ここのところ寒い日が続き、地元でも電車が遅れるくらいの積雪があったようだ。
日本海側で生まれ育った人間で、今の私のように太平洋側に住んでいる者は、冬型と言えば冷え込みこそきついが空は快晴という状況に何となく「申し訳ない」という思いがしてしまう。
雪が舞うくらいのことはあっても、基本的に足もとがいい当地では雪による不便は年に数回あるかないかだ。
もともと冬に足もとがいい地域に住んでいる人と出身が降雪地帯の人とでは、今回の北陸や東北の大雪を見る目に温度差が出るのは仕方がない。
たまたま冬の足もとはいい土地であっても、冬の雪とはまた別の苦労が多い場合もある。
温暖な地域の人が降雪地の苦労を思いやるのは容易ではない一方で、台風の通り道になりやすい沖縄や九州の苦労を寒い地域の人間が思いやるのもまた容易ではない。
大部分の人が生まれ育った「故郷」で日々を懸命に生き、たとえ厳しく思える気候であっても案外地元の人は「こんなもんだ」と思って生きている。
いろいろと不便はあっても、やはり生まれ育った土地だから面倒なことも受け入れて過ごしていける。
さて、いよいよ通常運転に戻った世の流れの中、私はほぼ1ヶ月前あたりから担当する仕事がガラリと変わってしまい、おまけに他部署のヘルプまで頼まれている状況で、誰かの手伝いに回ってあげられる時間はほぼない。
ほぼ日中のすべてを「慣れない仕事」で過ごすことのプレッシャーと戦いながらの日々、平日の夜にオロオロと飲みに出るなど到底余裕はなく、金曜日に残業がナシに変更になったことで、ようやくその日の夜だけは仕事仕様の自分を解放して楽しむことができた。
ただ、土日に関しては外出らしい外出はなく、慌ただしかった平日の疲れを癒しながら、いらないものの整理や部屋の掃除、好天を利用しての布団干し、消耗品の買い替えなど、自室周りのことに時間を費やした。
前回も書いたように、年賀状のたぐいは過去5年分(5年分でも三十数枚)だけは残し、21世紀初頭のものあたりはすでに市のゴミ袋の中にある。
生まれた時代が時代だからそれなりに物欲はあって、決してミニマリストの方向に行くわけではないが、何かの記念になっているものを除いては、使わなかったり見なかったりになるくらいなら、また時間を見て文字通りひと思いに片付けることにしたい。
大した理由もなく長年抱えているものなど、捨ててしまってもあまり悲しい気持ちにはならない。
モノやヒトに限らず、どうでもいいようなコダワリなどなど、捨てるべきものを捨てた空きに新しいものを取り入れることが、きっとこれからの毎日を豊かにすると信じたい。
日本海側で生まれ育った人間で、今の私のように太平洋側に住んでいる者は、冬型と言えば冷え込みこそきついが空は快晴という状況に何となく「申し訳ない」という思いがしてしまう。
雪が舞うくらいのことはあっても、基本的に足もとがいい当地では雪による不便は年に数回あるかないかだ。
もともと冬に足もとがいい地域に住んでいる人と出身が降雪地帯の人とでは、今回の北陸や東北の大雪を見る目に温度差が出るのは仕方がない。
たまたま冬の足もとはいい土地であっても、冬の雪とはまた別の苦労が多い場合もある。
温暖な地域の人が降雪地の苦労を思いやるのは容易ではない一方で、台風の通り道になりやすい沖縄や九州の苦労を寒い地域の人間が思いやるのもまた容易ではない。
大部分の人が生まれ育った「故郷」で日々を懸命に生き、たとえ厳しく思える気候であっても案外地元の人は「こんなもんだ」と思って生きている。
いろいろと不便はあっても、やはり生まれ育った土地だから面倒なことも受け入れて過ごしていける。
さて、いよいよ通常運転に戻った世の流れの中、私はほぼ1ヶ月前あたりから担当する仕事がガラリと変わってしまい、おまけに他部署のヘルプまで頼まれている状況で、誰かの手伝いに回ってあげられる時間はほぼない。
ほぼ日中のすべてを「慣れない仕事」で過ごすことのプレッシャーと戦いながらの日々、平日の夜にオロオロと飲みに出るなど到底余裕はなく、金曜日に残業がナシに変更になったことで、ようやくその日の夜だけは仕事仕様の自分を解放して楽しむことができた。
ただ、土日に関しては外出らしい外出はなく、慌ただしかった平日の疲れを癒しながら、いらないものの整理や部屋の掃除、好天を利用しての布団干し、消耗品の買い替えなど、自室周りのことに時間を費やした。
前回も書いたように、年賀状のたぐいは過去5年分(5年分でも三十数枚)だけは残し、21世紀初頭のものあたりはすでに市のゴミ袋の中にある。
生まれた時代が時代だからそれなりに物欲はあって、決してミニマリストの方向に行くわけではないが、何かの記念になっているものを除いては、使わなかったり見なかったりになるくらいなら、また時間を見て文字通りひと思いに片付けることにしたい。
大した理由もなく長年抱えているものなど、捨ててしまってもあまり悲しい気持ちにはならない。
モノやヒトに限らず、どうでもいいようなコダワリなどなど、捨てるべきものを捨てた空きに新しいものを取り入れることが、きっとこれからの毎日を豊かにすると信じたい。