青木新門先生がお亡くなりになり49日の納骨も済ませたという知らせを息子さんからFBで教えていただいた。
お元気な先生で講演で彼方此方出かけているとばかり思っていたので驚いた。ちょうど私のFB がロックされて見る事が出来ない状態だった時である。結構長い間先生のページに伺うことが出来なかったので息子さんの知らせに驚いたのである。今日お別れ会のお知らせを拝見して在りし日の先生との出会いを思い出した。
先生がお書きになられた本も映画も見ていました。私の終着点と再出発の場所である親鸞聖人さんの繋がりである證大寺船橋昭和浄苑にて青木先生の講演があり始めて本人を目の前で拝見したのである。講演後帰ろうとして庭の方向を見るとベンチに一人座っている先生のお姿を見つけてしまった。以前から何となく印象としては厳しさを感じていたので話しかけるのは躊躇していたが、後姿がホッとしているような感じに見えたので「先生お話してもいいですか」と尋ねると「あぁいいよ。どうぞ」とベンチを指さしてくださった。
今考えると講演が終わって遠くからお出で戴いているのでお疲れになっていたであろうに図々しい振る舞いであったと感じる。でも気さくに自宅から出発して船橋に一泊しこの会場に来るまでの話を優しい語らいでお話して戴けた。私の親鸞聖人様との出会いの話をしたり、この寺を選び学んでいることや法名を戴いたことなどをお話しすることが出来た。
庭の一角で先生と並んでお話が出来たことを懐かしんでいる。貴重な時間を戴き感謝である。南無阿弥陀仏 以前良く先生のFBに伺いコメント欄にはいつも一言「南無阿弥陀仏」とだけ書いてきたことを思い出す。
青木先生のお言葉
人は必ず死ぬのだから
いのちのバトンタッチがあるのです
死に臨んで先に往く人が
「ありがとう」と云えば
残る人が
「ありがとう」と応える
そんなバトンタッチがあるのです
死から目をそむけている人は
見そこなうかもしれませんが
目と目交わす一瞬の
いのちのバトンタッチがあるのです。