散歩者goo 

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大河ドラマ「平清盛」初回を観て

2012年01月08日 22時59分04秒 | ネットSNSマスメディア・情報マスコミ
今回は、全体に男向けのドラマの感じがした。
「龍馬伝」は男向けの感じがしたが、その反動で「江」は明らかに女性好みと思われたが、「平清盛」は、初回を見る限り男好みに近いような気がする。

NHKのことなので、時代考証は丹念にやられているのだろう。
しかし言葉遣いは、そのまま平安末期の言葉を持ってきたのでは、ドラマにならないだろうが、武士と貴族と平民の言葉遣いの当時の香りが多少とも与えられているのか、気になる。
例えば、平清盛の少年時代に盗賊の息子と話すシーンがあるが、少年清盛は標準語で盗賊の子は関西弁だ。
宮中や、清盛の館では標準語である。
本来なら、多分全て関西弁であった可能性があるかもしれないが、京都らしさを出す為だけに、平民だけを関西弁にしたりしてこだわるより、全部標準語か、関西弁にしたほうが良いという考え方も出来るかもしれない。

また、清盛の父である平忠盛が市中を見回るときに、荒っぽく見せる為顔を汚しているが、任官されていて検非違使や従五位下の官位にあって最下層の貴族であるし、使用人も20名使っている、まして武家の棟梁の家柄のものが、そんなよれよれの格好で、顔も汚れて市中の見回りをしていたのだろうか。
当時、武士は、官吏として警備に当たるので、国の役人であり、ある程度の威儀を正して警備したのではないか。
民衆に対しよれよれの格好で警備していては、なめられるだろう。
今の警官に置き換えると、多分県警のトップ以上の地位だったのではないか。

ドラマなので、余り細かいことを言っても無駄だと思うし、必要以上に細部に忠実であれば、ドラマの面白さも失われる。
それでも、願わくば当時の時代背景や、風俗習慣を再現してもらったら、もっと面白くなるかもしれないと思う。
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酔ってバス停を見誤る

2012年01月08日 17時50分20秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日セルフソーアートギャラリーの新年会に遊びに行った帰りのことである。
9時過ぎに会場を出た。

来る時は出町柳から、バスで今出川通りを西へ千本今出川まで行った。
当然帰りもその逆を行けばよい。
以前にも、1―2回このコースで帰った事がある。

ほろ酔い気分で、千本今出川の交差点でキョロキョロしながらバス停を探した。
その前に先ず、今出川通はこちらと決めつけ、その方向を見るとバス停があった。

バス停に行って路線図を見るが、何本かの路線が走っているようだった。
しかし、路線図のバス停の名前までは暗くて読めなかったが、バスの番号は読め、206番もあった。
確か出町柳から千本今出川のバスも200番台だった記憶があり、バス停の位置に何の疑いも持たなかった。

バスを待ったがなかなか来ない。
時間のせいかと思いつつ時刻表を見ると、土曜日の夜9時以降は1時間に2―3本になっている。
9時半近くになって、やっとの206番の祇園行きのバスが来た。

祇園行きだから四条も通るのだろうと思いながら、バスに乗り前のほうの席に座った。
改めて、前回の帰りの時は、もっと何本ものバスの便があったような気がしたが、と思っていたが明確な疑問は持たなかった。
以前に乗った出町柳行きのバス停では、バスの便が多かったことや、バス停の路線図が読めたことをすっかり忘れていて、自分が乗ったバス停は、今出川通にあって、祇園行きのバスが走っているので間違いと信じ込んでいた。

三つ目のバス停で、車内アナウンスで千本鞍馬口と案内があった。
鞍馬口と聞いて、エー!!!北向きに走っている、と思い一瞬どうするべきか混乱した。
そのとき、鞍馬口の正確な位置は知らなかったが、よく叡山電車で鞍馬山から北山方面に年に十回以上のペースで何度も繰り返し山歩きで行っていたせいか、なぜか鞍馬口が今出川通りより北であると思ったのだ。
このバスは千本通を北上していることに間違いないとの思いを強くした。
それ以前に千本上立売のバス停でこのバスは停車しているが、そのときに千本通を走っていることに気付くべきであったが。

急いで運賃を用意し、運転席に行き、恐る々「このバスは、出町柳に行きますか?」と訊ねると、運転手は困った顔をしながら、「あんた間違いはったんやね。」と言った。
その一言で全て了解し、運賃を入れてバスを降りようとすると、運転手は手でさえぎり、路線図を渡してくれた。
運転手が、説明しようと言う態勢になったので、これ以上迷惑をかけてはまずいと思い、私は運転手に「これがあれば分ります、ありがとう」と言ってバスを降りた。

もう9時半を過ぎ10時に近くなる。
千本今出川まで歩くには距離がある。
念のため向かいのバス停に行き、時刻と路線を調べた。
幸い四条京阪から祇園へ行くバスがある。

酔って歩くのをやめて、そのバスを待つことにした。
バスが来て、四条京阪で京阪特急に乗ることが出来た。
JR玉造に着いたのは、11時を過ぎていた。
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日記のマンネリ防止

2012年01月08日 14時20分19秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
私の日記は、最近いつもダラダラと長く書いていて、時間も掛かっている。
読む人もいないだろうと思いが、余計に適当に気分の赴くまま筆を滑らせているせいだ。

このままの書き方では、進歩もないし、多分日記がどんどん長くなるような気がする。
これでは良くない。
文は人なりとも言うが、人間性のみならず、簡略に表現できることは実務的にも必要なことである。
例えば、資格試験でも百字とか数百字で、物事を説明する設問が多くあるし、コピーライトも短文で的確に表現する必要がある。

このような事を考えると、短文で物事の要点だけをまとめる技術を身につける必要があると思う。
短文できちっと説明するトレーニングをするために、日記でそれを実践してみようと思っている。
例えば、とにかく日記は約400字で一日の行動の概要を、まとめて書くようにし、そこで感じた話や詳細を改めてブログにして書くといったようなことを考えてみた。

ところでこの文を書きながら、短文と長文の差が気になり考えた。
短文と長文の差といえば、短文であれば、俳句、短歌、詩が思い浮かぶし、長文なら、エッセイや論文や小説が思い浮かぶ。
短文を凝縮して文学性の高い、俳句や短歌も含む詩歌は、感情の表現を凝縮した物とも言える。
エッセイや論文や小説は、長文で論理展開や物語を通じて、問題を説明・指摘や議論をしたり、何かを感じさせたり、感情表現をする。
詩歌の場合は、短文で情感や思いを暗示するが、その中に言葉や単語単位によるイメージの飛躍や遊びがある。
小説は時間的ながれ=ストーリーの流れがあるが、詩歌の場合はそのような流れや情感を短い言葉や単語に凝縮し断片化したものであるように思う。

このように見ると、日記の中に一定のルールを決めてその中に、詩歌や俳句や短歌・川柳も入れて自分で表現の可能性を探って行くのも面白いのかもしれない。
実際にするには、俳句・短歌・詩歌の経験もないし難しいかも知れないが。・・・・
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日記120107(図書館・第二回坂展)

2012年01月08日 12時33分03秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
午後までいつもどおりの食事と、ブログ書きで時間を潰す。
三度の食事とブログ書きやジムやプールといった生活サイクルの繰り返しに、最近マンネリを感じているるが、こらえ性が無いのかもしれない。

図書の返却準備をしつつ「坂展」に行くかどうか考えた。
結局、図書を返却して、そのまま京都へ向うことにした。

東成図書館には、多くの利用者がいた。
中央図書館で借りた本を返却し、新しく本を3冊借りた。

その後、京阪電車で出町柳へ出て、バスで千本今出川まで行った。
既に2―3度行っているので迷わず行けた。

酒井さんの作品は、文字が中心だった。
会場内はコタツを中心に車座になり、酒宴たけなわであった。

新年会参加者には、顔見知りも多かった。
フェイスブックの話題で、お友達が増えた。

帰りにバスを間違え、時間をロスした。
帰宅は12時前だった。
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1月7日(土)のつぶやき

2012年01月08日 01時33分07秒 | 携帯メール投稿・つぶやき twitter
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日記120106(食材買物・友人と飲食) http://t.co/RwYCPlaO
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岡力氏と再会して、その成長にびっくり http://t.co/1ZNaHcs9
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