散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

釣銭と思い違い(追)

2016年06月18日 12時15分33秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
とある受付で支払いの時である。
2110円ですと言われ、2110円をトレイに置いた。
トレイの上のお金を受付嬢が引き取ると、下に明細書がありそこには2060円とあった。
え!と思い、私は明細書の金額を指さして受付嬢に尋ねようとした。
間髪入れずに、明細書の上に50円が置かれた。
聞き間違いだったのか、受付嬢の親切なのか?・・・・


ここで、過去の事を考えてみた。
以前にも、何度か書いたが、私はよく忘れものをする。
サラリーマンの頃は、そうしたことは絶対許されないので、常に手帳にメモすることが習慣となった。
だが、高校は、メモの習慣もなく宿題はよく忘れ、常に先生に怒られていた。
宿題には関心がなかったようだと、いうより、勉強が好きではなかったのだ。

学生時代も、本は人並みに読んだが、どちらかというと教養のために読む意識、即ち中学校の校長がいつも朝礼で語った、ジェントルマンになれ、という訓示の影響を受け、(古い)教養を身につけなければいけないと信じ込んでいて、美術も、クラシック音楽も、文学も、背伸びして哲学らしきものも、いわゆる大人の文化芸術を身につけなければいけないと思っていた。(当時の中学校は非常に荒れていて、他校との暴力事件も多発して警察沙汰にもなっていた。しかし進学に力を入れ、周囲を非常に驚かせる結果を出した。)
そして精神貴族を目指したのだ。
ところが、同じレベルの連中が、進学校へ行き、私は工業高校に進学し、その時大きな挫折感を味わった。
工業高校では、好きな芸術科目は一切なかった。
そんなわけで、1年生の時は勉強に身が入らず、様々な理数系の公式も興味がないので覚えられなかったし、覚えてもすぐに忘れた。(今は職業柄もあって、理数・工学には強い興味や愛着がある。)
そんなこともあって、高校1年生の時は、記憶力が悪くて惨めだった。
又、私の場合、人の名前もなかなか覚えられないし、覚えてもすぐに忘れる癖があり、今もそうである。
(それでも、文部省の中学校の学力テストは、暗記問題が少なかったのか全く問題なかった。)

2年生になって、成績が悪いと就職できないということに気付き、覚えることに努力したが、大変だった。
よく理数系は、暗記より理論だと言われるが、基本の公理公式は、絶対に暗記又は誘導できないと、展開応用が出来ないので、ある程度の暗記力は必要であることが分かり、それが苦痛だった。
ただ、2・3年の時に担任が若い情熱的で人生経験豊富で頭も切れる国語の先生だったのが救いで、学級日誌は持ち回りで書くのだが、赤裸々な話がよく書かれていて、その話題を先生がホームルームで取り上げ、先生の体験談や世間の常識も交えた話が、生徒と先生の間で自由に飛び交い、ホームルームは非常に楽しかった。(その先生は、他校で不慮の死を遂げられたと聞いた。)
物忘れに関連した余談が長くなったが、このように宿題も含め物忘れが若い時からよくあった。

ところで、ここ2-30年で脳科学が飛躍的に進歩し、記憶に関してもいろいろ分かってきた。
そのことを参考に、自分にあてはめ検証してみると、まず長期記憶は問題なさそうだということに気付いた。
というのは、学校で習ったことや、古い記憶や、本で何度も繰り返し読んだり聞いたりしたこと(例えば考古学的な遺跡や考古学的な学説とか、それ以外の分野の学説等)は、よく覚えている。
しかし、暗記とか、複数の事を同時に実行しながら初めに言われたことを思い出すとか、前日又は数日前に約束した後、大きな出来事があってそれに関心を集中した時は、忘れることが多いことに気付いた。
無論大切な約束は、聞いた後必ずメモするし、メモを見なくても思い出す。
結局、複数の事を考え実行ながら、初めの事を思い出す場合、忘れることが多いようだ。
即ち短期記憶で複数の処理をしながら、記憶を維持するのが難しいのかもしれない。
それを克服するため、たまにゲームの神経衰弱を楽しんでいる。

ところで、最初のエピソードでは、①請求金額を聞いた。(実は2560円のように聞こえた??) ②財布を開けお金を確かめた。 ③硬貨がたくさんあるのを確認。 ④硬貨が増えないように釣銭をもらうよう暗算をする。 ⑤千円札100円硬貨 50円硬貨 10円硬貨を確認しまず千円札を取り出す。⑥100円硬貨50円硬貨10円硬貨1円硬貨の中から適切な硬貨を選び、必要な枚数を財布から選りだして取り出す。⑦料金トレイに財布から取り出したお金を置く ⑧トレイ上の領収書を確認する。 といった様々な、意外に複雑な手続きが発生している。

これらの過程で、①の最初に聞いた金額と、④の暗算で計算した金額を、頭の中で混乱して取り違えた可能性も考えられ、その間違いを正しいと私が勝手に信じ込んでしまった可能性も捨てきれない。(2560円は単なる思い違いだった可能性が高い。)

こうしたことを防止するためには、①伝票の金額を確認し、②支払金額を復唱し ③必要なお金を出し、御釣りはいくらですねと確認しながら手渡す。という形にすれば、間違いは防げそうだ。


なお、認知症では、人が物を盗ったとか隠したという妄想が多発することが多いし、介護実習でもそうした場面を何度も見ている。
もしかして、私にも認知症の気があるのでは??(笑)

今回、ちょっと投稿内容に引っかかったので記事を追加しました。
(深夜2時前で書きながら、時間を気にしていました。時間の意識は健在ですが、明日は久しぶりに朝寝坊します。)
そういえば、明日(今日)はプチ断食の予定なので丁度いいかも。
しかし、出かけて行った先で、お菓子がでれば、どうしたものか??
前回のプチ断食では、ギャラリーで親しいF氏のお酒も断ったのだが。・・・


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昨日記160614火(自動延長停止検討 ネット・電話・TVセット料金 ジム・ランニング)

2016年06月15日 17時07分09秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇  最高/最低℃ =29.1  21.0
先月ノートンのウイルス対策ソフトが、自動引き落としになっているので、定価通りの金額でクレジットから引き落とされた。
普段、毎日メールを見ずに長い時は1週間見ないときもあるが、たまたま長い間見ていなかったときにメールを整理していたら、ノートンからの通知があったことに気付いた。
しかしその時は、自動引き落としの解約期限を過ぎていて、手続きに入りましたという通知も来ていた。
これは私が悪かったのだが、前年度分は割引がついていて喜んでいて、今年も同じ条件と思ったら定価通りだった。
定価同笠なら家電量販店に行って、違いウイルスソフトを使うか、もしくはNTTの回線は自動的にウイルス対策ソフトを組み込んでいるというので、このパソコンに入れる対策ソフトを無くしてもいいと思っている。

そういうこともあって、この日の朝、ノートンのウイルス対策ソフトの自動延長を止める手続きを調べた。
結局長い時間かけて分かったことは、どうやら自動延長の通知が来た時に、自動延長を継続しない手続きをするようになっているらしいことが分かったので、来年の3-4月ごろに再度チェックするようにした。

ついでに現在ネットと電話とTVで8000円余りNTTに支払っているが、以前使っていたイオ光にすると安くなる、しかし、大家さんの正式な確認書類が必要とかいろいろうるさいので、結局そのままにしている。
これを、TVのパラボラアンテナを自分で取り付け、有線を止めて、固定電話とネットのセットだけで安く出来ないか検討中だ。
NTTもカード支払いにしているので、ネットや電話やTVの詳細を見るのに非常に複雑でわかりにくいのだ。
カードの支払い明細はクレジット会社として、それらのまとめた金額だけしか出ておらず、個別の明細はそれぞれの会社の明細を見なければならない構造になっていて、非常にわかりにくい。
特にTVは、フレッツTVとして安かったのに、途中から。フレッツTVが無くなり違う会社の管理となりトータルの料金(ネット・TV・電話)<携帯は別>も月8600円(フレレッツ光ネクスト隼)となっている。
TVは地デジの普通の局しか見ないし、映画やCSも見ない。
始めは安かったが、何か騙されたような気分である。
やはりTV・電話・ネットまとめてイオに変更した方がよいのかもしれないと思っている。
とにかく今後とも通信とTVの単純化を図り節減を考えたい。

ところで、メールに関してはサラリーマンや自営業をしていた時は、一日に何度もチェックしたものだ。
しかし世間の仕事と切り離されてからは、仕事のメールは無くなり、個人的なお知らせは、FBから入手しているので数日メールを見なくても全く困らない。
今でもメールは業者やウエブサイトやSNSからのお知らせメールやメールマガジンがたくさん来ているが、ほとんどは必要のないメールだ。

さてこの日の午後は昨日記を書き、夜にはジムに行きランニングを行った。
持久力は回復しておらず苦しかった。途中休みを入れて焼く30分余り走り、トータル4.3km程走ったが、帰宅後も疲れていた。

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昨日記160613月()

2016年06月15日 16時08分28秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇・雨  最高/最低℃ =26.4  20.7
この日は午後に食料品の買い出しに出かけた以外、特筆すべきことはなかった。

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昨日記160612日(モスキートトラップ )

2016年06月15日 16時01分56秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇  最高/最低℃ =28.0  21.0
この日の午前中、蚊に噛まれたので、以前新聞で紹介されていたモスキートトラップの制作をした。
記事のあった新聞を探して見当たらず、ネトで蚊の周辺の言葉を検索するとモスキートトラップにたくさんの記事があり、それを参考にした。
ドライイーストは、記事の内容が記憶にあったので、数日前に買っておいた。
効果がないという記事も多かったが、簡単なので作ってみた。

今年は蚊が少ないと思っていたが、やはり蚊が出る季節になった。
最近は、水たまりに錠剤を入れるだけで蚊の発生を抑制できる薬品が出来て、行政も使用して効果を上げているようで、町内会の回覧にも必要な人は、区役所でもらえるようなことが書いてあった。
その薬剤の効果は良いという話を、読んだことがあり、町内会では役員の人が下水や水たまりに薬を入れていったのかもしれない。
いつもならこの季節は、町内会の消毒作業(殺虫剤散布)があるが無くなった。

数が減ったとはいえ、蚊はいるようで現に刺された。
そこでとりあえず2個のモスキートトラップを作って室内の薄暗い隅に置いた。

いつもの夏は、電撃殺虫器の団扇型や誘導灯型を使って蚊を取っているが、なかなか効果がなく、この時期になると寝ている間に蚊に刺されることが多い。(以前は蚊取り線香や電子蚊取を使っていた。)
日中や夜でもどこからともなく飛んできて、見つけてもすぐに蚊は姿を消すので、蚊を確実にとるのは難しい。
何度も来る蚊には、殺虫剤を使うこともあるが、夜中の蚊には対処しようがなく困っていた。

我が家にはクーラーがなく、夏は、最低気温が32-3度(最高気温は36-9度)なので、東の台所と玄関の障子と居間の西の障子には自家製の網戸を入れ長屋の表と裏の通風を図っているので、本来網戸により蚊の侵入はないはずだが、必ず数匹侵入することが多く、先に書いたように一旦蚊が室内に侵入すると捕るのが難しいのだ。

ところが、もともと今年は蚊がいないのかどうか分からないが、モスキートトラップを仕掛けて以来蚊に刺されていない。
今後も様子を見たい。

午後は、溜まったレシートを記帳したり、冷凍ご飯を10食分製造したりした。

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訪問者数が極端に減った。

2016年06月15日 12時58分07秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
6月14日のこのブログの訪問者数は48人と急落した。
記録的な訪問者数の減少だ。
訪問者数の中には、検索サイト等のロボットも含まれているので、たまにこのブログを読まれている実質的読者の方の訪問者数はもっと少ないであろう。

ページビューも極端に落ちている。
あるグループが私の事を何かに利用しようとして監視していたというようなことはないと思うし、その心当たりもないが、私にそんな価値があることは考えられない。

いずれにせよ読者数が減ったことはちょっと寂しいが、私にとって何も変わることはなく気の向くままブログを書くだけだ。

読者数急落の原因について考えたが、最新の投稿「昨日記160611」が、考古学の話が中心で、美術関係の話は全くなかったので、そうしたことも考えられるのかとも思うが、今後の展開を見ないとわからない。

こうしたことに関連する話であるが、FBの友達はほとんどが美術関係者なので、このようなブログの話題の変化は、ブログの読者数にも変化を与えるのかもしれないが、仕方ないことだ。

趣味の現代美術鑑賞については、昨日記160609木(美術鑑賞と貧困とSNS 今井祝男展)に書いた通りで、経済的理由から近辺のギャラリー回りをすることが中心となるだろうと考えていて、今後交流範囲や美術に関する知識や情報量も狭くならざるを得ないと思っている。
現代美術の流れや方向性や作品の良しあしを考えることは、情報量の減少に伴い困難になるだろうし、物理的に限定された狭い範囲<地域限定>の美術の見方になるのだろう。
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昨日記160611土(弥生博セミナー「弥生の鉄 マクロ・ミクロから・・」)追

2016年06月14日 17時08分28秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇  最高/最低℃ =30.3  21.6
この日は、昼食を早めにとって、JR阪和線の信太山駅の西にある大阪府立弥文化博物館で行われるセミナー「弥生の鉄、マクロ・ミクロの世界から材質・履歴を考える」に出かけた。

信太山駅を出て踏切を渡り、駅の南西に出ると黄色く舗装された道があり、黄色の道に沿って15分ほど歩くと弥生時代の建物が復元された弥生の大集落・池上遺跡に行き、その直前に渡る国道を南に数十m歩けば、大阪府立弥文化博物館がある。

いつものごとく、家事食事に手間取り出発が遅れ、駅を降りてから、黄色い道を競歩のごとく速足で歩き、やっと2時15分過ぎに会場に着いた。
会場は満員で、ロビーの椅子席も満員に近かった。
弥生文化博物館のセミナーは、いつもこんな調子で、熱心な考古学ファンが詰めかけている。
出席しているファンの9割は男性で、中高年の人が7割以上を占める。
しかも、セミナーはかなり専門的であの多くは、多くの考古学関係の専門書を読んでいるということだろう。
多分、その中には大学関係者や、考古学関係者(教育委員会や調査発掘専門会社)も少なからずいると思われるが、同時に学校教員や定年退職後に、趣味で考古学古代史を研究している人も多いのだろうと思うが、その割合を知りたいと思う。
今回の発表内容は、論文を閲覧しないと知りえない情報も、多く含まれていると推測している。
その意味で、専門家が多数参加していてもおかしくない。
また、この博物館では、月に数回木曜大学(先着順自由参加)を開催しているので、その受講者も多くいると思われる。
とにかく、考古学関係のセミナーは、どこの会場でも、熱気むんむんの場合が多く、人気が高い。
ただし、平日の夜のとある大学系の会のセミナーに参加したことがあるが、参加者のほとんどが専門家だった。
しかし同じ会が日曜日に開催した、記念シンポジウムでは、高度に学術的な研究発表にもかかわらず、多くの人が詰めかけていて、専門家以外の考古学ファンも多かったのではないかと思われた。


今回の講師は日鉄住金テクノロジー(株)大澤正巳氏であった。
講座では、技術畑の金属学的話も多くあった。
B4の紙に14ページに印刷されたレジュメをテキストにセミナーは進んでいた。
レジュメ1ページに4カットのパワーポイントの図表や写真や解説文やコメントがついていて、非常に密度の濃いレジュメだった。
炭素含有量の違いによる、鉄の物性的違いや溶融温度の違いや、焼き入れや焼きなましの意味や鋳造技術や鍛造や鍛冶の技術に関しても説明されていた。
正直言って、文系の人にこうした技術的な話に付いてこれるのかと心配した。
だが、こうした地道な科学研究から弥生時代の実像が浮かび上がることは間違いない。
ここでセミナーの詳細はとても書き出すことはできないので、印象に残った話の主なものを書きだしてみる。
一時期注目されていた、集落の多くに鍛冶工房のある淡路島の五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)は非常に小規模な鍛冶遺跡で、大量に鉄器を供給するような遺跡ではないらしい。
この遺跡の鍛冶工具も原始的という話だった。(弥生時代の近畿には鉄器の大きな拠点はなかった?)

鉄は、弥生時代は北九州が中心で、古墳時代になると圧倒的に近畿が多くなる。
農耕具や武器でも、弥生時代の近畿では鉄器の出土量は少ない。
弥生時代中期の日本で出土している鉄器(BC5C=紀元前 5 世紀)の原産国は、中国の可能性が強い。(今まで、中国の歴史書の記述等から韓半島南部で倭人が居て鉄に絡んでおり、そこから輸入されていると思われていた。)
九州の弥生時代の鉄器を分析すると中国の戦国時代の可能性が強いものが多い。
東アジアの鉄器はBC8C中国の西周晩期の塊錬鉄が始まり(それ以前は隕鉄<隕石成分の多くが鉄の隕石>を利用していた。)
従って弥生初期は、鉄器はなく石器のみとなる。
(最近まで弥生時代の始まりは、稲作と同時に鉄器ももたらされたと言われてきたが、弥生時代の開始時期はBC800年から1000年という説が主流になっていて弥生時代<水耕稲作が始まった>初期には石器で稲作をしていたことになる。従って開墾、水田づくり、畦づくり、水路管理・堰の設置、倉の設置、農工具・鋤・鍬・斧・鎌・石包丁<鎌以前は石包丁で稲穂を摘んでいた。>は、すべて石器で行っていたことになる。)
九州の初期鉄器はBC5C頃中国で開発された加鍛鋳鉄の使用が始まり。
詳細を書くときりがないので、このあたりで置いておく。

鉄の話を聞いて、図書館から借りて弥生時代の最新研究書を読んでいるが、この日の話しや本から得た最新の研究情報を総合すると、弥生時代の詳細が最近かなりはっきりと見えてきたようだ。
しかし、はっきりと弥生時代の実像が見えてきた分、逆にわからなくなったことも多い。
例えば、弥生時代の文化は、地方によりかなり違っていたらしいことも分かっている。
地方によっては、縄文文化が色濃く残っている地方もあり、青森あたりは一時期稲作を取り入れたが、その後すぐに縄文時代と同じ生活に戻ったようだ。
弥生文化は稲作文化だが、その受け入れ方も地方により差があったようだ。
鉄の普及の仕方も、そうしたことと関係しているのかもしれない。

博物館で展覧会カタログが800円と安かったので購入し、帰宅途中ファストフードに寄りカタログをしばらく読んだ。



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昨日記160610金(副食食作り ジム・ランニング)

2016年06月13日 18時43分22秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =31.5  20.5
午前中古いブログを読み直し、美術についてのコメントを書いている私が書いたブログをピックアップし、ブログを種類別に編成しているリストに加える作業をした。
この日は、午後から西天満のギャラリーを回る予定だったが、服飾が全くないので作る必要があった。
仕方なく午後から副食作りをすることにした。

午後から副食作りを始め8食分を完了させた。
夜ジムに行きランニングをした。
時速8-10kmで30分間走り約4.3km走った。
非常に苦しく限界だった。
6月7日の記録を見ると、23分で3km走っている。
それ以前のランニングは10日以上前で、それ以前のランニングも練習が少なく、ランニングの持久力がかなり落ちていると思われた。
そういうことを考えると、この日のランニングは足にはオーバーユースの状態で、かなり無理な運動をしたと思う。
運動直後、かなり疲れたので、以前の記録を見てそのことが分かった。
PPSの問題もあるので、無理は禁物だ。
今後ゆっくりとペースを上げることにしよう。


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昨日記160609木(美術鑑賞と貧困とSNS 今井祝男展)

2016年06月13日 11時38分46秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇  最高/最低℃ =28.2  21.0
この日は夕方から、谷町6丁目近くにある+1アートに出かけた。
本当は、更に不二画廊や2kwまで行くつもりであったが、家事その他をしていて遅くなりとても回れる状態ではなくなった。
地下鉄で玉造から一駅ということに気が付き、自転車で行くべきであったと後悔した。

ところで、最近趣味で美術鑑賞を選択したのは、誤りであることに気付いた。
美術が嫌いになったわけではない。
観たい展覧会はたくさんある。
FBを見ていても面白そうな展覧会情報がいろいろ入ってくる。
ギャラリートークに行って作家の考えを聞きたい。
美術館の展覧会もいろいろ行きたい。

だが、美術を鑑賞するためには、展示している場所まで移動しなければならない。
美術館に入るには、入館料が必要である。
ギャラリーに行くにも交通費が必要である。
更に最新の、美術動向を調べたり考え方や見方を深めるために、読書は欠かせないが、最新の情報は本を購入しなければ得られない。(古い本は図書館にあるが、新しい本で質の高い本は、貸出中がほとんど)

こうしたことを勘案すると、総合的に見ると、生活保護以下の年金でやっと生活している貧困の独居老人にとって、美術鑑賞は全く分不相応な趣味であることに最近気付いた。
例えば、京都や神戸や奈良・和歌山のギャラリーや美術館に、月に何回も出かけるだけで生活に響く。
まして外食すると、費用が掛かるので、それを避けようと午後からの出発にすると、遠くのギャラリーはほとんど回れないし、美術館に入るのにも経済状態を勘案してからでなければ入れないし、まして図録の購入はよほどの覚悟(ほかの経費を削る:例えばそれ以後一定期間は、遠距離の場所に出かけない)がない限り無理である。
従って、そもそも美術鑑賞に関しては背伸びしていて、分不相応な趣味であり経済的に無理があったようなので、今後経済的に余裕のない時は、無理せず分相応に活動範囲を縮小し大阪市内のギャラリーのみに限定しようと思う。
(今までも、多少無理しながら、現実的に経済状況に応じて活動範囲を決めていた。)

こうしたことをマクロ的に考えると、SNSは、素晴らしい情報収集ツールであるとともに、情報自慢や承認欲を刺激する、欲望増幅装置だと考えている。
人々は、情報の波に飲まれ、自分を見失った時に、欲望増幅装置であるSNSにより更に刺激を受け、情報・自己承認欲や未達成感の飢餓状態に置かれるようだ。
多分それは、スマホ・携携中毒のいつも人につながっていたい、認められたいとか、ゲーム中毒の皆から認めてもらいたい、という自己承認欲とも共通する問題であろう。(SNS自体が携帯スマホの重要な用途の一つなので、当然のことだが。)

変な余談が長くなったが、+1アートでは今井祝男展を行っていた。
この展覧会を見ながら、いろいろ感じたことはあった。
そうしたことに関して、ギャラリーのオーナーがおられたので、わずかな政治的な話と、主に芸術的なことに関しいろいろ話が弾んだ。
文字そのものや、文学と美術の関係も、哲学的内容も含み面白い問題でもある。
また美術における、政治的社会的主張も美術表現の大きな位置を占め、多くの作家が名作を残している。
(ピカソのゲルニカ、キーファの一連の作品ドーミエの風刺画、日本の作家も多くの名作を残している。)
どのような表現手法をとるか、その表現方法こそが、美術家の力量を示すものだろう。
展覧会を見ながらいろいろ考えさせられた。

展覧会の帰りは、スーパーにより、副食の食材を買いそろえて帰宅した。

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昨日記160608水(セミナー「世界の台所」ルーマニア)

2016年06月12日 21時35分40秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇  最高/最低℃ =29.1  18.3
この日は、夜遅くなるので夜食は早く作る必要があり、翌日以降の食事も必要なので、とりあえず6食分の副食作りを行った。
夜になって、梅田のグランフロント大阪に向かった。
北韓1Fのカフェラボで、ナレッジキャピタルX国立民族学博物館のシリーズのセミナーが「世界の台所」というシリーズで行われていて、この日は「ルーマニアの食文化」というテーマで開催されていて、それに参加した。
講師は、新免 光比呂(国立民族学博物館・准教授)だった。

バルカン半島の主要国でありながら、詳しいことは知らなかったので興味があった。

1時間半の講座だったが、先生の体験談やスライドを交え非常に密度の濃い講座で面白かった。
先生は比較宗教学が専門ということで、ギリシャ正教会の話になると力が入った。
牧畜と牧童とキリスト教の関係で、信者の人が考えている羊のイメージの話は説得力があった。
ルーマニア人の多くが、抵抗せずに死ぬという考えが根底にあるようだという。
レジュメによると、ルーマニアの歴史は複雑で、古代にダキア人が住んでいて、その後ローマ帝国の属州ダキアになり、その後様々な国の支配を受けたようだ。
近代になってオスマン帝国から独立しルーマニア王国が成立したという。
第二次世界大戦後ソ連圏になり、その後様々なことがあり現在に至る。

歴史的に、ルーマニアの支配者層、即ち貴族や領主や商人は、ドイツ人やハンガリー人やユダヤ人が占めていたようだ。
牧畜産業と農民の関係性について質問したが、羊飼いは海岸平野の農民の羊を夏の間借りて、山に連れていき、シーズンが終わると元の飼い主に返すという半農半牧畜といった生活をしているという。
今回の講座も、食文化の話を含め、ルーマニアの社会文化の話は初めて聞く話ばかりで、とても複雑で面白かった。

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昨日記160607火(ジム・ランニング セミナー・北宋・汝窯青磁)

2016年06月09日 17時01分27秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇  最高/最低℃ =23.0  18.6
この日は、前日のプチ断食後に、ファストフードでハンバーガーを食べたり夕食以外に、チーズやアンパンも食べたりして、この日の朝から胃がなんとなくもたれた感じだった。
そのため昼食は軽くしようと思い、缶詰に期限切れまぢかのカップヌードルで済ませた。

この日は夜から、出かける予定をしていたので、食材の買い出しやジムに、早い時間に行った。
午後に副食が切れるのでスーパーに買い出しに行った。
夕方になってジムに行きランニングを行った。
ランニングは5月24日以来で、それ以前も走る時間がなかったといった理由でランニングのペースを落としていた。
元々ペースが落ちていた上に、長いブランクが出来たし、PPSの疑いのある筋肉痛も発生した。
従って、走るかどうかも迷ったが、とにかく走って体調をみることにした。

トレッドミルを使って、時速8kmから11kmのスピードで中心は時速9kmで約23分間で3km余り走った。
運動後、足の筋肉が疲労しているのがよくわかったし、多少疲労感もあった。

帰宅後、着替えて梅田のグランフロント大阪に向かった。
北韓1FのカフェラボでナレッジキャピタルX大阪市立東洋陶磁美術館のセミナー「中国北宋汝窯青磁の魅力」に参加した。
セミナーの趣旨は下記の催し物の解説であった。
「東洋陶磁美術館には今年の12月に台北の國立故宮博物院から、「人類史上最高のやきもの」といえる中国北宋時代(960~1127年)の汝窯青磁の至宝中の至宝が初来日します。そこで今回、中国陶磁の最高峰である北宋時代の汝窯青磁を通して、古陶磁の奥深い世界の一端をご紹介します。」
特に「汝窯青磁無紋水仙盆」の説明があったが、馴染みがなく、私の教養不足のために、も一つピンと来なかった。
北宋時代の汝窯青磁が素晴らしいということは理解できたし、オークションでもすごい価格がついていて、それだけの価値があるということはよくわかったが、私にそれほど強い興味がなかったこともあって、多少期待外れであった。
(それでも、15年ぐらい前までは、東洋陶磁に何度も行っていて、古代から清までの中国陶磁の美しさは十分味わっている。)


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昨日記160606月(プチ断食 読書)

2016年06月08日 16時36分44秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇  最高/最低℃ =28.2  17.8
この日は、朝からプチ断食をした。
ニュース等でアラブ諸国でラマダンが始まったことを知ったが、私のプチ断食はイスラムとは無関係で、健康のために2週間に一度朝食と昼食を抜いて、軽い飢餓状態にし体の状態をリセットし調子を整えようとするもので、たまにマスコミで紹介される断食の効果にヒントを得て、先月から始めたものだ。
毎回プチ断食後は体調がよくなるので、問題なければ続けてみようと思っている。

ただ経験的に朝食を食べないと、体が冷える。
それにお腹が空いていると、積極的に動こうという気にならない。
そんなこともあって昼過ぎまでTVを見て過ごした。
その後、空腹を我慢しながら、レシートを記帳したり昨日記を書いたりした。

夕方6時頃になって、足慣らしもかねて自転車で天満橋まで出かけた。
ファストフードでコーヒーやハンバーガーを食べながら、考古学関係の本を読みながらノートを取り、2時間余りその作業を行った。
寝る前は、気温も上がったので、マットレスの上の敷物を、毛布から敷きマットに変えた。

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昨日記160605日(卍字楼・原田要展 ジム・筋トレ)

2016年06月08日 10時46分09秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =25.6   18.6
この日は、午後から京都・深草にある卍字楼で行われている原田要展に行った。
足の状態がよくなったので、足慣らしには丁度良いと思った。
京阪墨染駅から卍字楼までは、京都教育大を通り坂道を20分余り歩かねばならない。
最後の100m前後の両側畑の上り道からの眺めは180度視界が開け、市街地から淀川対岸の愛宕山から山崎やポンポン山や遠くに六甲山系や北には北摂から北山に続く山並みが一望でき非常に気持ちよい。
そういう意味では、戦国時代ならこの地域は戦略上の要衝だったかもしれない。
同じような意味で、秀吉がこの地域の南に奈良方面も見通せる伏見桃山城を築いたのもうなずける。

卍字楼には、作家の原田要さんも居て、来客と雑談中だった。
原田さんの展覧会は、何度も見に行っていて、展覧会場で作品の事で質問したことも度々あり、顔見知りである。
この日も、来客の対応が一段落した時に、作品に関連して少し話を聞くことが出来た。
彼は、元々平面を目指していて、その後在学中に彫刻に移ったという。
そんなこともあって、絵画へのこだわりは強く、一連の造形作品は、絵画のキャンバスに相当するものだという考えだという。
従って、すべての作品に、彩色されている。
既にみた作品もいくつかあったが、見る環境により印象がかなり違う。
今回は、ホワイトキューブでなく純和室の中での展示で、光は主に自然光で、家の両側には縁側をはさみ解放された日本庭園がある。
原田氏の木彫をベースにしたペインティング作品に対し、日本家屋とその庭園とその自然採光という環境の親和性が高く、作品の良さを引き立たせるように感じた。
それは、床の間に飾られた作品が何の違和感もなく、床の間に美しくかけられているのを見ても実感する。

帰る途中で、いつもの店に寄りコヒー片手に本をめくり必要なデータや言説や議論・批判をノートしていった。
私の問題意識に沿う形でノートを取り始めたのは、先週あたりからであるが、ノートを見直していると、著者の研究の方向性や問題意識とその前提となる仮説が見えてきた。
著者は、出土遺物の分析を通して、様々な論点や仮設を浮かび上がらせ、本を借りた時の予想通り、地味な研究書に見えるが、実は非常に刺激的で、考古学の基本である、物=存在の事実から見えてくる歴史像の構築を行っているよで、今まではっきりとわからなかったところにも光が当たり、様々なことが見えだしたようだ。

帰宅すると何とかジムに間に合いそうなので、慌ててジムに行った。
ジムには、5月26日の筋トレ以来行っておらず、筋肉を使っていないので、廃用症候群の影響が考えられたのだ。
ただPPSの可能性も考え、とにかく体を運動に慣らす事を第一に考え、体を動かしに行った。
筋トレのみをおこない、負荷は同じだが、押し引きの回数を減らした。(普段11回している運動を8回にした。)
それでも筋肉に疲労を感じた。
いつもなら、この程度の運動で疲労は感じることはない。
運動は、どんなに忙しくても休むと体力や筋力を落とすので、極力週に2-3回程度の運動は最低限する必要があると思った。
寝る前にEテレの科学番組を見たので寝たのは1時近くになった。

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昨日記160604土(西天満)

2016年06月06日 16時59分01秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇 最高/最低℃ =25.6   18.6
先月下旬は最低気温が20度を超えていたので、寝ゴザを出して寝ていた。
6月に入ると急に気温が低下したがそのままで寝ていたが、朝方冷えを感じてタオルケットをかけたが、普通ならそのまま寝込むのだが、眠れない。
この日布団を上げてから、タオルケットや先月にしまった毛布を元に戻し、寝るときに毛布を敷いて寝られるようにした。
毎年、5月から6月にかけては、気温の変化が激しく、夜具の調節や、朝日の差込で部屋が明るくなったりして、4-5時頃に目覚めることが多く毎年この時期特有の睡眠環境に多少困っている。
無論、明るさ対策は毎夜寝る前にカーテンを閉めている。

この日は、奈良方面に行く予定をしていたが、例の足の調子と体調面を考え取りやめ、にしてんまに行くことにした。
夕方、西天満のギャラリーを回った。
それぞれのギャラリーで、作家と話ししたて、盛り上がった話もあったが、長くなるので省略する。
帰りは天満橋のファストフードで一休み。
といっても、この日からノートを持ち出し、注目記事をノートしている。
最近考古学関係の本を読んでいて、深く掘り下げてみたい事項が見つかったので。その関連の学説や発掘データをノートしている。
ノートを取って気付いたのは、本を単に読んでいると、結構重要な意味を内蔵している可能性に気付くことが多い。

この日、右足の状態や歯の状態も問題なく、体調も良好であった。
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昨日記160603金(歯科治療)

2016年06月04日 11時48分56秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴 最高/最低℃ =26.6   14.4
昨日は、夕方から歯科医院に行った。
先週受けた手術の抜糸と、一旦装着していた歯を外し、改めて患部を削り再び装着したようだ。
左上奥歯2本とひょっとするとその隣の歯の歯周病も処置したのかもしれない。
先週の手術以降、治療を受けた歯は、それまであった歯周病によるぐらつきもなく、噛み心地もよく全く問題ない。
いい歯医者さんに出会えた。
それ以外、右足の痛みと左肩の痛みは、更によくなり、ほぼ完治状態に近い。
とりあえず昨日も、体に負担をかけないよう、ゴロゴロしていたが、今日から無理しない範囲で徐々に動き出そうと思う。
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昨日記160602木(右足筋肉痛回復 軽く運動 右目多少回復)

2016年06月03日 22時13分42秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴 最高/最低℃ =24.9   16.4
今日(6/3)は当日(6/2)より更に快調である。
食後の片付後も右足の痛みはなく、PPSを疑い出した前脛骨筋が強く痛みだした先週より以前からずっと数か月以上感じていた前脛骨筋の疲労感はある。
ある意味今日(6/3)は、ほぼ回復したようだ。

昨日記に、今日の右足の事を書いたが、 昨日の朝は、まだ食後の片付後に軽微な痛みはあった。
PPS騒動のきっかけとなったのは、一週間前の大規模な歯科手術の翌日の土曜日からだった。
右足の前脛骨筋の異常な痛み方は、PPSによるものと、歯科治療による薬剤(特に抗生物質)の影響が考えられる。
というのは、通常の過負荷による筋肉疲労や、筋肉の怪我(断裂、捻挫等)の痛みの強さや推移が、過去に何度も経験した痛みと違うのだ。
筋肉の過労や、怪我の場合、経験的に痛みは1日単位で、少しずつ減少していくが、同じ一日の中では、痛みが強くなったり弱くなったりすることはなく、問題の筋肉を動かすといつも同じ痛みが返ってくるが、今回は、時により痛みがかなり大きく変化しているのだ。
勝手な想像(学問的根拠はない)だが、歯科治療の薬剤の刺激と筋肉の慢性疲労?(この前に筋肉の過労になるような負荷はなかったし、実際歯科手術をしたときに右足の筋肉に異常はなかった。)が重なり、それがきっかけで、PPSの症状が出た可能性も考えられる。
土曜日は、睡眠中も鈍痛を感じ、筋肉に強い負荷がかかったときや長時間立った時は、激しい痛みが出たが、運動しても出ないときもあった。
(筋肉痛や筋繊維断裂の場合、その筋肉を動かすだけで痛みが発生する)

とにかく、昨日は、かなり回復した状態だったので、気分も良かった。
それでも、PPSの可能性を考慮して、少しの間、無理なことやストレスのかかることはやめようと思った。

午前中から昼にかけて昨日記を書いた。

午後も、ゴロゴロしていた。
ジムに行って体を動かすことも考えたが、今しばらく無理せずに安静に近い状態を保とうと思った。
かといって、本当の安静状態をたもち、ごろごろしていると筋力や持久力は低下するし、多分免疫力も低下するだろうと思った。
そこでほどほどの運動をしようと思い、自転車で天満橋まで行き読書をして帰宅することを考え実行した。
自転車で、天満橋のファストフードまで行き、お茶を飲みながらの読書を楽しみ、その後スーパーにより帰宅した。
途中、大阪城公園では息が弾む程度のスピードを出して走った。

帰宅後、疲労や筋肉痛はなく、体調は良かった。
ただ、この日はかなり気温が下がり、ここ数日くしゃみがたまに出ている。

それ以外に、右目の異常については、最近自転車で走りながら、右目の縦線の歪みが、以前と比べると、かなり減少し、正常視に少し近づいているように感じた。
以前、眼科病院の先生からルテインの服用を薦められたので、その翌日から服用しているが、効果があったのかもしれない。
ルテインは加齢黄斑変性の進行の抑制に効果があると言われているらしい。
今、右目でエクセルの縦の罫線を見ても、眼科病院に行った時と比べて、少し改善しているように見える。
私の場合は、加齢黄斑変性でなく、加齢?による網膜の萎縮らしく、自然に起きるものらしい。
網膜の萎縮の進行が抑制されるだけでもいいのだが、萎縮が改善されているとすれば嬉しい。
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