアジアにおける独占契約を結びます。そんな流れで、当時まだ20代だった私に、TBWAのオフィスを訪問する機会が訪れました。

TBWAインターナショナルの本部は、パリのファッションブランドの本店が立ち並ぶ細い通りの一角にありました。シンプルでお洒落な部屋の真ん中に、4つの机が口の字型に並べてありました。パーティションもなく、4つの机の配列は均等でした。人種も職能も異なる4人が連帯し、国際的なエージェンシーを立ち上げたその原点を見た気がしました。やがてこの会社が95カ国をカバーし、世界中に275のオフィスを持つグローバル・エージェンシーとなっていくのです。そのオフィスで、ビル・トラゴス以外の3人の創業者に会い、しばらくして、ニューヨークの当時の広告業界の本拠地であるマジソン・アベニューにあるTBWAニューヨークで、ビル・トラゴス氏と面会します。



当時、ニューヨークオフィスは、アブソルート・ウォッカのキャンペーンで一世を風靡していました。会議室にバーカウンターがついていて、電動の扉が開くと、酒の瓶がずらりと並んでいました。満面笑顔のビル・トラゴスは、アブソルートウォッカをストレートでグラスに注いでくれて、マジソン・アベニューを見下ろす会議室で私たちは真昼間に乾杯をしたのでした。

現在のTBWAグループの社員は世界中に11300人ほどいると思いますが、その中で、この4人の創業者に会ったことのある人はほとんどいないのではないかと思います。

TBWAのオフィスは、ニューヨーク以外に、ロンドン、フランクフルト、ローマ、パリ、デュッセルドルフ、ブリュッセルを訪問しました。ロンドンで、TBWAの創業に、クリエイティブの巨匠のジョン・へガティが関わっていたことを知りました。ジョン・へガティーは、1982年にBBH (バートル・ボグル・へガティー)として独立します。TBWAがクリエイティブで有名だったのは、へガティーの貢献が大きかったと思います。その頃のTBWAの作品集には、彼の作品が随分残っていました。下の写真がジョン・へガティーです。



やがて、私がアムステルダムで、某カメラブランドの仕事で出張している時、日本からの電話で、TBWAが日系大手のH社と組んで、某日系自動車のヨーロッパキャンペーンの競合コンペに参加しているようだと知りました。どうやら決まりそうだと。それはTBWAとK&Lの蜜月の終わりを意味していました。それからTBWAはどんどん企業規模を拡大していきます。

アップルコンピュータの伝説のコマーシャル「1984」で有名なロサンゼルスのクリエイティブショップのChiat/Dayは、90年頭にオムニコムに買収された後、TBWAと合併し、その後アップルがTBWAグループの主要クライアントの一つとなります。こちらがその伝説のコマーシャル。ジョージ・オーウェルが書いた近未来の全体主義社会を描いた小説「1984」を下敷きにしていて、「エイリアン」のリドリー・スコットが監督をしています。



スティーブ・ジョブズ自身が、このコマーシャルの制作にも大きく関わっていたというシーンが、映画「Steve Jobs」の中でも描かれていますが、巨人IBMに、アップルがマッキントッシュで挑戦するという広告の歴史に残る作品でした。

20代の私は、当時、Chiat/Dayと提携すべきという提案書を、勤めていたK&Lの喜多造鷹(きたすみたか)社長に提出していたのを思い出しました。こちらがChiat/Dayの創業者のジェイ・シャイアット。



当時、彼らのロサンゼルスのオフィスは、フリースペースで、個人の机がないという画期的なデザインで有名でした。広告クリエイティブだけでなく、自由な発想が魅力的でした。

2003年にインドのジャイプールで開催されたAdAsiaという広告業界の会議に、TBWAのCEOとなったフランス人のジャン・マリー・ドゥルー(現在TBWA会長)が来ていました。



上の写真がジャン・マリー・ドゥルーですが、彼は以前、フランスでBDDPという代理店をやっていました。

フランスだけでなく、世界市場に果敢に進出していたBDDPは、1989年にシンガポールのBatey Adsを買収します。当時シンガポールでトップのクリエイティブだったイアン・ベイティーの会社で、シンガポール航空のアカウントで有名でした。シンガポールのアモイストリートにあるオフィスの前を通り、これが天下のベイティーかと思ったものでした。

BDDPは1990年、アメリカのアド・エージェンシーのWRG (Wells Rich Greene)も買収します。この会社の創業者のMary Wellsは、アメリカの広告業界で最初の女性社長でしたが、その美貌と知性と社交力で、クライアントがメロメロになったという伝説の女性です。たまたま知り合いのマレーシアの広告代理店の社長と食事をしていたら、彼が昔、マジソンアベニューで広告主側で仕事をしていた時、Mary Wells本人に会って仕事をしたことがあると言っておりました。一発で人を魅了する魔力を持っていたそうです。会ってみたかったです。



WRGの創業者3人ですが、右の女性がMary Wellsです。クライアントだったブラニフ航空の社長と結婚したので、名前はMary Wells Lawrenceとなりましたが。WRGの仕事で今でも誰もが知っているのは、I❤️NYのロゴですね。



まだまだ続きますが、アドエージェンシーを創業した人物は、いい時もあれば、悪い時もあり、会社が他人の手に渡って、名前だけが生き残ったり、諸行無常ですね。

私もこれまで40年近く勤めてきた会社を辞めて、不遜にもアドエージェンシーをシンガポールで立ち上げたのですが、時代は大きく変わり、デジタル広告の普及で広告の仕組みも変わっているのですが、アドビジネスのスピリットや、広告クリエイティブの本質は今の時代も変わっていないのだと思います。アドビジネスの諸先輩から教わったことを忘れずに、頑張っていきたいと思います。

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