昨日は、目覚ましで起きたのは良いが、目覚ましを消した後2度寝したらしい。
幸い6時25分ぐらいに再び目覚めて、あわてて朝食の準備をした。
昨日は、スポーツセンターも休みで行かないし、更に日曜の23時ごろから25時頃まで映画のことを思い起こして夢中になって、寝るのが遅くなって寝不足気味で、出かける予定もないので、なんとなく終日メリハリなく半ば休日モードで過ごしてしまった。
これも、年金生活者の特権と居直ろうとするが、貧乏性のせいか、心の片隅ではもっと働き勉強しろという声がある。
そもそもこのブログ自体そうである。
別に書かなくても、社会に対し何の影響もなく、単なる達成感や自己満足のために書いていることになる。
しかし、よく考えて見ると、そのような論法を敷衍すると、芸術とか文化とか、実業(工業 農業 商業 医療介護 法律 娯楽サービス産業・・・・)に関係しないことは、不要ということになる。
このことに関して、考えながら書いていると長くなったので、別ブログで掲載する。
そんなわけで、終日のらりくらりと過ごしたが、夕方にはいつものようにファストフードに行って本を読んだ。
ファストフードでの読書も、全くその必要はないのであるが、こういうダラダラと終日過ごす日には、ある意味これを半ば私の心の中で義務化することにより、アンカーとアクセントとしての行事の役割もはたしている。
そのような、アンカー兼アクセント行事としては、昨日記やジム・プール通いがある。
このようなアンカー行事はやってもやらなくても良いことだが、私の中では、ルーチンとしてやることにした。
しかし、やれなくてもかまわない、休んでもその後復活すればよいとしたのだ。
そのおかげで、アンカー行事は、休むことも多いがそれでも細々と続いている。
継続が大事なのだ。
ついでに今読んでいる本の途中経過をメモしておく。
5世紀から6世紀の日本が、大王から天皇へと支配を強化していく過程がなんとなく見えてきた。
雄略の頃は、まだ強い支配権は確立しておらず、連合王権の色彩を残していたようだ。
地方の豪族は、その地方の支配権を握っていた。
その後、磐井の乱の後から、大和が地方の豪族への支配を強めるようになった。
国造や伴部や舎人等地方の掌握の仕方が5世紀から6世紀にかけて大きく変化していき、大和朝廷の形を整えていった。
この間朝鮮半島のいわゆる任那の伽耶諸国や高句麗・百済・新羅の情勢も反映している。
渡来人が多く来た時期は、韓半島の情勢と密接に関係している。
5世紀ごろには、伽耶諸国で倭と韓の混血の子が多くなり、その地の官人や首長になったりしている。
幸い6時25分ぐらいに再び目覚めて、あわてて朝食の準備をした。
昨日は、スポーツセンターも休みで行かないし、更に日曜の23時ごろから25時頃まで映画のことを思い起こして夢中になって、寝るのが遅くなって寝不足気味で、出かける予定もないので、なんとなく終日メリハリなく半ば休日モードで過ごしてしまった。
これも、年金生活者の特権と居直ろうとするが、貧乏性のせいか、心の片隅ではもっと働き勉強しろという声がある。
そもそもこのブログ自体そうである。
別に書かなくても、社会に対し何の影響もなく、単なる達成感や自己満足のために書いていることになる。
しかし、よく考えて見ると、そのような論法を敷衍すると、芸術とか文化とか、実業(工業 農業 商業 医療介護 法律 娯楽サービス産業・・・・)に関係しないことは、不要ということになる。
このことに関して、考えながら書いていると長くなったので、別ブログで掲載する。
そんなわけで、終日のらりくらりと過ごしたが、夕方にはいつものようにファストフードに行って本を読んだ。
ファストフードでの読書も、全くその必要はないのであるが、こういうダラダラと終日過ごす日には、ある意味これを半ば私の心の中で義務化することにより、アンカーとアクセントとしての行事の役割もはたしている。
そのような、アンカー兼アクセント行事としては、昨日記やジム・プール通いがある。
このようなアンカー行事はやってもやらなくても良いことだが、私の中では、ルーチンとしてやることにした。
しかし、やれなくてもかまわない、休んでもその後復活すればよいとしたのだ。
そのおかげで、アンカー行事は、休むことも多いがそれでも細々と続いている。
継続が大事なのだ。
ついでに今読んでいる本の途中経過をメモしておく。
5世紀から6世紀の日本が、大王から天皇へと支配を強化していく過程がなんとなく見えてきた。
雄略の頃は、まだ強い支配権は確立しておらず、連合王権の色彩を残していたようだ。
地方の豪族は、その地方の支配権を握っていた。
その後、磐井の乱の後から、大和が地方の豪族への支配を強めるようになった。
国造や伴部や舎人等地方の掌握の仕方が5世紀から6世紀にかけて大きく変化していき、大和朝廷の形を整えていった。
この間朝鮮半島のいわゆる任那の伽耶諸国や高句麗・百済・新羅の情勢も反映している。
渡来人が多く来た時期は、韓半島の情勢と密接に関係している。
5世紀ごろには、伽耶諸国で倭と韓の混血の子が多くなり、その地の官人や首長になったりしている。