鬼雷が先に述べる。
人が病を発症するは、因果に依る。
添加物を沢山、喰らえば、自ら破れ、癌となる。
ジャンクフードを沢山、喰らえば、自ら破れ、癌となる。
精製された、小麦粉による、食パン、ラーメンを喰らえば、全身の細胞は即座に拒否し、抵抗するが所以により、己が細胞は腫れる。
ああ、人が便利に食物を得る方針を得れば、飢えはしないが、因果により、人を滅ぼす一因と為す。
食物で言えば、精白とは、邪悪である。
砂糖、白米、小麦粉。
されど、此処で日本人の主食である、白米が、一番優しい。
されどされど、玄米に及ばす。
玄とは暗黒。砂糖は黒糖が一番。そして、小麦粉とは精製されない、黄金の全粒粉が一番である。。。
慧真人訓。
人は、皆、有形の病を治すことは知っているが、無形の病を治すことは知らない。
有形の病を取り除くことは、容易では無いが、無形の病を治すことは、更に難しい。
仮にも.無形の病が起きて来なければ、どうして、有形の病が生じて来るのであろうか。
そこで、無形の病が起こって来ないようにするには、どうすれば、善いのであろうか。
それは、人の予防の如何に懸かっているのである。
所謂(いわゆる)、人の五臓と言うのは、心臓、肝臓、脾臓、肺臓、腎臓である。
心臓の病が起きて来ると、物が言えなくなる。(鬼雷の妻が、心臓の手術をしたが、お喋りが止んだ様にはならなかった。病には個人差があり、訓文は参考にすべきのみ。)
肝臓の病が起こってくれば、怒りの気によって損なわれる。
脾臓の病が起きれば、食べても、その味がわからず、かつ消化しないのである。
肺臓の病が起こって来れば、水を生ずる働きが無くなって来るので、咳が出て来る。
腎臓の病が起こってくれば、五臓の最初に当たる、肝臓(木)に滋養を与えることが出来なくなる。
これが病の有形なるものである。
水(腎)が能(よ)く火(心)を尅(相手に打ち勝つ)して、(水が火を尅する)水を調え、火を能く金(肺)を尅して火を調え、金は能く木(肝)を尅して、金を調え、木は能く、土(脾)を尅して、木を調え、土は能く水を尅して土を調える。
このように、五臓がみな、その調和を得れば、病はどこから起こって来るというのであろうか。
ただし、これを調える、ところの方法について、皆の為に告げなければならない。
それは、喜怒哀楽の七情六欲がみな、病を招くところの源となるのである。
これを用いるのに、その中庸を得る事が出来なければ、病の原因と、なるのである。
喜びも度を越せば、木(腎)を傷(そこ)ない、怒りも度を越せば、木(肝)を傷ない、哀しみも度を越せば、火(心)を傷ない、楽しみも度を越せば、金(肺)を傷ない、この四つのものが一つでも傷なわれれば、土(脾)もまた、これに従って、傷なわれるのである。
土は万物を生育するところの母なので、金木水火の四つのものに、比べて特に大切であり。これを傷なってはならない。
故に、五臓を調和しようとすれば、土が最も重要である。
しかし、この四つの中で、一つでも傷なうことがあれば、土は、これに従って傷なわれる。
そこで、他のものと比べて、土を調和させることは特に容易なことではないので、これを実験によって証明する事が出来るのである。
土を傷なうということは、もし心に病があれば、食は必ず減少し、肝に病があれば、食もまた、必ず多く食べられない。
その他、肺や腎の如きも、いかなる病であろうとも、一たび病めば土(脾)を傷なってしまち、健康の時のように、飲食することもできなくなる。
土と即ち脾であり、脾を調和することは容易では無いという事が分かるので、また土は金木水火によって病を招くことが明白になったのであり、これが無形の病の内に発するところのものである。
また、外から来るものも気を付けなければならない。
それら陰陽風雨晦明などは、皆、病をまねくもので、これを、予防すべきには、どうすべきであろうか。
それは、陰に対しては、これを防ぐに陽を以ってし、陽に対しては、これを防ぐには陰を以ってし、陰陽相和すれば、病は無くなるのである。
風邪には、これを防ぐに、静を以ってし、動静が、全て適宜であれば、病はどこから入って来るのであろうか。
明には、これを防ぐに暗を以ってし、明暗相交われば、自然に合致し、戻る事はないのである。
しかし、その陰陽風雨晦明というものは、皆、陰に過ぎ、陽に過ぎ、風雨に過ぎ、晦に過ぎ、明に過ぎ、その中庸を得ていないところに病の原因がある。
故にこれを予防すれば、内外の病は入って来ないのである。