森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

厚生連塩谷総合病院 特別講義

2008年05月18日 15時56分36秒 | 過去ログ
日 時:平成20年5月19日(月) 18:30~20:00
場 所:厚生連塩谷総合病院 看護学校講堂
テーマ:『脳科学と神経リハビリテーション』
講 師:森岡 周 (畿央大学大学院健康科学研究科 神経リハビリテーション研究室

本学の実習施設に対する講師派遣システムによる特別講義です。

目まぐるしく流れる視覚的・実行的意識

2008年05月18日 12時42分50秒 | 過去ログ
金曜日、学術大会2日目は朝の4時過ぎに起き、
講演のスライドのチェック、そして、まだ読んでいないいくつかの原著論文を読む。
前日の板場先生、梶村先生、中江先生らとの懇親会でのアルコールが抜けずに苦労したが、目が輝いた瞬間があった。

CRPS typeⅠのmotor imageryとexactionの相違に関する原著論文が2008年にPainに掲載されており、
HarrisらのCognitive painにおけるsensory discrepancyのevidenceに関して、
この脳イメージング研究によってある程度実証できると感じた。

7時にホテルを出て、7時半には会場に。
部会長の信州大学の木村先生、司会の名古屋大学の鈴木先生、長崎大学の沖田先生、
そして、同じ話題提供者である日本福祉大学の松原先生と談話する。
慢性痛のとらえ方の意識改革をaudienceに求めるという点で意見を一致させる。

急性痛と慢性痛が同じアセスメントではナンセンスであり、
慢性痛の痛みは、その末梢器官にはなく、
神経可塑性に基づく、脳のなかに存在している。

その痛みは、感覚系の処理だけでなく、
認知系の処理、そして情動系の処理と細分化される。
その細分化でも実は甘いと思っている。

8時過ぎに会場入り。
朝早くからのセミナーにかかわらず、第1会場である2000名収容の座席は見る見るうちに3Fまで人が入った。
基礎系部会が第1会場、そして、朝早くからの二日酔いにも関わらず、
これだけの聴衆者をあつめたことは画期的であり、
慢性痛の問題意識がやはり臨床で多いことを再認識した。
それに加え、やはり、時代は「脳ブーム」であり、
中枢神経系と末梢との関係性に興味を持っているのだと思った。

一方で、われわれの人気のバロメーターにもなり、
その意味で、講演している最中の1500名程度の眼はライブに相当するものであり、
これからのリサーチ、レビューを確実にかつ正確に行っていかないといけないと思った。
人気だけでなく、それが本物であると認知されるためには、
まだまだ勉強し続けないといけない。

痛みは、そこに存在せず、脳に存在する。
それも一つの考え方であり、それのみではない。
私の講演は60点ぐらいであり、
後半で示そうとした臨床データを省けばよかったと思った。
情報を与えすぎると混乱する。
しかし、諸先輩方そして、多くの若者PTの前で、
その視点の重要性をある程度わかってもらったと思う。
紋切り型の「~テクニック」のみでは痛みの治療を行えない。
時代は確実に変わっている。
そのリサーチにPTも早く気づき、自らの治療仮説を築くことだ。

司会の沖田先生にまとめていただいたように、
筋肉や関節は、実行器官、支持器官の働きだけでなく、
情報器官としての役割を担っている。
PTはその視点に目を向けることが、
あるブレークスルーにつながるであろう。
人間の脳は身体がなければ、いきていけない。

質問での応答にもあったように、
さらに難しい問題は「情動」である。
機会があれば、情動の痛みのメカニズムについても
今後紹介していきたい。
それは、ホットな科学の一つであり、
挑戦していく内容である。

いずれにしても、痛みの研究は学際的に向き合わないといけなく、
単に脳だけ、筋肉だけわかってもいけない。
講演終了後、講師、司会と懇談したところからは、
やはり、その個々人の人生に大きく左右される。
すなわち、経験記憶に大きく、痛みは影響を受ける。
そうなれば、その目の前の患者に対して、
単純な思考では相手にならない。
問題解決のためのリーズニングが、膨大な知識によって出現しないと、
結局は、きまりきった物理的刺激のみを行う人間の存在はそこに介入しない、
いわゆる理学療法をしてしまうであろう。

視点は変化しつつある。
この時代にいかにPTがのるかだ。
このまま同じ治療的介入を続けても、
それは理学療法の衰退を意味している。

痛み研究ははじまったばかり、
日本全体のチームを形成して望む必要があろう。
こういう研究にも興味がある院生も求めます。
私の研究室は幅が広いので、いろんなBrainで相互作用しましょう。

午後は7演題の座長を行う。
知覚、学習、運動イメージ、ミラーセラピー、言語解析、パーキンソン病の認知課題、
USNに関連する報告であった。
いろんな討論の輪が広がり、
単に狭い範囲だけでなく、
ここで得られた人間同士の相互作用をこれから続けてください。

しかし、脳、知覚、認知、学習、イメージなどなどの演題が相当に増えた。
そして、脳イメージング研究の爆発的な増加、
ならびに、動物実験における中枢神経系に関する研究など、
5年前とは大きく変わった。

ある役割は果たしたと思い、
次のテーマを模索しつつ、
さらなる研究の精度を高めるように向かっていきたい。
後者は、主に研究室のみんなの仕事になる。

僕にはヒューマニティーをサイエンスにする仕事がある。

7時からは理学療法の医学的基礎研究会の理事会、懇親会。
懇親会には50名以上の口コミ参加であり、
基礎研究の拡大を感じた。
基礎と臨床、その接着となる基礎研究を意識した結果だろう。

懇親ははしごで、その後、PTBの安里先生、福島先生、synergyの田中先生らが合流、その後、県立広島の金井先生、長谷川先生、兵庫医療の坂口先生、佛教大の越智先生が合流、そして、宮本先生らがいる店に入る。
以前、お世話になったトロンボーンクラブだ。

人が多くなり、話ができず、残念。
情報量が多すぎるとよくない。
反省している。

2時過ぎに一度解散し、
そのあと、3名の先生と朝の4時まで飲む。
久しぶりに元気だった。

翌日、結局、会場入りしたのは11時前であり、
共同演者の発表には間に合わず・・・

村田病院の富永先生と今後の研究の方向性を確認し、
理学療法の医学的基礎研究会へ。

鹿児島大学の川平先生、首都大学の網本先生、
そして、名古屋大学の石田先生、札幌医科大学の金子先生と話し、
そのままパネルディスカッションを聞く。
いくつかの視覚情報処理の質問をして、
今後の臨床展開の方向性の確認を討論を通じてした・

皆さんの発表は面白く、
機嫌よく聴かせていただいた。
金子先生とは、運動イメージによって、運動の準備をさせておく臨床展開の視点を確認しあった。
彼の研究はいつも参考になるし、感心させられる。
総括もすばらしかった。

17時に終わり、
3日間の長丁場はいつものように終わった。

学会に来るたびに、もう来ないと思うが、
なぜか来てしまい、発表してしまうこの精神は、
単に発表するのみに来ているのはなく、
いろんな情報交換から得られるものが大きいために来ているのだと思う。
それが学会である。

近い人間が頑張っている姿をみると、
なんとか頑張ってみたいと思う。
その精神の共有化(脳間操作系)を求め、
来ているのだと思う。

その拡大が年々起こり、
そして、理学療法士の脳研究が拡大化したこの現象に、
この時代になんとかしたいと「意」が発せられた。

知、情、意の相互作用である。


昨日22時すぎに帰り着き、
死んだように眠り、
そして、体に気あいを入れ、
大学まで出てきて、授業準備、明日の栃木での講演、そして、原稿書きである。

私の意識の船は進んでいる。




人との相互作用

2008年05月15日 23時34分00秒 | 過去ログ
本日より、本年度の日本理学療法学術大会がはじまった。
人、人、人であり、人に対する「反射」が起こり、筋疲労が生じる。

本日、一般演題の発表を行った。
列をなす質問にうれしさを感じるとともに、1時間、講義でないのに質問にワーキングメモリを使いながら話すことは疲れた。

それ以外は結構暇で、カフェ族であった。

今まで懇親を2件はしごし、3軒はしごは明日7時半に講演のため集合から。
遠慮した。

今から仮眠を取り、アルコールをとばす。


Visual CortexにおけるInteraction

2008年05月14日 23時55分11秒 | 過去ログ
今日は大学で「発達脳科学」の授業を行い、
4つの脳葉の発達と非言語的コミュニケーションの脳科学的視点にたった発達について述べた。
「脳を学ぶ」の教科書を「きちんと」使用した。
やはり、書く、そして色を使うという作業は、
脳のイメージを鮮明化させる働きがある。
V4とV5のインタラクションといったところであろうか。

そのあと、福岡に向かう機内では論文をよみ、
まわりはPTばかりじゃないか、という変なプレッシャーを感じながら、
博多に来た。

今まで懇親をした。
明日からも、はしごの毎日である。

とりあえず、明日の仕事は「ミラーニューロン」に関する発表を行う。

なつかしの福岡国際会議場だ。




セルフモニタリング

2008年05月13日 23時46分57秒 | 過去ログ


火曜日はいつものように、1、2、3回生の講義3連続日。
肉体は経験に基づき、安定化してきたが、
どうも精神に解離が生じ、それが身体化(肉体化)する。

1回生には陳述記憶を求めてもどうも難しいようなので、
手続き記憶を求めて、授業を変えたが、
どうもそれでもいかない。
情動の問題が浮き彫りであり、
その情動は経験によって歪められているようだ。
どうも、聴いても自分の人生変わりなし、という志向を感じる。
高校教育の経験が、そのような情動をつくっている。
これではA10ドーパミンが出現するはずがない。

人生として、その予測を超えるぐらいに「叱る」戦略をとるか、
そうではないことを認知的に説明するか、
いずれにしても、予測の範疇に基づく聴覚的「注意」のみでは、
どうにもならない。
「脳内の記憶」を改変させないといけない。

まあ、根っからの短気なので、
どういう戦略は予測がつく。
なぜなら、まだ彼ら、彼女らは「何者でもない」からである。
私と同じ土俵にはいない。
自らが選んだ道、その土俵にのるかどうかである。
行動主義のように「賞賛」して、気をつかうことはしない。

所詮、オペラント条件付けは、脳の神経回路網を単純化して、
強化させるにすぎない。
その場、その状況には認知行動的に適応しても、
別の文脈になれば、たちまち対応できない脳を育成してしまう。
学生によって「自己組織化」すれば、
それも功を奏すが、
それはあくまでも、「自己組織化」であり、
外部の影響が極めて少ない(はずである)。

2回生には、さらっと講義を行い、
3回生には超難関な「失行」の話をした。
最近接領域が途中で崩れ、方向性を見失う講義であったことを少し反省しつつ、
行為のシミュレーション障害、異種感覚統合障害による病態の捉え方が最先端であることを連呼した。
みんな、情動的反応が出現していた。
行為・行動・言動から、その見えない世界(脳)の病態を考察する。
それが脳科学(神経現象学)である。
そのためには脳科学(神経生理学・神経心理学)を知らないといけない。
目に見える運動器ばかりに視点がいっては、中枢神経障害をとらえることができない。

高次脳機能障害者、あるいはその家族の期待をいつまで裏切り続けるのか。
30年後の未来があるのか。
今こそ、セラピストとしての腕の見せ所である。

デカルトのいうように、
簡単なものは疑ってかかれ(なんでも疑ってかかれ)。

難解なものに、ひょっとすると真実があるのかもしれない。

自分で判断をするためには自己を知り、
状況を理解し分析して、情報を吟味し、
過去の自身の経験に照らし合わせることだ。
そこに、正しいか間違いかという単純な白黒はない。
その判断に責任を持つことが臨床家なのである。




授業を終え、PT学会の講演のスライドを調整するために、
再度、文献を読み、あるいは検索していたら、
なんと、Dr Candy McCabeはRoyal national hospital for Rheumatologyにいた。
Bathである。



11年前、ヨーロッパにまず降り立ち、
自分の留学先にしたのが、Bathであり、Royal national hospital。
1700年代の建物であり、
自分はRheumatology Unitでなく、Neuro Rehabilitaion Unit, Head Injuryにいた。



懐かしいパンフレットを思わずあさった。

語学学校にAM通い、PM病院で脳血管障害のリハビリテーションを研修した。
Bathには2ヶ月いた。
今でもその美しい風景は心像に残っている。
この2年ぐらいは、むしろParisよりも再度暮らしたいと思う町だ。



写真のサークル(円形)の建物内に語学学校があった。
また、隣の扇形のロイヤルクレッセントの先に自宅があった。



Bathはもちろん、バス(浴場・風呂)の語源となった場所。
Bathを拠点に、London、Edinburgh、York、Oxfordの病院に視察にいった。
イギリスはとてもきれいな町であり、
なかでも、Edinburghは自分のなかでは、
Pragueに続いて、美しい町である。

また、McCabeをたずねにいきたいものだ。
USNの燃える家、幻肢の研究で有名なカーディフ大学のHalliganとも共同研究している。
Halliganの研究室はいつか一度行ってみたいと思っている。

さてさて、明日、福岡に発つが、
当日提出しないといけない「原稿」はまったく手付かず。
なんとかなるか・・・

今日、さらに、依頼原稿が来た。

そして、いまだに一字も書いていない書籍の原稿用紙200枚程度が待っている。
すべてを遅らせると、歯車が完全に崩れる。
どこかで無理をしないといけない。

その予測が「ヒト」であるがゆえにたってしまう。

「ヒト」の脳は、時に自分自身を無理させてしまう。

福岡でお茶をしながら、考えることとするか。




足掻いても、モガイテモしかたない。

友人と、先輩と、後輩と、仲間と、話をして、
未来を語ってこようじゃないか。


ブレークスルー

2008年05月12日 23時44分12秒 | 過去ログ

今日、今日しかないと思い、仕事に向かった。
AM早々に、大学コマーシャルのためのビデオ撮影。
40秒足らずのカットであるが、
これがこれが何か知らないが難しい。
普段の講演とは違う感覚が生じ、
自然だった。

相変わらず、難しいfaceをしているだろうか。
最近、顔がどんどん気難しくなっている。
いったん、リラクゼーションするための時間を設けないといけないと、
写真の顔を見るたびに思う。

ビデオ撮影後、授業の準備を行い、
Apraxiaの障害仮説について、少し考えた。
印刷に手こずるが、なんとかなった(させた)。

その後、福岡学会の一般演題のポスターを完成させ、
専門部会の分科会で使用する講演スライドを作成した。
貴重なデータを提供していただいた三氏(高取先生、福井先生、山田先生)には
この場を借りてお礼する。

当日は、基礎系部会だが、基礎と臨床を完全に区分するのは好きでないので、
自由度いっぱいに述べさせてもらう。

19時ぐらいには村田病院の富永先生、
そして、大学院生の大植君、教え子の末吉さんが来室。
研究のこと、大学院のことを確認した。
富永先生は、今度の三輪書店から出版される「MOOK:脳科学と理学療法」の執筆の確認であった。
皆さんの準備に感謝しつつ、私はまだ一字も書いておらず、
それまでに書かないといけない原稿を先にすまさないといけない。

その前に、なんと、今度の専門部会の講演内容の論文締め切りが、
今度の学会の期間であることを今日気づいた。
気づいた以上、取り掛からないといけないが、
時間の捻出が、もう心理的に無理を通り越して、
物理的に無理であり、
これは学会期間中に書かないといけないと思った。

20時過ぎに「脳機能実験室」に向かい、
村田病院のスタッフの真剣なまなざしを見た。
院生の谷口君の熱心な説明を聞いていた。




ブレークスルーといけばよい。


22時前には研究室に戻り、院生の高濱君と話をして、
学会ポスターの最終チェックをした。
そして、原稿を今から書こうと思うが、
おそらく、あとにまわそうと、する身体であろう。

脳のワーキングメモリが作動しないとこういう仕事は意味がない。
文章を書くことは「創造性」そのものだ。




満喫sunday!

2008年05月11日 22時26分35秒 | 過去ログ
今日は久しぶりの、そして、12月の半ばまでおそらく感じない日曜日を満喫した。
というのは、8月になれば、休みはあるし、
日曜も8月は講演をひとつしかいれていない。
しかし、8月は休むための日曜日だ。

今日は違う仕事(趣味的活動とするための)を行う日曜日。
高知のときは、それをいつも満喫し、
仕事が趣味となり、大好きであった。

最近は、自分のための仕事でなく、
他のみ、のための仕事となりつつある。

相互作用が逆に多く、
自らの脳のなかを整理する安らいだ仕事の時間がなかったのだ。

とはいうものの何か進んだわけではないが、
とりあえず、福岡の講演のスライドは9割めどがたつ。
あとは、前日、微調整するだけだ。

オーストラリアに送信するデータを整理しようと思うが、
年々、肉体的、単純な作業に嫌気がさす。

Jazzでも聴きながら、向かうと違うのかな。

とりあえず、仮眠だ。

そして、肉体が起きれば、
深夜の昔いつも安らいだ仕事空間となればよいが。

と、今日は何もない、何も起こらない、
大学に5分ほどいき、
他は家でJOBをする1日だった。

昔懐かしいこの感覚は、
実にすばらしいことを感じた。


全国津々浦々でない「肉体」がとても新鮮だ。


それに気づけただけでも、良い1日だった。


PTジャーナルに送る書評もつくりました。

分担書籍が出版されました。


施術からの脱却を!

2008年05月10日 08時45分28秒 | 過去ログ

昨日は岡山で講義。
昼間も夜間も30名足らずで目が行き届く。
見渡せば、全員の表情が読み取れる。
医療の教育とは人間教育であり、
100名規模ではなかなかその心の教育に踏み込むことが難しい。

認知・技能は、繰り返せば何とかなるものもある。
しかし、そのなんとかも、熟成してないのに、
無理やり着色剤で赤くした食べ物のような状態なのかもしれない。

経由・過程を抜きにすると、
やはり現場に出たときに混乱が生じる。

今の学生教育の問題はそこにあるのかもしれない。

教育学の授業では「わかるということ」「できるということ」について解説し、
教育・課題における最近接領域とはなにか、
そして、問題解決能力とは、まさに人間のもちえた脳の機能であることを、
比喩を交えて話した。

リハビリテーションは単なる施しではないことを、
徹底的にこころに刻んでほしい。


さて、今日は大学に行き、
なんとか福岡学会の準備、そして、アデレード大学から催促されているので、
そのデータ処理としたい。

首都大学の樋口さんとの共著にはまだ手がつけられない。
なんとか、5月~6月にめどをつけたい。

そうこうしているうちに、国際誌のeditorからメールが来ている。
その修正もしないといけない。

なんとかなるであろう。




[すがすがしい気分でありたい]

2008年05月09日 08時33分33秒 | 過去ログ

川之江のひなびたホテルを出て、
再度、ノスタルジックなアーケードに。
路地には古い建物がある。
Japonismというものは、まさに「カオス」であり、
そこには人間の造られた「美」は存在しないが、
その時々の「機能」を重視した「局在」が存在する。
造られた「全体性」は存在しないが、
逆に「こころ(人間)」のネットワークは、
こういう古い商店街の人たちには存在しているのだろう。




複合ビルに入る店とは違い、
そこには生活が入り込んでいるために、
長屋的なこうしたアーケードには人としてのやさしさが存在しているであろう。
しかしながら、逆に「競争原理」というものが入らなかったことから、
日本全国のこうしたアーケードはドーナツ化現象に陥っている。

ここには難しい問題があるが、
日本人のこころの変化が大きく影響している。
「同じ」を求める「安心」を求める、その志向性である。
「イオン」が爆発的に発展しているのも、
車での移動だの、駐車場だのの問題というよりは、
そうした「こころ」の影響が大きいのかもしれない。

朝の特急「しおかぜ」に乗り、
新幹線を乗り継ぎ、環状線に飛び乗り、
近鉄のホームへ走り、
大学へ。

学科会議、大学院研究科委員会、大学院の授業を連続して終えた。
その間、ある私の「もやもや」が吹き飛び、
その瞬間「すがすがしい気分」となる。
橋本初代高知医療学院学院長のことば「すがすがしい気分でありたい」である。




いろんなことで、知名度がUPしたがゆえの心の問題を抱えていたが、
それも吹っ切れた。
自分自身が自分自身の人生を操作できない状態であったが、
今は、フリーを感じている。
私の人生は私で決める、この感覚は実にすばらしい。
「リハビリテーションのための脳・神経科学入門」のあとがきで書いた、
「目標設定などにおいて、患者さんは自分の人生を自分自身で決めることができない」
その感覚を自らの体験をもって感じ取ることができた。

大学院の講義は「美しく生きるための健康科学総合特論」
この美しさというものは、目に見える美しさというのではない。
目に見えない、自らの脳(こころ)で感じる自己意識のことを言っている。

徳をのばす、知をみがく、それもとっても大事だが、
最終的には、自己をつくる(美をつくる)ということが、
人間としての究極の目標なのだと思う。


俄然、執筆意欲に沸いてきた。



今日は岡山で講義です。



第43回日本理学療法学術大会

2008年05月08日 06時42分04秒 | 過去ログ

第43回日本理学療法学術大会


専門領域研究部会分科会理学療法基礎系研究部会

テーマ: 痛みについて考える: 痛みの病態生理
~痛みの可塑性と慢性痛~
講 師: 松原貴子 (日本福祉大学)
司 会: 沖田 実 (長崎大学大学院)

テーマ: 痛みについて考える: 痛みの脳内機構
講 師: 森岡 周 (畿央大学大学院)
司 会: 鈴木重行 (名古屋大学大学院)