写真で綴る気ままなすぎさん

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佐原祭り 山車と人形の紹介

2023年10月16日 06時00分00秒 | 関東の祭り 神輿・山車~東京・千葉・埼玉・茨城など

佐原祭りは、山車のない時代からの祭りで町民は御輿の後を傘鉾や花万燈などで参加していた。1715年(江戸初期)頃から佐原は急激な繁栄から経済的に力をつけ各町は山車を造る様になった。時代は移り変わりながら山車や飾り物は変わったものも300年の間も引き継がれ 現在 7月と10月 行われ様になり、佐原囃子(日本三大囃子)の音を町中を響かせながら、小江戸と呼ばれる町並み(国選定重要伝統的建造物群保存地区)の中を家々の軒先をかすめながら進む山車は風情たっぷりです。自慢の山車は、総欅造りの本体に関東彫りの重厚な彫刻が飾り付られ、上部には江戸・明治期の名人人形師によって製作された大人形などが乗っています。秋祭りは諏訪神社の祭礼で、新宿地区を13台の山車が曳き廻されます。また、夏祭り(8月)12台 です。 (ユネスコ無形文化遺産・国指定重要無形民浴文化財)
秋祭りは諏訪神社の祭礼の山車と人形を紹介します。

建速素蓋嗚尊(タケハヤスサノオノミコト)(下川岸) 山車は明冶31年(1898年)に制作 人形は江戸後期 山車は「八方にらみ」といわれる形で四方向のどちらから見ても同じ様に見える。

鎮西八郎為朝(上中宿) 山車は嘉永5年(1852年) 製作 人形は明治15年(1882年) 彫り物は「柱隠し」といわれる技法で富士の裾野での巻き狩りの様子か回っており、柱をうまく隠している。

源頼義(下宿) 山車製作 明治8年(1875年) 人形製作 明治32年(1899年)山中の戦いの中で、岩を弓で砕き水を出したという故事による

大楠公(楠木正成) 東関戸 【人形製作年】昭和10年(1935年)山車は昭和10年(1935年) 飾り物 桜井の別れの楠正成 戦死を悟った父、息子との別れの場面 鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将

瓊々杵尊(ニニギノミコト) 天照大御神の孫 西関戸 人形製作年 昭和15年(1940年)山車製作年 昭和15年(1940年) 飾り物 三種の神器を携え、降臨する瓊々杵尊 天照大御神の孫であり、天孫降臨神話の主役の神

諏訪大神 上新町 山車と人形は昭和11年(1936年)  大榊を飾り、八昶鏡(やたのかがみ)の両側に旗などが置かれている。

日本武尊(北横宿) 山車・人形製作 明治8年(1875年) 明治8年(1875年) 総禅(けやき)造りの山車 彫刻は木彫りとは思えない立体感と生命力に溢れている。

浦嶋太郎[下新町] 山車は明治8年(1875年)製作  人形は明治32年(1899年) 飾り物は、山中の戦いの中で、岩を弓で砕き水を出した故事による。

牛天神[新上川岸] 山車製作 明治45年(1912年)  人形 江戸後期  潮風囃子連⑤蕨手の彫り物は、保元・平治の乱で功を立て、剃髪して源三位入道と名のった源頼政の図柄

仁徳天皇[南横宿] 山車製作 明治8年(1875年) . 人形製作 大正14年(1925年) 彫刻は.三国志「桃園の誓い」から始まり、名場面を10年の歳月をかけて彫り上げた大作である。

源義経[上宿] 山車製作 昭和53年(1978年)  人形製作 昭和55年(1980年)  壇ノ浦での源平の戦いでの勇姿をかたどっている。

小野道風[新橋本]  山車製作 明治27年(1894年) 人形製作 明治4年(1871年) 額の文字「雲龍」は小野追風真蹟と伝えられている。

小楠公(楠木正行)[下分]  山車製作 明治28年(1895年)  人形製作 昭和10年(1935年)  潮来芸座連⑤飾り物は四条畷の合戦の際、如意輪寺の壁に矢尻で辞世の句を書きつける楠木正行の姿。

神武天皇[仲川岸] 山車製作 明治31年(1898年) 人形製作 明治31年(1898年) 三方正面造りの山車で、通し柱8本で製作。材料の禅(けやき)は九州の玉目の一本取り。



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