秋吉台・萩・津和野、60年ぶりの旅
(その3) 萩
2023.10.12-14
(写真はクリックで拡大します)
萩・津和野を中心に一人旅をしたのはおよそ60年前のこと。当時、山陰の小京都と宣伝されていた津和野は印象深い街であった。60年ぶりの再訪、大いに楽しみだ!
初日 :大阪‐新山口‐角島大橋‐元乃隅神社‐長門湯本温泉
二日目:長門湯本温泉‐秋吉台‐萩
三日目:萩‐津和野‐瑠璃光寺‐新山口‐大阪
今回の旅程図 萩主要部の地図
【二日目 2023年10月13日】
《萩》
観るところの多い萩、まず最初に訪れたのは、萩城址。指月城とも言われる萩城は、関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元が指月山に築いた城。1874年に解体され、今は石切り場の跡や志都岐山神社、花江茶亭などがあり、桜の名所でもある。
萩城を築いた毛利輝元像 よく目にする萩(指月)城址
今回は歩いていないが武家屋敷跡の夏ミカン 60年前に泊まった指月ユースホステル
次に訪れたのが、旧萩藩校の明倫学舎。藩校明倫館正門の南門の隣に本館から4号館まで学舎が建っており、本館は無料(観光インフォメーションセンターと明倫館の歴史)、2号館は有料で幕末ミュージアムと世界遺産ビジターセンターで構成されている。
日本近代化の原点が萩(長州藩)にあり、工学教育の先駆者吉田松陰と明治の工業化に重要な役割を演じた長州ファイブ(井上薫、山尾庸三、遠藤謹助、井上勝、伊藤博文)らの業績が詳細に展示されている。「長州ファイブ」とは、1863年にイギリスに密航留学した先述の5人をさし、映画化もされている。
旧萩藩校明倫館(本館:無料、2号館:大人300円)
井上馨は大阪造幣寮建設を指揮、初代の外務大臣、山尾庸三は工部省の設立、東京帝大工学部の開祖、遠藤謹助は大阪の初代造幣局長、井上勝は鉄道頭として新橋横浜間の鉄道開通に尽力、伊藤博文はファイブ唯一の松下村塾門人、初代工部卿、鉄鋼業中心に工業国家日本の礎を築き、初代総理大臣、といづれも明治新政府等で活躍した。
長州FIVEの面々 日本近代化の原点「萩」の紹介冊子 藩校明倫館の正門「南門」
最後に訪れたのが、観光客で賑わい整備が進む松陰神社。松下村塾と吉田松陰幽因の旧宅には多くの観光客が説明を受けるなど、賑わっている。吉田松陰誕生地と墓所の近くに歌人吉井勇が昭和30年に萩に来て詠んだ歌碑がある。
松陰神社 吉田松陰幽因の旧宅 松陰が過ごした3畳半の部屋
以前展示されていた松陰江戸送りの駕籠 松下村塾 お馴染みの塾生たちの写真
(左)松陰、両親への永訣の一首「親思うこころにまさる親ごころ きょうの音ずれ何ときくらん」
(中)萩を見下ろす高台の吉田松陰の墓
(右)吉田家歴代墓所前の歌人吉井勇の歌碑「萩に来て ふとおもへらく いまの世を 救はむと起つ 松陰は誰」
明治維新の原動力となった立役者たちを訪れ、整備が進む萩の街だが、一方で萩藩三代藩主毛利吉就が建立した毛利氏菩提寺の黄檗山東光寺は、人影少なく寺の傷みも目に付き、松陰神社とは大いに対照的であった。
1691年萩藩三代藩主毛利吉就建立の毛利氏廟所東光寺 解説書 NHK大河ドラマ「太閤記」タイトルの鬼瓦(右から2番目)
東光寺 毛利氏正統廟所 甲子殉難烈士墓所(1864年禁門の変)
今宵の宿は、萩市街の北方、海に突き出た笠山の中腹にある萩観光ホテル。市内からここに至る191号線沿いに世界遺産「萩反射炉」「恵美須の鼻造船所跡」がある。
《萩温泉郷 萩観光ホテル》
萩で掘削された8つの泉質がある萩温泉郷。萩観光ホテルは、そのうちの一つ「はぎ温泉(カルシウム・ナトリウム-塩化物冷鉱泉)」の宿。笠山からの眺めは最高で、露天風呂には運が良ければタヌキの親子が遊びにやってくると言う。
笠山中腹の萩観光ホテル 部屋からの眺め(ミニ函館のような)
宿泊プランは、「お二人様限定3特典付き大切な人と特別な日を・萩恋紀行」。
個室での河豚と鮑を中心の会席に大満足。夜は会席、朝はバイキング形式が多い最近の旅館だが、朝食も個室で和朝食が提供されたのはうれしい。残念ながら4回露天風呂に入ったがタヌキ親子との遭遇はなかった。
時々タヌキの親子がやってくると言う露天風呂 萩恋紀行のお品書き