ジョン・オグローツ(John O'Groats)を出発して西に進路をとり、最北の町サーソー(Thurso)へ向かいます。
とは言っても、私にとってサーソーはナビ上の暫定目的地にすぎません。
湖水地方の失敗の経験から、予定ルートに沿って、小刻みにナビへ目的地を入力することにしました。
振り返ると、湾を挟んでジョン・オグローツが見えます。
風もない青い海が、穏やかに目の前に広がっていました。
道路の両側は放牧地です。
私はスコットランドの荒野というイメージを勘違いしていました。
私は北海道の釧路湿原や苫小牧周辺の原野のように、人の手が加えられていない、荒れ果てた草原のようなイメージを持っていたのですが、今まで見てきたスコットランドの荒野は殆どが放牧地だったのです。
一見、人の手が加わっていないような場所であっても、天然の草原ということではなさそうです。
一時間もしないで、サーソー(ガイドブックにはサーゾーと記載)の街に入りました。
サーソーは人口約9千人の町で、1200年代中頃まで、オークニー諸島のノース人に支配されていたそうです。
サーソーという名はノース語で「牛の飲料水」を意味するのだとか。
街を外れると、海岸添いの道からオークニー諸島のホイ島が見えていました。
オークニー諸島のメインランドには5千年前の集落遺跡があるそうです。
人類が大地の自然に手を加えてきた歳月は、相当長期に及ぶようです。
6月のスコットランドの空と海と緑は抽象画のような美しさを見せていました。
その抽象画の中に、人々が積み上げた石壁が直線を描いていました。
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