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写真付きで日記や趣味を書く日々を過ごしながら・・・

『歎異抄』に学ぶ・・・

2016年04月19日 | 日記
          

昨日は午後から大手町サンケイプラザにて『歎異抄』講座を受けてきた。

いまNHKでも『歎異抄』は Eテレビ月曜日「100分で名著」4回に分けて放映されている。
1~3回までは放映済みで4回目は4月25日に放送される。

歎異抄とは一般には親鸞(しんらん)面授の弟子唯円(ゆいえん)の作とされ、親鸞の死後30年後(鎌倉時代後期、西暦1300年前後)に書かれたものだという。

門弟の一人、唯円が、師・親鸞から直接聞いた言葉と、信徒たちによる異義への唯円自身の反論を記したのが「歎異抄」である。

『歎異抄』に心惹かれるのは逆説的な内容や思想が書かれている事で、例えば「悪人正機」「他力本願」の思想などは一瞬常識では考えられない教えに驚かれるが、この逆説的な内容や思想を改めて考えるとなぜ?という疑問からじっくりと読み繰り返しその意味を問い直すなかで理解を深めていくのだと思う。

この著書の魅力に吉川英治、司馬遼太郎、吉本隆明、遠藤周作、梅原猛など、『歎異抄』に魅せられた人は数知れない。

五木寛之氏は「歎異鈔」は唯円の書を蓮如が書写して世に送り出したと書いている。そして明治の末に暁烏敏(あけがらすはや)という人が「歎異抄講話」として単行本をこの世に出して大ベストセラーになったと書かれている。

          今勉強会で読み始めている。


私は中学生時代に吉川英治著『親鸞』を読みふけりあの頃の理解の仕方は今考えると至極浅はかなものであったが、常識的でないところに魅力を感じて心に深く残る大切な本だった。


60数年前のあの頃の感動が今また蘇り私の体のどこかに常に少なからず親鸞聖人の思想が影響していたのであったと思うのである。ひとつひとつの言葉の深さを感じる日々である。

『歎異抄』の歎くという字は嘆くという意味で異なることを歎くこころという否定認めないという意味ではないと書かれている。

          
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和太鼓の響き

2016年04月16日 | 趣味
友人の娘さんが所属している和太鼓の演奏会に出かけた。このグループは5年前3.11の東日本大震災の時もこの和太鼓の音色で元気を出して欲しいと願ったとの事奇しくも今回のこの演奏会も熊本の地震を知りこの響きが熊本にも届くように頑張って打ちたいと言っていた。

          

二時間半の躍動感あるステージに力が入った。全身に響き渡るあの和太鼓の音に元気をもらった。

生まれ変わったらやってみたい事の一つである。

お隣さんの庭の花である。ツツジが咲き始めた。

          

                             

          

          カラーの葉

          
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我が家の庭事情

2016年04月14日 | 日記
ご近所の木瓜の花はもうだいぶ前に咲き終わっているのにうちの木瓜は家主に似たのか今ごろ咲き始めた。

鉢植えなので大きくはならないが遅咲きながら毎年咲いてくれる。

          

                      

お隣さんの庭から首を出してこちらを覗いているクリスマスローズ撮って欲しいのかな?

          

ミヤコワスレの花は年々背丈が短くなってやはり私と同じく老いのせいかもネ

          

           この花は今年初めてだが蕾をいっぱい持っている。
          

今日は洋裁教室だった。7日に参加できなかったお花見の話で盛り上がっていた。     コメント休

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花祭りとお稚児さん

2016年04月12日 | 日記
一昨日うちのお寺さんでお釈迦様の誕生を祝う花祭りが行われた。

暖かな日和のもと雅楽の生演奏と雅な衣装を身につけたお稚児さんの行列を久しぶりに見てきた。

親鸞聖人像の周りの桜はもう満開が過ぎてしまったが、舞い散る桜も趣があっていいものである。

          

親鸞聖人と桜といえば親鸞が9歳の時詠んだ歌が思い出される。

明日ありと 思う心のあだ桜
   夜半に嵐の 吹かぬものかは


白象に乗ったお釈迦様をあでやかな衣装をつけたお稚児さんたちの引く姿は可愛いものである。

          

                                コメント欄休
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歳には勝てないよ!!!

2016年04月08日 | 日記
長男の孫は一人で我が家に泊まるのは初めてのことである。両親と一緒に泊まることは年に何回かあるが今回初めて一人で3泊4日預かる事になった。

次男の孫達は近くに住んでいたので1歳になる前から一人で泊まることが多かったが、長男の孫は4歳とは言え初めてのことなので颯魁慧に応援を頼んだ。従って男の子4人を預かるわけである。

両親が置いて帰る時一枚の印刷物を孫に渡してこれを読みなさいと置いていった。

これ読めるの?と聞くと読めると答えていつもしているから大丈夫だよ と言うので壁に貼ることにした。

夜は盆暮れのような合宿所になった。孫達と一緒に寝る私は眠られるわけがない。寝相の悪さに風邪をひかせてはいけないと一晩中布団掛に奮闘する。はじめの一晩でヘロヘロになった。

天候が悪くて予定した公園や動物園は変更せざるを得ない。雨が降ってもいいように屋根のあるところに行くしかない。

          

これは家の近くの小学校の桜を見に颯兄ちゃんと一緒に出かけた。

          

颯魁慧も学校が始まるので5日の夜帰ってしまったが、意外と寂しそうでもなくGを相手にトランプ遊びをしたり昼は持参した自転車やスクーターで遊んでいた。一人っ子なのに甘えもなく元気な子に育っていると婆馬鹿なりに感心した。

          

          

6日の夜パパが迎えに来たがなぜ帰るの?という感じだった。僕が帰ったらジジとババになって可哀想じゃん・・・と嬉しい事を言ってくれる。

7日は洋裁仲間と8人グループでバスハイクの予定であるが、とても体力気力もないので前夜のキャンセルとなった。こんなに疲れが出るとは思わなかった。

こんな事もあった。とう君は一度も泣かなかったが、魁くんがゲームを夜みんなでしている時原因は分からないが泣き始めていつまでも泣いているので私が大声で「泣くなら外に行って泣きなさい!外に出るのが嫌なら泣き止んでゲームをするかどちらかにしなさい!」と怒鳴ったら孫たちはビックリしたようだった。

怪我もさせずに無事みんなを帰宅させてホッとした。6日の夜やっと二階の自分のベットで眠ることができ翌日は午前中起きれなかった。
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