森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

疾風のごとく or 自然な空気で

2008年05月06日 07時41分09秒 | 過去ログ
5月2日、早朝に奈良をたち、福岡へ。
少し時間があったので、GWに入った博多駅でお茶をして、
大野城駅へ。
原病院の実習地訪問を行う。
学生はいたって、No Problemであり、
自分の立ち位置をわかっている。
さらに、「学ぶ」という貪欲さが伝わってくる。
それは、本気であっても造りであってもどうでもいい。
まずは、造りでもよいから、「格好」を決めることだ。
「心」は自然とついてくる。

そこでは、「違い」と「同じ」ということを指導した。
指導の「違い」はあって当然だし、思考の「違い」はあって当然。
そして、解釈の「違い」はさらに進み、介入の「違い」は当然のごとく起こる。
自己意識がすべて同じであれば、「私らしさ」はそこにない、機械の世界がまっている。
A先生とB先生が「同じでない」、A先生と大学の先生が同じでない、
そんなことは当然だ。
生きてきた「経験」が違うからだ。
そこに混乱が生じるかもしれないが、
むしろ、その混乱を楽しむことだ。
そうだ、まだ、「違う」ということは法則がないということであり、
仮説であり、それをどのように証明すべきかを自分の手で考えることができる。
なんとかしてやろう!という欲求をわかし、
自己実現に向けることだ。
「同じ」であれば、仮説は必要ない。
もう一つ、同じではないが、「共通項」はないかを考えてみる。
介入は違えども、両者の共通項である。
それが治療の本質的な幹となる可能性がある。

そんなことを話しながら、指導をした。

マニュアルを求める世代。
やはり、「違う」ことを感じると、脳は混乱してしまう。
「違う」ことを、苦しまず楽しむことだ。
わからないことがいっぱいで、「楽しい」、僕はそう思う。
自分ですべてがわかってしまえば、他人はいらないし、
書物もいらない。
ましてや科学はいるはずがない。

安藤先生と昼食をとり、
神経学的音楽療法の限界について、簡単な議論を行い、
「リズム」と「メロディ」の脳活動の違いについて話した。

「失音楽」のように、曲の認知はできなくなるが、
その音楽はPOPな感じであったり、
悲しげな感じであるということは感じ取ることができる者と、
逆に脳性まひ児のように、曲の認知はできる、
つまり、それが誰のなんという曲であるということは知っているが、
弾むような音楽であることは感じ取ることができない。
ピアノの鍵盤をたたく、
その強さ(フォルテッシモ等)でも、
曲の感じは変わるが、
それがわからないのである。

このヒントはおそらく、体性感覚であろう。
体性感覚は胎児で一番早く完成され、
そして、新生児のときに自らの動きを伴い、
つまり重力化における身体を感じ取りながら、
聴覚との統合を、発達未熟な連合野で行う。
このプロセスは、シンプルなものであり、
前者はそれがまだ残っているが、
さらに高次な認知が失われ、
後者はそれが形成されずに育ってきたが、
高次な認知は発達してきた可能性がある。
連合野の場所の違いで、それらが起こる可能性がある。
なんてことをいつものように考えながら、病院をあとにした。

大野城駅から基山経由で甘木駅へ。
卑弥呼の故郷といわれるぐらいの日本の古来の田園風景がある。

嗅覚的クオリアを感じる。

またもや、1時間ほど時間があったので、
駅前のファミレスに入り、
原稿の校正を行った。

座席前で一人で食事(おそらくしばらく一人で生きているのだろう、それを感じた)をしていた高齢者の女性の背中(生き様)に感動しながら、
人間の生きるということはどういうことなんだろう、
と考えながら、自らの人生に置き換え、哲学的思考を膨らませた。

時間になり、朝倉健生病院へ。
小鶴先生に新病棟を案内してもらい、
新しくなることは、気持ちいいことを体感し、
心機一転という言葉の意味、
そして、そのようなバイオリズムに上手く人生をマッチングさせることが生きる秘訣であることを感じた。

学生も一時期の悩み状態から、前向き状態へ変化していた。
4週間という経験が、後ろ向き脳から前向き脳に変化させたのだろう。
脳が前向きになることで、笑顔になる。
観られることに、前向きになるのだ。

その後、博多付近まで、車で移動し、
原三信病院の学生も来る。
男七人の水炊き。
博多に行けば、鳥の水炊き。
GW中なので「長野」が予約いっぱいで残念だったが、
「はかた」の味の違いを感じた。

γGTPをまた上げてしまうが、楽しいひと時をすごした。

翌日は、担任であった高知医療学院21期生の同窓会がちょうど福岡で開催されるということで、
博多どんたくを横目でみながら、それに参加した。
万葉の湯へ。
今はおそらく31期生あたりが学校にいると思うので、
みんなそれなりに年をとり、子連れでの参加もちらほらいた。
担任であり、久しぶりの再会に、
当初は、時間ばかり(仕事ばかり)気にしていた自分から、
少し、担任していたときに26歳前後に戻り、
フレッシュな気持ちに戻り、
キテヨカッタと思った。

幹事の三原さんに感謝。

精神はたまに幼い自分に戻らないといけないのかもしれない。
前向きスイッチで追われるばかりでなく、ときには、後ろ向きスイッチで
人生に浸る、それもいいと思った。
深夜3時まで宴会は続いた(店の閉店まではいる、高知式)。
深夜3時に食べたカレーのせいで、翌日の胃は最悪で、
10時の伊丹便にのったが、痛み便になり、
大変であった。
悪玉コレステロールがこわい・・・



GW真っ只中、比較的すいていた。

帰った日は、疲労が一気に出て、寝だめをした。

もう1日の休息を休憩しながら、PT学会の準備をしないといけない。
GW明けからまたもや実習地訪問であり、
ほとんど大学にはいないため、どこで、どのように時間を作ればよいか、
少し不安だ。

今日はロングメールになったが、頚椎症気味で、この朝しかタイプできず、
スピードがあがらずつらい。
これも「気」の問題か、「悲鳴」か、わからんが、休みながら、
原稿もそろそろ書かないといけない。
5月末まで原稿用紙200枚と50枚。

PT学会空けの2週間でギアをいれる(と思う)。

まあ、自然な感じで行こうと思う。