森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

極力矛盾をなくすこと、極力一貫性をもたらすこと

2007年07月03日 23時23分02秒 | 過去ログ
今日は2時限目、リハビリテーション概論の講義、リハビリの諸相について話をする。昨日までの出張で身体が跳ねない。それでも、いつもどおりの授業力にする。それが仕事だが、多少、呂律に問題が生じる。

昼食をとれず、そのまま健康科学研究所開所記念シンポジウムの打ち合わせを行う。伊藤正男先生をお迎えする予定である。

間髪いれずに4時限、5時限の神経系理学療法学へ。まだ自分の全貌は見せていない。脳卒中リハビリテーションはそんなに単純でない。そして、単純な思考回路では何も生まれない。

大事なのは複雑な思考回路から単純な介入を創造し、そしてその現象を複雑に捉える。この思考回路の循環なんだが、昨今の介護予防事業にはそんな複雑性はない。片麻痺の麻痺側でトレーニングマシンを無理やり、痛がりながら、操作している介入手続きに何の夢も希望もない。そして、その効果の責任も誰もとらない。もっと無力になるのは、脳科学の勉強をしているにもかかわらず、ミラーニューロンだの、運動イメージだの言っているにも関わらず、臨床の創造性は相当に乏しく、結局は、そうした筋力トレーニングを行ってしまう一貫性のない、矛盾だらけのセラピストが増えたことである。そんなことなら、イメージなんぞの研究なんてしなくてよい。筋トレしたら、「何か」が改善した。その「何か」を選択するのは、人の脳である。それは主観であることに間違いない。観察者の視点に影響を受ける。その結果に一喜一憂し、介入手法から創造性をカットしていく、この科学観は、人間を機械にしていく手続きである。ピカソのキュビズムの批判を受け、真摯に科学とは何かを考えていただきたい。自分のやっていることを常に批判的吟味する自分をつくってもらいたい。これは脳に対してアプローチしている者ももちろんである。

極力矛盾をなくすこと、極力一貫性をもたらすこと、それが科学性だし、臨床哲学であると思う。

自らのこころを踏み絵にしてまで国家に従う必要は無い。

「裏切られた期待」

いつまで脳卒中者のリハビリテーションに対する期待が裏切れ続けるのか・・・

そんなことを考えながら、100年前の理学療法を話している自分、科学もへったくれもない理学療法を話している自分が、矛盾だらけで嫌いだ。

そんなことを考えている「教授陣」がどれだけ日本にいるだろう。現状を伝えるばかりで、自分のコピーを作ろうと執着するばかりで・・・ そこには、近未来に向けた「共同注意」機構は発生しない。「共同注意」とは謙虚のきわみだ。「わからない」と率直に思い、仮説を生み出す、それが臨床だし、教育だ。

研究をしているやつらがこれだけいるが、そこには創造的な仮説はない。結局は付け焼刃だし、受け売りじゃないだろうか。

今日受け取った雑誌理学療法学では、脳卒中のリハを論議するときに、他人のことばかり書き、自らの理論がないものが多かった。誰がなにをいようが、おまえの理論はどこにあるんだ、と聞きたい。

科学の裏づけなく実践のみに夢中になるのは舵も船頭もない無いどこにくやらわからない船のようなものだ。ダビンチのことばが耳に刺さるだろう。

後付の理論のみで勝負して、楽しいだろうか?



今一歩、教育の本質を考えることが、全体的にできないのだろうか。協会はこのままの臨床教育システムでよいのだろうか。結局はパスにしたがうしかできないセラピストが生産されないのだろうか。それは、大脳皮質のはぐくみに向けた教育ではない。多様性がないからだ。大脳皮質は多様性のきわみだし、そのなかから自分というセラピストを作るという選択性を生み出す。選択性が最初から決まっている業界に発展性はない。真剣に考えたいが、現状の教育システムでは、臨床実習教育システム、国家試験システムの呪縛から逃れれない。


そんなことを考えながら、大学院の授業に19時40分に入り、みんなの研究計画を聞く。

本日は、幻聴、統合失調症、自閉症、リズム、情動、共感システム、視線、パーソナルスペースなどのテーマであった。

受け売りでなく、仮説に根拠(結果に根拠でない)をもたらし、斬新な研究計画を求める。それが、治療計画に発展するからだ。問題解決能力がある人間は、臨床をしながら、現象を観察した際、次から次と仮説が生まれる人間である。

研究も同じである。

22時に終了し、今日は食事もとらず、がんばり続けた。

私に研究時間を与えてちょうだいとも思うが、それでも実験をするということを見せていきたい。

それは本気でリハビリテーション対象者を良くしたいからだ。
真のQOLから逃げてはいけない。

QOLとは脳のシステムのきわみである。

多様なもののなからら、自らの視点で選択できるよう、運動にしろ、行動にしろ変化をもたらしていかないといけない。

その多様性を生み出すためには、相当な思考回路が必要である。

馬鹿の一つ覚えに(ただ単に)動かせればよいのではない。


苦しいが、いばらの道だが、「未来」を見つめていきたい。

そのための教育である。

新年度の大学院生を求めます。

明日は滋賀です。


以前の私のHP(森岡研究室)とyahooブログなどを閉鎖しました。

先日のTrailblaze研究会のスライドは、下記のページに貼り付ける予定です。
http://www.geocities.jp/neurorelab/

中林先生、すみませんが問い合わせがあれば、よろしく!




脳を学ぶ ~「ひと」がわかる生物学

2007年07月03日 12時40分07秒 | 過去ログ

脳を学ぶ ~「ひと」がわかる生物学

 

好評書『リハビリテーションのための脳・神経科学入門』『リハビリテーションのための認知神経科学入門』の著者が,脳を学ぶ第一歩となる視点を提案.そのための必要不可欠な知識を解説.付録には鉛筆によるなぞり描き用に,脳の外観を薄く印刷したイラストを掲載.さらに,日本で初の脳のペーパークラフト化に挑戦した紙工作作家による本格的な脳の工作モデルが付録についている.医療,リハビリテーションに携わろうとする学生,特に一年生にお奨めしたい楽しい教材.

 

 


四夜連続のつどい

2007年07月02日 16時57分24秒 | 過去ログ

土曜の4時間の講演は無事に終了する。
前半の話が本質だが、くどくなる可能性があり、後半、学問的示唆を含みながら修正する。
スライドはあくまでも自分自身のワーキングメモリ再生のための指標にすぎず、それをこと細かく説明するのをしない、自分の講義スタイルがどうもできあがったようだ。

講演の評判はまずまのようで一安心する。
まずは脳、脳科学、リハビリテーション脳科学に興味をもってもらえれば、それでよいと思う。

全部話そうと思えば、15時間ぐらいはいるかもしれないし、同じスライドでも切り口を変えれば、それは無限大となる。

それが脳の秘密。

情報処理はその時々で違う。
一緒であれば、それは学習していないということだし、過去の産物的人物になってしまう。

遅い時間から懇親会。
天神で遅くまで、主催のコダマ先生、ナカバヤシ先生らと飲む。
野中先生に癒され、水野健太郎先生にoasisのライブのDVDをもらう。
ありがとう。


明けて日曜日、前日懇親をしていた小鶴先生と中州、天神、川端をブラブラ、久しぶりに何もない日曜日をすごし、リフレッシュする。できるだけ、予期(未来)を意識から遮蔽したら、肉体の疲労が浮き彫りになった。

あまりにもあわただしい日々をすごしているため、未来ばかりを意識するあまり、自分の身体の変化に気づいていなかったようだ。

過去の記憶をガンガン消さないと、次何しないといけない・・・という記憶に影響することから、回想する暇もないのも事実だ。

全国の講演行脚は、脳間操作系は鍛えられるが、脳内操作系の豊かさは奪われるのかもしれない。

しかし、この時代の流れを止めるわけにはいかないので、少しでも認知神経科学がリハビリテーションに必要であることを「このいま」勉強していきたいし、その解釈を講演という形でご披露して行きたい。

ライブとスタジオ、そのバランスが重要だ。


6時に福岡で実習している4年生5名に会い、博多の水炊きを食べに行く。

たまには、息抜き、日曜は買い物など、ブラブラするようにと指導する。

時間をどう使うか、注意の集中、分配、選択が頭のよさだ。

真面目さは必要だが、ど真面目さはいらない。
それは時として盲目になるからだ。
狭い視野でなく、広い視野で。
理学療法ばかり考えても、人間に向き合う広い視野を奪う場合がある。
職業人とは、自分自身の仕事だけに誇りを持つのでなく、他人の仕事にも共感をいだくことを指している。
そうでないと、人生経験の豊富は患者さんには向き合えない。
楽しさだけを提供しても、本質的な脳間操作にはならない。

いずれにしても、理学療法、理学療法士! のみの誇りを声高に言うと、他人を見下す若者になる場合がある。

あまり自意識過剰にならないことだ。


中州で遅くまで食事をして、学生も息抜きできたかな。


今日の朝はとんでもなく土砂降りだった。


朝倉健生、原病院をめぐり、問題がないぐらいが問題か?と思うぐらいの評価の二人だった。


すばらしい!


これは予想通り。

共感できている。

重箱の隅をつついても、臨床で伸びるとは限らない。
教育とはそういうもの。

教員生活が長くなると、そういう余裕になる。


必ずしも、そうではない、その考えが、自らの脳に植えつけられる。


高知の教え子のスポーツリハでのイギリス留学がきまったようだ。
サッカーの国体選抜だった彼が、その世界で勝負するときがきた。

その決断に最大の尊敬を思う。

本当にうれしいし、身体として目が細まる。


適当には帰ってくるな!


今は、福岡空港。


久しぶりに奈良に戻る。


バンクーバーと同じ滞在を、福岡-岡山-福岡-福岡でした。


昨年の学会が懐かしい。
もう1年たった、時間の経過は年々早くなる。
もっとゆっくり五感で感じたいものだ。