写真で綴る気ままなすぎさん

野鳥・花・祭り・生活など気ままに撮り歩いた写真の紹介

我孫子散歩 1 史跡と白樺派散歩道を歩きました。

2021年08月04日 06時50分00秒 | 我孫子・手賀沼・あけぼの山公園

新型コロナウイルス感染症で、緊急事態宣言が発令中~感染が拡大しています。オリンピックでこれ以上拡大しているが!???大丈夫・・・
8月3日は、散歩するのに我孫子インフォメーションセンター(アビシルベ)で頂いた 冊紙 我孫子のいろいろ八景歩き 我孫子エリア「白樺派の散歩道と水辺のまちなみコース」参考に歩きました。
我孫子駅から出発して~ 飯泉喜雄顕彰碑 ~アビシルベ(我孫子インフォメーションセンター)~蚕霊塔 ~山一林組製糸工場跡及び石橋製糸工場跡 ~我孫子宿本陣跡 ~杉村楚人冠記念館 ~楚人冠公園 ~天神坂 ~柳宗悦邸跡 ~嘉納治五郎別荘跡~ ハケの道 ~白樺文学館~ 志賀直哉邸跡 ~旧村川別荘~ 子の神大黒天~ 手賀沼遊歩道~文学の広場~ 血脇守之助謝恩の碑~ バーナード・リーチ碑~ 手賀沼公園・平和の記念碑などを見た後 我孫子駅まで歩きました。

我孫子は白樺派の文人をはじめ、数多くの文化人が居を構え、別荘を持った場所としても知られ「北の鎌倉」と言われています。
我孫子駅前の我孫子市ゆかりの文化人

けやきプラザ・右側 アビシルベ(我孫子インフォメーションセンター)千葉県と我孫子市の複合施設です。

山一林組製糸工場跡及び石橋製糸工場跡
現イトーヨーカ堂&公園一帯 明治39 (1906)年建設。最多時女工は380名余、生糸生産量は年産5000貫(約19t)。昭和1 1 (1936)年石橋生糸株式会社となり、昭和60(1985)年まで操業、現在は公園になっています。

我孫子宿本陣跡~

杉村楚人冠記念館
朝日新聞記者で国際ジャーナリストの杉村楚人冠の住まいでした。緩やかな傾斜のある邸園には、楚人冠が植えた100本以上の椿や湧水の池があり、趣が感じられます。

楚人冠邸園 往時はここから手賀沼の景色が間近に見られたといいます。

天神坂 
自然石を敷いた石段による坂で、緩やかにカーブ 坂

天神坂を登って柳宗悦・兼子夫妻の住居跡、3本のスタジイの巨木があることから、叔父の嘉納治五郎が「三樹荘」と命名した。

嘉納治五郎別荘跡~天神山緑地
天神坂上の東側にある高台の土地は、講道館柔道の創始者の嘉納治五郎が、明治44年に別荘。現在は緑地になっています。

嘉納治五郎は東洋人で初めてオリンピック委員(以下IOC委員)になった。 IOC委員の活動を通じて、日本におけるスポーツ振興とオリンピック初参加に尽力するなど、明治から昭和にかけて日本に於けるスポーツの道を開いた。
「柔道の父」と呼ばれ、また「日本の体育の父」とも呼ばれる。

白樺文学館
佐野力氏が設立し、市に寄贈。白樺文学館明治43 (1910)年に創刊された雑誌「白樺」を中心に展開された新しい文芸活動「白樺派」の資料館。中心人物である柳宗悦。志賀直哉、武者小路実篤らに縁のある品物を展示しています。アルト声楽家でもあった兼子が使用したピアノの演奏も定期的に開催されています。

志賀直哉邸跡
志賀直哉が緑に囲まれたこの地に大正4年から大正12年まで住み、名作『和解』『城の崎にて』などを執筆しました。復元した書斎が移築されています。

小径の湧水
白樺派の小径沿いでは、斜面の処々に湧水が見られ、その湧水スポットは癒しの場となっています。

村川堅固が大正10(1921 )年に我孫子宿本陣の離れ屋を購入、移築して母屋に季節のイベントを開催しています。

昭和3 (19 2 8)年に朝鮮式とされる新館を建てる。
子息・堅大も東京大学教授。陶芸家バーナード・リーチ設計の三角椅子を展示されている。

子之神大黒天延寿院
手賀沼を見下ろす高台に建ち、隣の旧村川別荘の斜面林とともに、まとまった緑地を形成しています。境内からの眺めは、子之神様と我孫子の人々との長い関わりの歴史を感じさせます。毎年10月には「柴燈護摩(さいとうごま)火渡り」が行われます。

一基の前方後円墳と十三基の円墳からなる群集墳で、六世紀初頭から末にかけて造られたものである。

手賀沼遊歩道

文学の広場~
我孫子ゆかりの人々(嘉納治五郎ご柳宗悦、志賀直哉、武者小路実篤なご)の紹介碑。斎藤茂吉の歌碑
今 工事中でした

我孫子公園 アビスタ ミニSL 手賀沼に面した開放感のある公園。
ベンチや東屋があリ休憩をしながら市の鳥 オオバンなど、水辺の鳥を通年観察する事ができる。白鳥の貸しボート屋や、土日はミニSLが走るなど親子連れにも人気です。

手賀沼公園・平和の記念碑~ 我孫子市は恒久平和を願い平和都市宣言

血脇守之助謝恩の碑~
血脇守之助は我孫子宿旅館「かど屋」加藤家に生まれた。高山歯科医学院に学び、後に同院の経営を継ぎ、東京歯科大学に発展させた。

バーナード・リーチ碑~明治42 (1909)年に来日。後、六代目尾形乾山の門下となる。大正5 (1916)年から同8年までおよそ3年間、柳宗悦邸内に窯を築き、作品を残す。

香取神社~創建は享保年間(1716~1735年)
香取信仰の流れを汲み経津主命を奉斎。水戸道中我孫子宿の鎮守として崇敬されてきた。

我孫子駅へ
また、細かい詳細は後日に・・・



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。