散歩者goo 

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昨日記130415月(20/13晴 ツバメ 韃靼疾風録読了)

2013年04月16日 15時46分26秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、いつものようにブログを書き、買物に行く変化のない日であった。

大きな変化はないが、ブログを書くにしろ、買物で出合った光景等、小さな変化はあるのだろう。
多分、日常生活の中にも様々な出来事があり、心のひだや、論理的に考えると政治経済社会・・・等も含め存在するが、それらは見ようと努力しないと、見えてこないようだ。
実際、少し前になぜか短歌や俳句を詠みたい気になったが、そのときはちょっとしたことにも何か感じるところがあった。(うまい、下手は別にして、たまにそういう時期が時々ある。)
今は、なぜか分からないがそのような気持ちがわかないし、あえて見ようともしていない。
やはり、いつも様々なことを見るように、意識する努力を継続するしかないのだろう。
確かに、先ほどまで平凡すぎて何も書くことがないなと思っていたら、何かを見ようという思いで掘り起こせば見つかった。

そういう見方で昨日の出来事を振り返ると、二つの印象に残ったことがあった。
一つは、ツバメである。
夕方、1kmほど離れたスーパーに行ったとき、スーパーの軒下に2羽のツバメが去年巣のあったところにとまっているのを見た。
真っ黒な羽が、美しくみずみずしく見えた。
今年始めてみたツバメである。
多分初飛来はもっと早かったのだろうと思う。
去年の親鳥か若鳥か分からないが、又戻ってきて長旅ご苦労様、という感じである。

はじめ2匹が並んでいたが、一羽が巣から少し離れたところに移動、残りの一羽は巣に潜り込んで、居心地を確かめるように、しばらくの間巣繕をした後巣を飛びだった。
又秋になるまで、1-2度子育てをして再び秋に、南へ旅立つのだろう。

もう一つは、夕方からファストフードで読書していたが、司馬遼太郎の「韃靼疾風録」の上下2巻を読了した。
清の胎動期から成立までを描いていた。
小説の中にも、作者が取材した歴史的なことが随所にちりばめられていて、読んでいて楽しかった。

更にあとがきでも、様々なことが語られていた。
この小説を書くのに、司馬さんがモンゴル語を学んでいたことが大いに役立ったようだ。
この小説を読んで、満州が地名でなく、女真人の王であるホンタイジ(太宗)が女真という呼称を嫌がり、民族呼称として自分たちのことをマンジュ(満州)と称していたことを知った。

小説の中では様々な歴史的知識や民俗学的知識が語られていた。
例えば、満州は、文殊菩薩から来たらしい。
そして彼ら女真人は、清朝成立以前に一時後金とも国名を名のったが、愛新覚羅のアイシンは満州語で金という意味だそうだ。
清朝成立時、満州人の人口はたった5-60万人程度で、億単位の中国を統治したという。
人数の少なさを解消するために、女真軍の軍隊は、女真人とモンゴル人と漢人の3つの部隊で構成されていたという。

朝鮮と日本や女真人の関係も触れられていた。
朝鮮の人たちにとって、中国が儒教の教えから中心の尊敬すべき見習う国で、日本を含む周辺国は、朝鮮より下等の野蛮な国としてあったという。
それが、秀吉の朝鮮出兵以来、日本は下等な最も卑しい国と認識されるようになったという。
江戸時代の朝鮮通信使の頃の朝鮮の知識人たちは、日本人を動物に似た扱いで認識していたという。
17世紀の申維翰(しんいかん)という人が書いた日本紀行「海游録」(平凡社「東洋文庫」)の著述に、日本人に対する彼の見方が出ているという。
そういう意味で、朝鮮人の反日意識は、植民地時代よりはるか以前の歴史的な背景の上に、植民地時代の屈辱が加わった、非常に強いものであることも初めて知った。

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