玄徳道

道を語るブログです。

菜根譚道

2024-03-20 18:20:00 | 大道


「硬い野菜の根っ子も、よく噛めば食べることが出来るように、苦しく辛い、環境の中々いても、耐え忍ぶことによって、志を成し遂げる事が出来る。

いや、そう言う意味もあるが、そうでも無い。

硬い野菜の根っ子にこそ、栄養がある、そして、林檎や、バナナ、蜜柑、人が排斥される、皮の部分にこそ、価値がある。

今のわたしならば、こう言うであろう。

イエスや釈迦、数多の聖人教祖。

かれらは、硬く、不味く、根っ子のように、人に忌み嫌われる人であったのであろう。。。

なんせ人の枠に収まらない。

常に権力や権威に媚びない。

菜根譚道の魂を持つ者は、得てして、他人の価値観に左右されない。

それだけ。


私は幼少期より、邪悪であり、発達障害もあり、弱き者を虐めるのを、好む癖あり。

例えば、蟻を見ては、踏み潰す、幼き我あり。

多くの蟻を踏み潰した私には、幸せはやって来ません。

然り。

当然に、天罰覿面。

神様は、悪しき行いをしたら、当然に、運気を堕とす。

世には、因果律あり。

それでも、ひとたび、回光、改心、すれば、神様、実に、噛めば甘い、存在となり、栄養も豊富に与え、応援して下さります。

菜根譚。

そして、どこにでも、神様は宿っておられる。

翻れば、どんな、糞みたいな、私のような人間でも、何かの役に立って立つ事もある、可能性があると言う事でございます。

どんなに捨てられる、根であっても、その価値を見出す者には、貴い価値となる。

菜根譚。


これは、知人が送ってくれた本です。


人間の価値観とは、釈迦や、イエス、また、多くの聖人、賢人、哲人により、左右される面もございます。

人により、出逢いがあり、、感銘を受けた存在を、それを聖人、神人とし、それを盲信する。

ゆえに、自己の深奥なる根神を思想、想念を潰し、多くの人は、自己の神性を明らかにする事が出来ない。残念至極。

人間てさあ、生きているだけで、多く人は、目に見えない事柄に苦しんでいます。

外国から見た、日本人ってさあ、みんな、安全な、国にいて、とても幸せに見えるけど、日本人は精神を病み、自ら命を捨てる者が本当に多い。

次元界、痔が限界、地獄なり。(ふかみせんせい。)すみません。

逆に、スラム街、砂漠の生活にて、心底苦しむ生活をすれば、ハングリー精神が湧き、幸せを得ようと努力するのかも知れません。

戦争も無く、平和な日本。

いや、古今東西の大震災が興り、鎮まり、また、大地の怒りを受ける日本人。

人間自身ののカルマにより、地球を穢し揺れを引き起こす事ももある。

当然に、穢される地球にも、その大地の主なる、地球神にも、怒り、悲しみもあり。

自然には、本当に、思想はありませんが意識がございます。

人の想念は、地獄でもあり、天国でもあり。

それを垂れ流す人は、自然に、自ずから、我が身に受け入れる。(人に取っては、病となる。また、人に取っては、善き福徳が起きる。)

一念三千。

悪しき念は、穢れとなり、自己を汚し、地球を穢すなり。

人の穢れが大地に溜まる(人に因る)。故に、浄化の為の躍動がある。(大地震、台風、津波、雪崩、土砂崩れ、雷合。)

それだけである。

それにより、人は自然災害を受けて、個人は滅びる。



扨て。
カルマを造るは、人にあり。そして、人が、自分に苦しむ理由は、他人あり。

そして、他人が苦しむの理由は、自分にあり。

人なる種族は、魂の発する根本が違うからか、イガミ合う。

歴史を振り返れば、人は人を殺す、戦争を永遠に行ってきており、また、現在も殺し合っているのが真実。

人間の思想は、簡潔明瞭では無く、他人の口から出た、どうでも良い事柄も、受ける人は、死にたくなる感想を持たれる人もおられる。

本当に、人間って面倒くさい。

単純に仲良くは出来ない。

そして、多くの人格に愛が、あれば善いのですが、残念ながら、彼らの思想(優劣、人気)は、弱肉強食の中の憎しみと虐めとなります。

「三千世界一度に開く梅の花」

「梅で開いて、松で治める」

此処述べた、梅は、厳しき寒さであっても、一輪の花を咲かす。

松は、年中、暑さ寒さの厳しき環境でも、人々の薬剤となるうる、松の葉を示す。


さて、人の心は、脆く危うく、優しく老婆心ある人は、他人に気を使い過ぎます。

思い遣る心あるゆえに、気を消耗し、疲れる。

疲れは穢れであり、願わくば、多くの人は、疲れないで、物事を為して欲しいですね。

そして、気を使わずに、疲れない人もおられます。
それは、使命感あり、神を身近に感じる人。

それよりも、能天気な人。

ああ、人って能天気になれる人こそが、本当に幸せ。

能天気になるには、法があり、それこそが先天坐法。

ただ、1日、16分、黙って座るのみ。

三年もしたら、能天気な気質を得るのでございます。(私的には、いつも大いに悩み葛藤し.早く死にたいと、考えます。なんせ、死とは、本当に永遠のの安らかであるから。

私が坐する所以は、そこに、一時の安らぎがあるから。)

しかしだ、この、地球に住んでいる人にとって、未曾有の危機が、先天から示されている。

能天気を吹き飛ばす程の試練が墜ちて来る。

やれやれ過ぎる。

いずれにせよ、盛者必衰は、自然の流れ。

奢れるもの、久しからずや。

金持ちに成れば、幸せの時代は、過ぎて、儲かりません。人を騙しても。

お金を得ても、幸せに直結しません、今の世は。


扨て。戦争をかたれば。

ロシアウクライナ戦争では、プー〇〇が魔王であり、ゼ○○○○○○は、被害者か、正義の使徒のように、感じている方もおられるが、お互いに、贅沢三昧をしている。これが真実。

戦争し、多くの人民を、殺している両首脳。

罪は、ゼ○○○○○○が八割を越え、地獄に、堕ちると、考えております。

国主が戦争をしたければ、自ら、戦域に立ち、配下の為の弾除けとなり、死ぬが上乗なり。

そして、プー〇〇は、まだ、ロシア国民の為に尽くそうとされている。

ユダヤのゼ○○○○○は、戦争の兆しを煽り、米国の犬となり、ヨーロッパを引き込み、ロシアとの戦争を臨んだ。

彼は、戦時化の最中、我慢せず、贅沢されておられると感じます。

もっと、痩せろ。

いずれにせよ、戦争により、罪穢れは、億万と為して、彼らの死際は、苦しむあるのみ。

もし、ゼ○○○○○○、硬い根の持ち主であれば、身命を遂げて、戦争を起こす兆しを(鬼畜米国による唆し)、排除したでしょう。

甘言に乗せられた結果の閣下のこのザマ。

もし、国主に菜根譚の思想あれば、常に、根である国民を守るのみ。。。

かつての昭和天皇のように。。。

日本が犯した戦争とは、神の一つの仕組み。

それでも、昭和天皇は、全責任を負い、国民、民草を護ろうとされた。


世界の国民とは、愚かであり、賢しであり、民草であり、善悪正邪過去未来のカルマを経て、皆が道を目指して、あゆむ。

扨て、 この「菜根譚」を随筆された、洪自誠は、神仙であり、適仙として、中華の明国に生誕されました。

彼は明国の優秀な官僚で役人でした。

当時の明国は滅亡の危機にあり、彼もまた、酷い裏切り、権力闘争、愛する者の死を体感して来ました。

その最中でも、彼は人の根には、必ず、善なる箇所があると信じ、他人を排斥せず、より親しんだのであります。

悪鬼なる不良にも、信じられざる、正義あり。

善き天使のような、人格にも、最後に裏切る、暗転される、悪魔存り。

人に正義がある。それは、利己主義。我れよしの正義なり、といっても過言ではありません。

太古の時代は、人が人を裏切ることはありませんでしたが、縄文から弥生に至れば、西洋から、キリストが、生まれ、かれの奇跡は、その本質よりも、奇瑞として宣伝され、また、キリストの教えが、国により採用された、人が、隣人を愛して、幸せになる、法を得ようと、したとたん、権力により、利用されました。そこからは、暗黒の世界。

神とは、人にとっての宗教。即ち教えなり。

それに従う者は、天国に行き、従わない者は地獄なり。

神様とは、従うも従わないも信じるも信じないもあらざる。

神を裏切るとは、常に、神の名を騙る権力者による。

言わば、権力とは、悪魔の働きである。

簡単に言えば、権力を魅せる宗教全ては、悪魔が主催する。

権力を持たずに、真面目に、世を救い、民を助けようとし、権力が存在する宗教から、救世主と示されても、権力ある宗教は、それをサタンとされて、お互いに傷つけ合う。

それが、権力ある宗教。

宗教とは、簡単に言えば、地獄発生装置になりを

皆さん、救世主は、単純に多く居ればいるほど、良いのであります。

多くの自称、他称は、拒まず、多くの救世主の出現があれば、地球は穏やかに、活動される。

そして、宗教の解釈、神示の預言などは、クソ喰らえ。

人が人を救いたい気持ち、これを感じる者、全てが、救世主なり、です。

多くの、適仙、聖人賢人、イエスキリストも救世主の一人。マホメットも、然り。ヤマトタケル、空海、最澄、日蓮、白隠、明治天皇、王仁師、日出麿師、昭和天皇。五井昌久師、長沼妙佼師……。かれら、彼女らは、真に神が降し、人の心を救うために存在されました。

女性の数が少ないのは、縁の下の力持ち。

聖人に関わった女性全て、月神界から、自ら降りられた、身魂。

名も知らず地位名誉も官位まお金も必要とせず、真心を誠心を尽くす、変人的な、貴い存在なり。

月の御魂とは、弥勒大神であり、人の生活、生誕、全てに培うのは、月。

月神を、伊豆売之御魂と申します。

その御魂は、すべからく、女性とされるのでございます。

扨て、生まれて、死に、死んで生まれて、また、死んで、生まれて、死んでまた生きるが輪廻です。

その最中、幼き、人が、生まれる以前の記憶を持つと言う人が増えていて、役割があるとある言う。

そんな、記憶があるのは、、自然です。

私なんかは、修羅地獄にあって、闘争そして、滅びて安息、再生し、更に闘争、敗れ、安息、また、甦り、闘争へと、その痛みをしっかり記憶しております。

しかしだ、人間の記憶は魂に宿らず。

人の前世記憶は、霊が宿す。

それは、眷属神であったり、精霊であったり、先祖や、宇宙精霊であったりと。

その感化、感覚を縁ありて、受ける由縁に、覚えるのであります。



最近は、生まれる以前の記憶ある子供を紹介され、また、そこに利益があるのであれば、辞めるべし。

赤子や幼子の言葉を捉えて、金を儲ければ、カルマとなる。儲けれども、利用すれば、業となる。

幼い子供は、自己意識よりも普遍意識を持つは、自然であるから、現実なる荒波を、知らずに、素直に、生まれる以前の事を言い、親からすれば、褒められているのみ。

善と子供の素直な、道で、金銭を得る者は、滅びは近い。(それで、有名となるは、罪。幼き者は、必要以上に尊ばれ、有名となれば、堕ちる因果となる。)

子供を食い物(金銭)にする人は、過去未来通して、堕ちる。

そして、残念ながら、地球に生まれた、御魂は、平等であります。
生まれる以前の記憶があろうが、無かろうが、すべからく、神の神子であるのみ。

それが特に不思議なく、特異なく、日の元御国の自然なり。(神を純粋に受け入れるのは、日本人に生まれた由縁なり。)

ここで、その前世の記憶を持つ、子供たちの不可思議を予言を飯の種にする者は、自らの滅びを短縮される働きとなる。(すみません、彼は、何処に去るのでしょうか。地獄なり。得てして、自らの生命が削られる。故に、短命。)

此処に、幼き者の、言動を興味津々で、取り上げる者は、愚かなり。

星々から、生誕された者は、自己霊力あり。

何故、それがわかるのか、理解出来ずとも、無に還る先天坐を成せば、それが教えられ、記憶では、ない、ストリーを教えられるからでございます。

私達は、全て知って生まれているのです。

知って忘れて、忘れて、覚える。

すべらかく、なんくるあいさあ。



菜根譚。

いろいろな、解釈がありますが、私は、誰も、食べたくない、根っこが好き。

根っこは、不味い。と、称される。

それでも、根っこは好き。私は美味しく感じる。

それと、同様なのか知れませんが、私を好きになってくださる人もたまに、おられる。

私は、会話は苦手で、喋れば面白くなく、また、人間は嫌いですが、誠人は好きで、社会人として、生きて行けないレベルです。

それでも、奇特な妻をはじめ、尊い人がおられる。

幼少期より、人類を滅ぼさねば、この星、地球の為にならないと、妄想していましたが、私を好きになってくれる、稀有な人(微数)がいて、子供なんて、、、滅びる地球に子供なんて、いらないとしつつ、子供が生まれて、出産に立会い、「お前を待っていたと。」わけのわからん、想いに、かられて。

子供が生まれる神秘は、ありがたし。感謝あるのみ。

子供の誕生とは、両親にとって、本当の奇跡なり。
そして、日本人に生まれた、不思議を感じるこの頃。

善き国日本。悪しき国日本。

未だ、精神の狭間にあり。

霊主体従。体主霊従。

そして、天災の兆しあり。

世界は滅びる。

いつでも、どこでも、世界は滅亡する。

私は、覚悟は、いつも有していて、「天地人、滅びるは、当たり前だのクラッカーと」しています。

地球も滅びるは必然的と思っています。

されどもし、子や孫がうまれたら、どうなるか。

例え、神に逆らっても、地球を存続させる。

幼少期の思いを滅して、人類が弥勒の世となるように、働くのかも知れません。

真に、硬い根の人は、誰からも、理解されず、人と交わらず、ひたすらに、根を保つ、道を歩んでおれれる。

それでも、何かの役に立つ日が来るのかもされません。

かつて、西郷南州翁はこう述べた。
「名も要らず、地位も名誉も金も、官位も要らぬ人ほど、始末に終える者ではない。しかし、その、始末におえぬ者で無ければ、真の国家の大業を為すことは出来ない。」

言わば、欲を削ぎ落とさねば、天地国家の役には立たないと。

そして、身を修める者は、政治は、相手にならず。

私が相手にするのは、吾が心の働き。

自分自身。

私が相手にするのは、人の真心。

金持ちや、奢れる者には、決して、交わりません。


人にとって、価値があるは、一重に、誠心。


誠心とは、対する人が気持ち良くなることでもありますが、菜根譚での価値は、自己を貫く、真実の、自分を現すこと。

即ち、菜根譚とは、他人には、理解出来ず、他人が嫌う、なんかがあるけど、その人に、注視してしまい、知らんけど、光がみえる。

なんて、考えます。

菜根譚。

たとえ、嫌われ者でも、他人から、相手にされなくても、故に、真に価値があるのである。

是を知れ。


コメント
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