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森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

愛おしさと切なさと・・・

2008年05月26日 00時24分49秒 | 過去ログ


今日は大阪・天満橋で講演をする。
地下鉄から降りると、なんだか大都会大阪だが、
イメージが違う。



それは中之島があるからか。
風景は無機質な建物だが、
大きな川に橋がある、それだけで、空気感が違う。
ここには梅田の息ぐるしさや、
難波のごちゃごちゃ感はない。



どことなし、パリのセーヌ川のシテを眺める風景に似ている。
そんなことを感じながら、
橋をわたると、なんだか、毎週の講演の疲れも飛ぶ。
フレンチもみつけなんだか気分がいい。
パリ・フランス、フランス・パリ。
どうもパリがあるからフランスということばが浮きがあがる。
個の力か。
システムも所詮、個の力に支えられている。
ベルマーレの中田でなく、中田のベルマーレという感じか。

一流の施設にいても、一流の大学であっても、
その個に思考力、展開力がなければ、だいなしだ。
個のニューロンが発揮することで、自己組織化もおこる。
そして、Re-bodyも。

そんなことも考えつつ、
都会もいいなと思いつつ、
やはり、パリなのかとおもいつつ、
大阪リハビリテーション専門学校に到着。

2時間の講演はおとしどころが難しかったが、
まずまずなものを話すことができた。
最近、スライドは単なる思考のトリガーにしかならず、
違う展開が多くなりつつある。
それも「メタ」的展開なのかもしれない。

その後、オーガナイザーの文野先生と談話。
熱い思いを確認した。
あとは、やはり、患者は「リハビリの理念には期待していない。」ということなのかな。
残された機能を最大限に使うという視点では。
特に多様性がない人生を送ってきた対象者の場合はなおもそれが強い。
従来の枠組みでの展開では懐疑的にならざるをえないのだろう、特にphysicsのみの視点では。
情動とは根深い。
人間は感情で動いている。
そこには、理屈(理念)でせめても通用しない。
なぜなら、驚かないからだ。

しかし、リハビリテーションには未来を創る強さがある。
人間復権とはそういうことだ。
Re-soul。

栄光とは過去にはない。
栄光とは未来にある。
その架け橋(ゆずっぽいが)は虹のように、
無機質でなく、そして、抽象的だ。
過去にすがるヒトの脳は、コンクリートの橋のようなもので、
常に今の自分に安定感を求めているのだ。
未来にかける橋は、そのようなコンクリートではない。

人間にとって「いかに経験が大事かを」最近良く思う。
それは脳-身体‐環境のダイナミクスであり、
Organization
でもある。

カオス感によってあまりにも閉ざされた世界(時代)。
その時代はめぐるめぐって、ベルエポックになることを祈る。




夕方、ならに帰る前にスティックケーキに魅力を感じ、
衝動買いした。
その代わり、五位堂からは歩く。
美意識のために(健康というよりそちらの意識が強い)。
鏡に映る自分は3割おちであっても5割おちにしない。

という美とはイメージであり、自己に向かう意識である。
それは最高次な意識でもあり、
自分は日本という土地に生まれ、
その美意識をもてる幸せを感じた。

生死を意識せず、そういう美や健康を意識する。
それこそが生命の人間らしい幸福感であり、
それを感じられるだけでも、Happyであり、
感謝するしだいである。

だから、些細な苦にも向き合うことが出来る。

しかし、自らの生死に意識をむかわさなければならなくなれば、
そうできないかもしれない。

しかし、そのときになって助けられるのは、
やはり、美を感じ、感動することかもしれない。
それも人から。


人間とは「はかない」「いとおしい」「せつない」ものだ。
そのことばのメタファーこそが人間らしさかもしれない。

「喜怒哀楽」の説明では、それらのことばはいいあらわせない、何かがそこに存在する。
日本語の美しさを感じながら、
昨日、今日と久しぶりの家での食事に、
家では久しぶり、半年振りぐらいのワインをあけた。

今日はシャトーローランであった。
パリを感じるために、思わず、youtubeで「Sous le Ciel de Paris」を観て聴いて楽しんだ。