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用心深く、賢く、フェアに

2012-07-10 15:18:33 | イギリス一周 花の旅

 アベリストゥウィス(Aberystwth)を出て幹線道A487を北上します。

 

 17時半を過ぎていました。

 

 緯度が高いので、本来ならば22時頃まで明るいのですが、天候が悪い為に、今日は何処まで行けるか分かりません。

  

 どうしよう、何処まで走ろうかと、迷いながら北上を続けました。

  

 40分程も走ると、マハンスレス [英語読みではマッキンレー](Machynlleth)の町に入りました。

 

  

 雨が更に強くなってきました。

  

 対応車がライトを点けて走り過ぎて行きます。

  

  

 「ウエールズ」のガイドブックに、マハンスレスはウエールズ最初の首都であったと記されます。

  

  

 1404年、ウエールズの英雄オワイン・グリンドゥールがイングランドに反乱を起こしウエールズを独立に導いたそうです。

  

 そしてウエールズ最初の議会(議事堂)をマハンスレスに設立し、今でもその時の「オワイン・グリンドゥール議事堂」が町に残ると、ガイドブックに記されます。

 

  

 これは、絶対に見ておかなくてはと思いました。

  

 そして建物はすぐに見付けることができました。

 

 メインストリートに面した、小さな民家のような議事堂でした。

  

  

 公開時間は終了していましたが、一目確認できただけで満足しました。

 

  

 そうそう、さっき過ぎてきたエドワードⅠ世が創ったアベリストゥウィス城は、1404年に、このウエールズの英雄オワイン・グリンドゥールによって破壊されたそうです。

  

 イギリスでは、多民族が千年以上にも亘って、取った取られたの、殺戮を繰り返した歴史を理解しました。

  

 スペインなども同様ですが、世界中で少数民俗の淘汰や併合を繰り返しながら、最近になってやっと、多数決を基本とする民主主義のルールが確立した事実を、再確認しました。

 

 しかし一方、世界では未だに、人が人を殺める殺戮が続いています。

 

 アジア大陸の端で海のお堀に囲まれ、暢気な気分に浸って暮らすだけだと、アメリカインデアン同様の悲惨な結果を招かぬ保証はないのです。  

 

 昨年訪ねたアメリカで見た、ナバホインディア居住区の光景が目に浮かびます。

  

 日本は国内で、アイヌ民俗を除き、言語が異なる民族間の戦は、沖縄での戦闘を除き未経験です。

 

 「和をもって貴しとなす」と異なる発想の人々と、第二次世界大戦後は、折り合いを付けながら暮らしてきましたが、これからも戦のない暮らしが続けられるよう、用心深く、賢く、フェアに、世界に冷静な目を向けて観察し、皆で知恵を出し合って過ごしたいものです。

   

 我々が他者の財を奪わぬようにすべきは当然ですが、旅先では、スリに物を盗まれないよう、盗む気を起こさせないよう、スキを見せてはいけないのです。

 

 自衛隊が、戦争に手を染める為の組織と主張する人々が居ますが、柔道や空手の術を取得する人に、他者を襲うつもりはない筈です

 

 若い人達は積極的に世界に出て、経験を伴う知識を深めてもらいたいと痛切に思います。

  

 机や図書館で本を読むだけでは、人間の本質は見えません。

 

 ネット情報に頼る判断は更に危ない。

   

 去年、ニューヨークのマンハッタンを眺め、感じたことと、同類のことを思いながら、霧にかすむ道を走り続けました。

   

 

 

 そして私は、マハンスレスの町を出た後、雨降る小さな峠を越えて、次の町のクリクキエフ(Criccieth)の海辺でイギリス4日目の夜を迎えることにしました。

 

 

 

 

6月16日の位置

 

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小さなナポリ アベリストゥウィス

2012-07-10 09:47:34 | イギリス一周 花の旅

 雨のウエールズを走り続け、

  

  

 17時近くになって、アベリストゥウィス(Aberystwth)の町に到着しました。

 

 アベリストゥウィスはウエールズ西部の最も人口の多い町で、その数は1万6千です。

  

 アベリストゥウィスのアベリ(Aber)はウエールズ語で河口を意味するそうです。

 

 街へ入るときにドレイル川を渡りました。

  

  

 この街の家並みもパステルカラーです。

  

 

  

 赤いホルクスワーゲンが路地へと入って行きます。

 

 赤がパステルカラーに良いアクセントになっていました。

 

  イギリスではトヨタ、日産は勿論、ホンダ、スズキなど、世界中の様々なメーカーの車を見かけました。

  

 街を気ままに走ると、格式あるセント・デイビス長老派教会を見かけました。

 

 このような教会や時計台を見れば、街の規模が推測できます。

  

 

  

 マリーン・テラスと名付けられた海岸通りの、緩やかに弧を描く砂浜に、小さなナポリとでも表現したくなる光景が広がっていました。

  

  

 アベリストゥウィスはウエールズ西海岸のほぼ中央に位置し、1109年には、1.5マイル南に砦が築かれ、1277年にエドワードⅠ世が現在の場所に城を移した頃から、町としての歴史が始まったそうです。

 

 今もエドワードⅠ世の創った城跡が浜辺に残ります。

  

 海岸通りで歴史を感じさせる、風格のある建物を目にしました。

   

  

 そして現在のアベリストゥウィスは、リゾート地であるとともに、大学が設置された教育の町となっているそうです。

 

 

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北の街ではもう

2012-07-10 07:08:15 | イギリス一周 花の旅

 アベライロン(Aberaeron)の町を出るとき、海岸沿いの広場に、トレーラーハウスが並ぶ光景を目にしました。

  

  

 イギリスの人達は、こんな所でバカンス(長期休暇)を楽しむのでしょうか。

 

 「働くだけが人生ではない」 と思います。

 

 やるべきことをやった後は、ほどほどのところで楽しまなければ、せっかく命を授けてくれた、お天道様に申し訳ありません。

  

 やるべきことをやらなくたって、人生は楽しむべきものなのですから。

  

 そんなことを思いながら、ウエールズの美しい海岸線に沿って北上を続けました。

  

  

 以前のページにも記しましたが、ロンドンは北緯51度ですから、日本の周辺では、樺太の真ん中辺りに相当します。

 

 東京と比べ、かなり北に位置しています。

   

 そんなことを意識した訳ではないのですが、ウエールズの海岸線を走りながら、声は出さずに頭の中で、あの北海道の「襟裳岬」を唱っていました。

  

 北の街ではもう、悲しみを暖炉で~ ♪

 

 ~ 理由のわからないことで、悩んでいるうちに、老いぼれてしまうから~ ♪

 

  

 何もない~♪  風景が続きました。

  

  

 そうなんです、私はこんなふうに、大地と海と空が広がる風景に安らぎを覚えるのです。

 

 そして放牧地の丘に、白い羊が遊んでいました。

  

  

 海岸線の向こうに岬が霞んでいました。

  

  

 振り返えると、過ぎ去った街は、台地の彼方に姿を隠しました。

  

  

 はしりとおした歳月を、ひろい集めて、暖めあおう ~♪ 

 

 遠慮はいらないから暖まってゆきなよ ~♪

 

 

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