熊本「新老人の会」会報にわたしの小文をのせて頂くことになりました。ここに転載します。
慶長5年(1600)に始まった城普請も半ばを過ぎたある年のある日のこと、工事督励のために馬に乗って屋敷を出た清正は高麗門を通りかかった。歩行(かち)で扈従するのは小姓組の若武者数人のみ。高い建物には縦横に足場が組まれ、その上で多勢の職人が立ち働いている。その中に棟梁らしき男が大声で差し図する声が聞こえ、現場は活気に溢れている。
清正は至極満足げな顔をして見ていたが、突然足元に物が落ちてきた。物は金尺だった。これには小姓たちが驚き騒ぎだしたが、頭上から「それを取ってくれろ」と大きな声がした。「無礼者!」とどなり返そうとする小姓共を制して清正は「それをこれへ」と目で合図して、金尺を受け取ると騎乗のまま足場の下へ行った。すると男は「これに懸けろ」とばかり、片足を下ろしたので、清正はだまつて足の甲に金尺を懸けた。男は下を見ることもなく、礼も言わず元のところへ戻って何事もなかったように、仕事を再開した。この男が棟梁の善蔵である。清正も何事もなかったような涼しい顔をしてその場を去った。
「今のは殿様であったらしい。」ということが次第に明らかになって、「殿様から足で受け取るなぞ、前代未聞の無礼な振舞いではないか、これは打ち首ものだ。」とその場に居合わせた者たちは囁きあった。それは善蔵にも聞こえて来た。配下の大工の二、三が青い顔をしてそのことを告げたのだ。善蔵はあまり物に動じない男だが流石に動揺した。
善蔵のもとへ奉行所から呼出状が来た。「明朝辰の刻(午前10時)に奉行所へ出頭するように」とある。善蔵は一晩悶々と過ごしたが明け方には覚悟が決まった。早朝に水垢離を執って身を清め、白装束に着替えて清正の前に平伏した。
清正の口から意外な言葉が漏れた。「働き尋常ならず、殊勝である。以後も励め。」お褒めの言葉であった。前に出してある三方には褒美の銀子が載せてある。
※ この話は実話なのか、それは分からない。ここに「御大工棟梁善蔵聞覚控」という古文書が遺っている。その中で善蔵はしばしば先々代様という言葉を遣う。忠利の代で先々代と言えば清正のことである。善蔵は無類の清正ファンであったことが聞覚控を読むと判然する。