とある受付で支払いの時である。
2110円ですと言われ、2110円をトレイに置いた。
トレイの上のお金を受付嬢が引き取ると、下に明細書がありそこには2060円とあった。
え!と思い、私は明細書の金額を指さして受付嬢に尋ねようとした。
間髪入れずに、明細書の上に50円が置かれた。
聞き間違いだったのか、受付嬢の親切なのか?・・・・
ここで、過去の事を考えてみた。
以前にも、何度か書いたが、私はよく忘れものをする。
サラリーマンの頃は、そうしたことは絶対許されないので、常に手帳にメモすることが習慣となった。
だが、高校は、メモの習慣もなく宿題はよく忘れ、常に先生に怒られていた。
宿題には関心がなかったようだと、いうより、勉強が好きではなかったのだ。
学生時代も、本は人並みに読んだが、どちらかというと教養のために読む意識、即ち中学校の校長がいつも朝礼で語った、ジェントルマンになれ、という訓示の影響を受け、(古い)教養を身につけなければいけないと信じ込んでいて、美術も、クラシック音楽も、文学も、背伸びして哲学らしきものも、いわゆる大人の文化芸術を身につけなければいけないと思っていた。(当時の中学校は非常に荒れていて、他校との暴力事件も多発して警察沙汰にもなっていた。しかし進学に力を入れ、周囲を非常に驚かせる結果を出した。)
そして精神貴族を目指したのだ。
ところが、同じレベルの連中が、進学校へ行き、私は工業高校に進学し、その時大きな挫折感を味わった。
工業高校では、好きな芸術科目は一切なかった。
そんなわけで、1年生の時は勉強に身が入らず、様々な理数系の公式も興味がないので覚えられなかったし、覚えてもすぐに忘れた。(今は職業柄もあって、理数・工学には強い興味や愛着がある。)
そんなこともあって、高校1年生の時は、記憶力が悪くて惨めだった。
又、私の場合、人の名前もなかなか覚えられないし、覚えてもすぐに忘れる癖があり、今もそうである。
(それでも、文部省の中学校の学力テストは、暗記問題が少なかったのか全く問題なかった。)
2年生になって、成績が悪いと就職できないということに気付き、覚えることに努力したが、大変だった。
よく理数系は、暗記より理論だと言われるが、基本の公理公式は、絶対に暗記又は誘導できないと、展開応用が出来ないので、ある程度の暗記力は必要であることが分かり、それが苦痛だった。
ただ、2・3年の時に担任が若い情熱的で人生経験豊富で頭も切れる国語の先生だったのが救いで、学級日誌は持ち回りで書くのだが、赤裸々な話がよく書かれていて、その話題を先生がホームルームで取り上げ、先生の体験談や世間の常識も交えた話が、生徒と先生の間で自由に飛び交い、ホームルームは非常に楽しかった。(その先生は、他校で不慮の死を遂げられたと聞いた。)
物忘れに関連した余談が長くなったが、このように宿題も含め物忘れが若い時からよくあった。
ところで、ここ2-30年で脳科学が飛躍的に進歩し、記憶に関してもいろいろ分かってきた。
そのことを参考に、自分にあてはめ検証してみると、まず長期記憶は問題なさそうだということに気付いた。
というのは、学校で習ったことや、古い記憶や、本で何度も繰り返し読んだり聞いたりしたこと(例えば考古学的な遺跡や考古学的な学説とか、それ以外の分野の学説等)は、よく覚えている。
しかし、暗記とか、複数の事を同時に実行しながら初めに言われたことを思い出すとか、前日又は数日前に約束した後、大きな出来事があってそれに関心を集中した時は、忘れることが多いことに気付いた。
無論大切な約束は、聞いた後必ずメモするし、メモを見なくても思い出す。
結局、複数の事を考え実行ながら、初めの事を思い出す場合、忘れることが多いようだ。
即ち短期記憶で複数の処理をしながら、記憶を維持するのが難しいのかもしれない。
それを克服するため、たまにゲームの神経衰弱を楽しんでいる。
ところで、最初のエピソードでは、①請求金額を聞いた。(実は2560円のように聞こえた??) ②財布を開けお金を確かめた。 ③硬貨がたくさんあるのを確認。 ④硬貨が増えないように釣銭をもらうよう暗算をする。 ⑤千円札100円硬貨 50円硬貨 10円硬貨を確認しまず千円札を取り出す。⑥100円硬貨50円硬貨10円硬貨1円硬貨の中から適切な硬貨を選び、必要な枚数を財布から選りだして取り出す。⑦料金トレイに財布から取り出したお金を置く ⑧トレイ上の領収書を確認する。 といった様々な、意外に複雑な手続きが発生している。
これらの過程で、①の最初に聞いた金額と、④の暗算で計算した金額を、頭の中で混乱して取り違えた可能性も考えられ、その間違いを正しいと私が勝手に信じ込んでしまった可能性も捨てきれない。(2560円は単なる思い違いだった可能性が高い。)
こうしたことを防止するためには、①伝票の金額を確認し、②支払金額を復唱し ③必要なお金を出し、御釣りはいくらですねと確認しながら手渡す。という形にすれば、間違いは防げそうだ。
なお、認知症では、人が物を盗ったとか隠したという妄想が多発することが多いし、介護実習でもそうした場面を何度も見ている。
もしかして、私にも認知症の気があるのでは??(笑)
今回、ちょっと投稿内容に引っかかったので記事を追加しました。
(深夜2時前で書きながら、時間を気にしていました。時間の意識は健在ですが、明日は久しぶりに朝寝坊します。)
そういえば、明日(今日)はプチ断食の予定なので丁度いいかも。
しかし、出かけて行った先で、お菓子がでれば、どうしたものか??
前回のプチ断食では、ギャラリーで親しいF氏のお酒も断ったのだが。・・・
2110円ですと言われ、2110円をトレイに置いた。
トレイの上のお金を受付嬢が引き取ると、下に明細書がありそこには2060円とあった。
え!と思い、私は明細書の金額を指さして受付嬢に尋ねようとした。
間髪入れずに、明細書の上に50円が置かれた。
聞き間違いだったのか、受付嬢の親切なのか?・・・・
ここで、過去の事を考えてみた。
以前にも、何度か書いたが、私はよく忘れものをする。
サラリーマンの頃は、そうしたことは絶対許されないので、常に手帳にメモすることが習慣となった。
だが、高校は、メモの習慣もなく宿題はよく忘れ、常に先生に怒られていた。
宿題には関心がなかったようだと、いうより、勉強が好きではなかったのだ。
学生時代も、本は人並みに読んだが、どちらかというと教養のために読む意識、即ち中学校の校長がいつも朝礼で語った、ジェントルマンになれ、という訓示の影響を受け、(古い)教養を身につけなければいけないと信じ込んでいて、美術も、クラシック音楽も、文学も、背伸びして哲学らしきものも、いわゆる大人の文化芸術を身につけなければいけないと思っていた。(当時の中学校は非常に荒れていて、他校との暴力事件も多発して警察沙汰にもなっていた。しかし進学に力を入れ、周囲を非常に驚かせる結果を出した。)
そして精神貴族を目指したのだ。
ところが、同じレベルの連中が、進学校へ行き、私は工業高校に進学し、その時大きな挫折感を味わった。
工業高校では、好きな芸術科目は一切なかった。
そんなわけで、1年生の時は勉強に身が入らず、様々な理数系の公式も興味がないので覚えられなかったし、覚えてもすぐに忘れた。(今は職業柄もあって、理数・工学には強い興味や愛着がある。)
そんなこともあって、高校1年生の時は、記憶力が悪くて惨めだった。
又、私の場合、人の名前もなかなか覚えられないし、覚えてもすぐに忘れる癖があり、今もそうである。
(それでも、文部省の中学校の学力テストは、暗記問題が少なかったのか全く問題なかった。)
2年生になって、成績が悪いと就職できないということに気付き、覚えることに努力したが、大変だった。
よく理数系は、暗記より理論だと言われるが、基本の公理公式は、絶対に暗記又は誘導できないと、展開応用が出来ないので、ある程度の暗記力は必要であることが分かり、それが苦痛だった。
ただ、2・3年の時に担任が若い情熱的で人生経験豊富で頭も切れる国語の先生だったのが救いで、学級日誌は持ち回りで書くのだが、赤裸々な話がよく書かれていて、その話題を先生がホームルームで取り上げ、先生の体験談や世間の常識も交えた話が、生徒と先生の間で自由に飛び交い、ホームルームは非常に楽しかった。(その先生は、他校で不慮の死を遂げられたと聞いた。)
物忘れに関連した余談が長くなったが、このように宿題も含め物忘れが若い時からよくあった。
ところで、ここ2-30年で脳科学が飛躍的に進歩し、記憶に関してもいろいろ分かってきた。
そのことを参考に、自分にあてはめ検証してみると、まず長期記憶は問題なさそうだということに気付いた。
というのは、学校で習ったことや、古い記憶や、本で何度も繰り返し読んだり聞いたりしたこと(例えば考古学的な遺跡や考古学的な学説とか、それ以外の分野の学説等)は、よく覚えている。
しかし、暗記とか、複数の事を同時に実行しながら初めに言われたことを思い出すとか、前日又は数日前に約束した後、大きな出来事があってそれに関心を集中した時は、忘れることが多いことに気付いた。
無論大切な約束は、聞いた後必ずメモするし、メモを見なくても思い出す。
結局、複数の事を考え実行ながら、初めの事を思い出す場合、忘れることが多いようだ。
即ち短期記憶で複数の処理をしながら、記憶を維持するのが難しいのかもしれない。
それを克服するため、たまにゲームの神経衰弱を楽しんでいる。
ところで、最初のエピソードでは、①請求金額を聞いた。(実は2560円のように聞こえた??) ②財布を開けお金を確かめた。 ③硬貨がたくさんあるのを確認。 ④硬貨が増えないように釣銭をもらうよう暗算をする。 ⑤千円札100円硬貨 50円硬貨 10円硬貨を確認しまず千円札を取り出す。⑥100円硬貨50円硬貨10円硬貨1円硬貨の中から適切な硬貨を選び、必要な枚数を財布から選りだして取り出す。⑦料金トレイに財布から取り出したお金を置く ⑧トレイ上の領収書を確認する。 といった様々な、意外に複雑な手続きが発生している。
これらの過程で、①の最初に聞いた金額と、④の暗算で計算した金額を、頭の中で混乱して取り違えた可能性も考えられ、その間違いを正しいと私が勝手に信じ込んでしまった可能性も捨てきれない。(2560円は単なる思い違いだった可能性が高い。)
こうしたことを防止するためには、①伝票の金額を確認し、②支払金額を復唱し ③必要なお金を出し、御釣りはいくらですねと確認しながら手渡す。という形にすれば、間違いは防げそうだ。
なお、認知症では、人が物を盗ったとか隠したという妄想が多発することが多いし、介護実習でもそうした場面を何度も見ている。
もしかして、私にも認知症の気があるのでは??(笑)
今回、ちょっと投稿内容に引っかかったので記事を追加しました。
(深夜2時前で書きながら、時間を気にしていました。時間の意識は健在ですが、明日は久しぶりに朝寝坊します。)
そういえば、明日(今日)はプチ断食の予定なので丁度いいかも。
しかし、出かけて行った先で、お菓子がでれば、どうしたものか??
前回のプチ断食では、ギャラリーで親しいF氏のお酒も断ったのだが。・・・