私は、工業高校を卒業して環境試験装置の会社に入った。
当時は中小企業で、木骨で作った冷蔵庫のような製品もあったような気がした。
会社の中に、風呂場もあったように記憶している。
その後会社は、一流メーカや、国からの受注もあって、会社はどんどん大きくなった。
入社後10年近く立った頃、本社機能は残し、兵庫県の工場団地に工場を移転する話が進みだし、技術部は移転対象になっていた。
当時私は、設計―製造―検査―開発と様々な部門を移動したが、ほとんどは設計開発部門にいて、それなりに高い技術も持っていて、仕事にも満足していた。
私は、生まれ育った大阪市を離れたくなかった。
そして、年末の人事移動の時、将来的に移動したくないということで、辞表を提出した。
すると、同じ設計チームに配属の決まっていた後輩の数名もやめると言い出したので、一ケ月ずつずらしてやめることになり、私は1月に会社を辞めた。
初めての、無職を体験した時は、落ち着かなかった。
後で、展示会場で私の一ランク上の上司に会った時に聞いた話では、部長は私がどこかに引き抜かれてやめると思っていたという。
それなりのたくわえは、あったが不安ですぐに職安に行き、手続きをした。
職安の紹介では、小さな会社が多かった。
一方新聞広告に、技術者募集で、私にピッタリの仕事が数社出ていたが、それはいつも打合せをしていた計測器メーカーで、応募しようか迷ったがやめた。
職安ではいいところが無いので、人材センターに登録した。
すると、待遇もいいが、一年間缶詰で社内教育を受けてから仕事をするという条件で、私がOKすれば入社できた。
当時やっとICが普及し始めた頃で、今から思えば、そこは半導体製造に欠かせない機械を作っていて、最先端の技術が集積されている装置メーカーだった。
私は、最先端の技術にしり込みし、そうした一流企業を断り、逆に小さいところで技術を生かしてみようと考えるようになった。
その後、職安で仕事探しに励み、東大阪の中央環状線沿いにある町工場と面談した。
センター興行といって、その昔石炭ストーブを作って大儲けしていたというのだ。
そこは、元一部上場企業で、当時再建が決まり再出発したところで技術者が必要で、今後会社も規模拡大させる予定だという。
当時は農事用温暖機や石油ファンヒーターを作っていた。
4月にその会社に入社し、一月に伸び盛りの環境試験装置の会社を辞めて以来、始めて経験した2ヶ月間の無職の時代は終わった。
その会社では、ある程度仕事が自由に出来て面白かったし、様々なことを経験した。
経営状態は、経営者に問題があったのか、急速に経営が悪化し賃金の未払もあり、労働争議も経験した。
その会社は、4―5年後再び倒産した。
その後のことは知らない。
「思い出・生き方・生活住環境」(このブログは左記リンクのカテゴリー別「思い出・生き方・生活住環境」ホルダーに収納しています。)(自分のメモとして)
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当時は中小企業で、木骨で作った冷蔵庫のような製品もあったような気がした。
会社の中に、風呂場もあったように記憶している。
その後会社は、一流メーカや、国からの受注もあって、会社はどんどん大きくなった。
入社後10年近く立った頃、本社機能は残し、兵庫県の工場団地に工場を移転する話が進みだし、技術部は移転対象になっていた。
当時私は、設計―製造―検査―開発と様々な部門を移動したが、ほとんどは設計開発部門にいて、それなりに高い技術も持っていて、仕事にも満足していた。
私は、生まれ育った大阪市を離れたくなかった。
そして、年末の人事移動の時、将来的に移動したくないということで、辞表を提出した。
すると、同じ設計チームに配属の決まっていた後輩の数名もやめると言い出したので、一ケ月ずつずらしてやめることになり、私は1月に会社を辞めた。
初めての、無職を体験した時は、落ち着かなかった。
後で、展示会場で私の一ランク上の上司に会った時に聞いた話では、部長は私がどこかに引き抜かれてやめると思っていたという。
それなりのたくわえは、あったが不安ですぐに職安に行き、手続きをした。
職安の紹介では、小さな会社が多かった。
一方新聞広告に、技術者募集で、私にピッタリの仕事が数社出ていたが、それはいつも打合せをしていた計測器メーカーで、応募しようか迷ったがやめた。
職安ではいいところが無いので、人材センターに登録した。
すると、待遇もいいが、一年間缶詰で社内教育を受けてから仕事をするという条件で、私がOKすれば入社できた。
当時やっとICが普及し始めた頃で、今から思えば、そこは半導体製造に欠かせない機械を作っていて、最先端の技術が集積されている装置メーカーだった。
私は、最先端の技術にしり込みし、そうした一流企業を断り、逆に小さいところで技術を生かしてみようと考えるようになった。
その後、職安で仕事探しに励み、東大阪の中央環状線沿いにある町工場と面談した。
センター興行といって、その昔石炭ストーブを作って大儲けしていたというのだ。
そこは、元一部上場企業で、当時再建が決まり再出発したところで技術者が必要で、今後会社も規模拡大させる予定だという。
当時は農事用温暖機や石油ファンヒーターを作っていた。
4月にその会社に入社し、一月に伸び盛りの環境試験装置の会社を辞めて以来、始めて経験した2ヶ月間の無職の時代は終わった。
その会社では、ある程度仕事が自由に出来て面白かったし、様々なことを経験した。
経営状態は、経営者に問題があったのか、急速に経営が悪化し賃金の未払もあり、労働争議も経験した。
その会社は、4―5年後再び倒産した。
その後のことは知らない。
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