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昨日は午後から大手町サンケイプラザにて『歎異抄』講座を受けてきた。
いまNHKでも『歎異抄』は Eテレビ月曜日「100分で名著」4回に分けて放映されている。
1~3回までは放映済みで4回目は4月25日に放送される。
歎異抄とは一般には親鸞(しんらん)面授の弟子唯円(ゆいえん)の作とされ、親鸞の死後30年後(鎌倉時代後期、西暦1300年前後)に書かれたものだという。
門弟の一人、唯円が、師・親鸞から直接聞いた言葉と、信徒たちによる異義への唯円自身の反論を記したのが「歎異抄」である。
『歎異抄』に心惹かれるのは逆説的な内容や思想が書かれている事で、例えば「悪人正機」「他力本願」の思想などは一瞬常識では考えられない教えに驚かれるが、この逆説的な内容や思想を改めて考えるとなぜ?という疑問からじっくりと読み繰り返しその意味を問い直すなかで理解を深めていくのだと思う。
この著書の魅力に吉川英治、司馬遼太郎、吉本隆明、遠藤周作、梅原猛など、『歎異抄』に魅せられた人は数知れない。
五木寛之氏は「歎異鈔」は唯円の書を蓮如が書写して世に送り出したと書いている。そして明治の末に暁烏敏(あけがらすはや)という人が「歎異抄講話」として単行本をこの世に出して大ベストセラーになったと書かれている。
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私は中学生時代に吉川英治著『親鸞』を読みふけりあの頃の理解の仕方は今考えると至極浅はかなものであったが、常識的でないところに魅力を感じて心に深く残る大切な本だった。
60数年前のあの頃の感動が今また蘇り私の体のどこかに常に少なからず親鸞聖人の思想が影響していたのであったと思うのである。ひとつひとつの言葉の深さを感じる日々である。
『歎異抄』の歎くという字は嘆くという意味で異なることを歎くこころという否定認めないという意味ではないと書かれている。
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