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故宮と鼎泰豊と理容店と -台北- 99.07.11
朝食をホテル近くの道端屋台で済ませ、故宮へ向かおうとするが、行き方が分からない。大通りで若い女性を探して?道を尋ねるが、意思疎通がいまいち。要はここから直行出来るバスはなく、一旦台北駅まで行って北門から304番バスに乗りなさいということらしい。
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(左)ホテル近くの大通りの屋台で朝食 (右)故宮博物院への行き方を若い女性に教えて貰う(バス停にて)
故宮博物院全景
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(左)故宮博物院 入場チケット (右)故宮博物院を背景に
中国の歴代皇帝が収集した約70万点に及ぶ秘宝を収蔵する「故宮博物院」。その生い立ちは苦難の逃避行でもあった。
蒋介石の国民政府は博物院の所蔵品・重要文物を戦火や日本軍から守るべく、1933年2月から5月までの間に1万3,427箱と64包に及ぶ所蔵品を北京から上海経由で南京市へ、1937年には再び運び出されて四川省の巴県・峨嵋山・楽山の3カ所に避難させた。
第二次世界大戦後、所蔵品は重慶を経て再び南京・北京に戻されたが、国民党と共産党の内戦激化に伴い、1948年秋に国民党の中華民国政府は2,972箱に及ぶ所蔵品を精選して台北へ運んだ。
台北市の國立故宮博物院の誕生である。従って、元々の秘宝類は台北、北京、南京の3ケ所に分散保存されている。
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(左)博物院一番人気の「翠玉白菜」 (右)予想よりもはるかに小さい「肉形石」
故宮博物院を堪能した我々は、「忠烈祠」に向かうバスに飛び乗った。うまく行けば1時間ごとに行われる衛兵の交代式が見れるかも。
忠烈祠は、1969年に建造された辛亥革命や抗日戦争で亡くなった33万柱の英霊を祀っている。巨大な本殿は、北京紫禁城の「大和殿」を模したもの。その前でタイミングよく衛兵の交代式を見ることが出来たが、この衛兵達は兵役義務の若者から厳選されたエリート達だそうな。
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(左・右) 「忠烈祠」衛兵の交代式
再びバスで台北駅まで戻り、空腹を満たす。これからは、歩け!歩け!の市内観光。まずは広大な「二二八和平公園」を通り抜けて「中正記念堂」へ。蒋介石総統を偲び、11年の歳月を費やして完成させた巨大記念堂。
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(左) 中正記念堂 (右) 蒋介石総統の巨大ブロンズ像
国立戯劇院と国立音楽庁
25haという広大な敷地に青天白日を表わす青い瓦に白い大理石の壁を持つ高さ70mの記念堂がその威容を誇っている。内部にはここでも衛兵に守られた蒋介石総統の巨大ブロンズ像が圧巻である。記念堂の左右には黄色い屋根瓦の国家戯劇院と国家音楽庁の建物が調和を醸し出している。
日本統治時代に7年の歳月を投じて完成した赤レンガの綺麗な総督府等、ぶらつく足にお疲れが。ホテルに戻ると今宵の相談が始まる。小生は明日帰国するが他の4人はもう2泊するので、今夕は小生がどうしても行きたい小籠包の「鼎泰豊」に行くことに。さすがにこれから歩いてとは誰も言わず、掟破りではあるがタクシーに分乗して鼎泰豊へ。
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(左)小籠包の超有名店「鼎泰豊」常に行列が出来る (右)「鼎泰豊」のお品書き
日曜日の夕刻、沢山の人垣が店の前に出来ている。20分ほど待って、ようやく2階の席に着くことが出来た。熱々の蒸篭で運ばれてきた数種類の小籠包は瞬く間に胃袋の中に。いつも屋台でしか食べない4人組は、「たまにはこんな夕食もええなあ!」と。
食後は再びタクシーでホテル近くの龍山寺へ。夜でも熱心な信者が沢山お参りをしている。博打の神様も祭られているので、しっかりお参りをして華西街夜市をぶらつく。ここも多くの観光客で賑わっているが、若い世代は士林夜市が圧倒的に多い。とある果物屋で大量に新鮮な果物を購入してホテルに戻って酒盛りをするという。
夜も賑わう龍山寺
小生は最期の夜でもあり、歩き疲れた身体を癒しにマッサージに行きたいが、賛同者がいない。しからば、と以前行ったことのある足踏みマッサージ屋「帝國世界視廳理容名店」に単独行。日曜日の夜ということもあってか、お客はさほど多くない。温シップ付き120分全身マッサージコース(2000元)を選択。
足踏みマッサージ(イメージ写真)
担当は35歳前後の日本語堪能な小姐だが、指の力は強くて念入りなマッサージをしてくれる。
この部屋には3ベッドあるがこの部屋のお客は小生だけ。日本語が堪能なだけに結構会話がはずむ。マッサージ、温シップが終わると今度は足踏みマッサージ。天井にぶら下がりながら適度な体重をかけて微妙につぼを刺激する。
あっという間の2時間コースを終了し、ホテルに戻ると既に4人は夢の中。
皆と一緒に遅めの朝食を取った後、台湾の温泉にでも行くかという4人組と別れて、タクシーで台北駅へ、さらにリムジンバスで空港へ。午後2時15分発のEG212便は午後5時50分に関西空港着。
あの4人組は今頃温泉につかってまた屋台で夕飯でも食っているのかなあ?
故宮と鼎泰豊と理容店と -台北- 99.07.11
朝食をホテル近くの道端屋台で済ませ、故宮へ向かおうとするが、行き方が分からない。大通りで若い女性を探して?道を尋ねるが、意思疎通がいまいち。要はここから直行出来るバスはなく、一旦台北駅まで行って北門から304番バスに乗りなさいということらしい。
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(左)ホテル近くの大通りの屋台で朝食 (右)故宮博物院への行き方を若い女性に教えて貰う(バス停にて)
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(左)故宮博物院 入場チケット (右)故宮博物院を背景に
中国の歴代皇帝が収集した約70万点に及ぶ秘宝を収蔵する「故宮博物院」。その生い立ちは苦難の逃避行でもあった。
蒋介石の国民政府は博物院の所蔵品・重要文物を戦火や日本軍から守るべく、1933年2月から5月までの間に1万3,427箱と64包に及ぶ所蔵品を北京から上海経由で南京市へ、1937年には再び運び出されて四川省の巴県・峨嵋山・楽山の3カ所に避難させた。
第二次世界大戦後、所蔵品は重慶を経て再び南京・北京に戻されたが、国民党と共産党の内戦激化に伴い、1948年秋に国民党の中華民国政府は2,972箱に及ぶ所蔵品を精選して台北へ運んだ。
台北市の國立故宮博物院の誕生である。従って、元々の秘宝類は台北、北京、南京の3ケ所に分散保存されている。
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(左)博物院一番人気の「翠玉白菜」 (右)予想よりもはるかに小さい「肉形石」
故宮博物院を堪能した我々は、「忠烈祠」に向かうバスに飛び乗った。うまく行けば1時間ごとに行われる衛兵の交代式が見れるかも。
忠烈祠は、1969年に建造された辛亥革命や抗日戦争で亡くなった33万柱の英霊を祀っている。巨大な本殿は、北京紫禁城の「大和殿」を模したもの。その前でタイミングよく衛兵の交代式を見ることが出来たが、この衛兵達は兵役義務の若者から厳選されたエリート達だそうな。
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(左・右) 「忠烈祠」衛兵の交代式
再びバスで台北駅まで戻り、空腹を満たす。これからは、歩け!歩け!の市内観光。まずは広大な「二二八和平公園」を通り抜けて「中正記念堂」へ。蒋介石総統を偲び、11年の歳月を費やして完成させた巨大記念堂。
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(左) 中正記念堂 (右) 蒋介石総統の巨大ブロンズ像
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25haという広大な敷地に青天白日を表わす青い瓦に白い大理石の壁を持つ高さ70mの記念堂がその威容を誇っている。内部にはここでも衛兵に守られた蒋介石総統の巨大ブロンズ像が圧巻である。記念堂の左右には黄色い屋根瓦の国家戯劇院と国家音楽庁の建物が調和を醸し出している。
日本統治時代に7年の歳月を投じて完成した赤レンガの綺麗な総督府等、ぶらつく足にお疲れが。ホテルに戻ると今宵の相談が始まる。小生は明日帰国するが他の4人はもう2泊するので、今夕は小生がどうしても行きたい小籠包の「鼎泰豊」に行くことに。さすがにこれから歩いてとは誰も言わず、掟破りではあるがタクシーに分乗して鼎泰豊へ。
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(左)小籠包の超有名店「鼎泰豊」常に行列が出来る (右)「鼎泰豊」のお品書き
日曜日の夕刻、沢山の人垣が店の前に出来ている。20分ほど待って、ようやく2階の席に着くことが出来た。熱々の蒸篭で運ばれてきた数種類の小籠包は瞬く間に胃袋の中に。いつも屋台でしか食べない4人組は、「たまにはこんな夕食もええなあ!」と。
食後は再びタクシーでホテル近くの龍山寺へ。夜でも熱心な信者が沢山お参りをしている。博打の神様も祭られているので、しっかりお参りをして華西街夜市をぶらつく。ここも多くの観光客で賑わっているが、若い世代は士林夜市が圧倒的に多い。とある果物屋で大量に新鮮な果物を購入してホテルに戻って酒盛りをするという。
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小生は最期の夜でもあり、歩き疲れた身体を癒しにマッサージに行きたいが、賛同者がいない。しからば、と以前行ったことのある足踏みマッサージ屋「帝國世界視廳理容名店」に単独行。日曜日の夜ということもあってか、お客はさほど多くない。温シップ付き120分全身マッサージコース(2000元)を選択。
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担当は35歳前後の日本語堪能な小姐だが、指の力は強くて念入りなマッサージをしてくれる。
この部屋には3ベッドあるがこの部屋のお客は小生だけ。日本語が堪能なだけに結構会話がはずむ。マッサージ、温シップが終わると今度は足踏みマッサージ。天井にぶら下がりながら適度な体重をかけて微妙につぼを刺激する。
あっという間の2時間コースを終了し、ホテルに戻ると既に4人は夢の中。
皆と一緒に遅めの朝食を取った後、台湾の温泉にでも行くかという4人組と別れて、タクシーで台北駅へ、さらにリムジンバスで空港へ。午後2時15分発のEG212便は午後5時50分に関西空港着。
あの4人組は今頃温泉につかってまた屋台で夕飯でも食っているのかなあ?
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