膝栗毛35回目を迎えました。第1回は昨年の1月でしたから速いも
ので1年半近く経ちました。今日は3人の方が欠席でしたが1人の新入
会者がありました。茂見さんという女性の方です。
舞坂宿から新居宿まで海上1里の船旅で、ここでも船上で騒動が持
ち上がります。蛇遣いのおやじの懐から蛇が逃げ出して船中総立ちと
なり、喜多八が道中差しのこじりで押さえつけ海へ放り投げるところま
ではよかったのですが、蛇とともに道中差しまで放り投げてしまったた
めに、道中差しが浮いて流れ、武光であることが知られてしまい、喜多
八大いに面目を潰す、という話。次から次へとよくも一九はアイディア
が続くものだと感心します。
「弥次郎、喜多八も口はたっしやなれども、しょうハ臆病者」、これが十返舎
一九の付与した弥次・喜多像の一面です。
浜松宿の旅篭で幽霊を見て、きゃつと言って気絶する場面では皆さまから
笑い声が起こりました。笑いが起こるというのは読めている何よりの証拠
で、皆さまに力が付いてきたということです。
鞠子宿あたりの頃はあんな面白い場面なのに誰も笑わなかった、否、読む
のに精一杯で意味を理解する余裕がなかったというのが実情でした。
それから今日は新老人の会の谷山さんという女性の方が入会されました。
膝栗毛が映画になったようです。先日新市街を歩いていたら電気
館の前に写真の立て看板が立っていました。早速チラシを10数枚
もらってきました。次回の読み合わせ会で皆さまに配ります。
去年8月納涼歌舞伎で上演されて好評だったので、それを映画に
撮り直したものらしい。熊本は6月3日から電気館で公開されま
す。これは見逃せないですね。
200年も前の作品が今以て人気があるというのも嬉しいことです
が、それをテキストにして古文書の勉強会をしているのも何かの縁
ですね。
読み合わせ風景。復興支援センターのスタッフの方に写真を撮って貰っていますが、撮り方が巧くなりました。
膝栗毛の読み合わせ会も31回を迎えました。会員が増え、1回で読み進むページ数が増えて、講師もなかなか大変です。
何が大変かというと、質問に答えられるようにしっかり予習をしておかねばならないからです。またテキスト作りも馬鹿にならない手間がかかります。
1巻34,5枚あるのですがこれにページを振ったり崩し字を楷書で書き入れたり、事務量が結構あります。
でも、これだけの努力を続けているお陰で知識も増え崩し字の識字率も向上しました。最も成長しているのは講師です。
読み合わせ会風景
膝栗毛は今日から三編下へ入りました。今は遠州掛川宿あたりです。
伊勢参宮まではまたまだ遠い道のりです。
弥次・喜多は行く先々で失敗ばかり繰り返すのですが、作者の一九に
はよくもアイディアが続くものだと感心します。類型をを現代作家に求め
れば井上ひさしくらいしか思い当たらないですね。
膝栗毛3編上を終わりました。
膝栗毛の読み合わせは2016年1月からはじめたので、1年3ケ月を
経過したことになります。当時の会員数は5人、現状は11人ですから会
員数では倍化を達成したことになります。会場代、コピー代、講師謝礼等
苦しい財務状況で解散含みの期間がずっと続いていただけに、その危機
を抜け出せたことは講師としてもうれしい限りです。これは世話人の今村
さんはじめ会員の皆さまの古文書解読の熱意によるものと思います。
次の飛躍を目指してさらにがんばりたいです。
大井川の川支えで岡部宿に足止めをくらっていた弥次・喜多は川止めが明い
たというので三島宿を目指して勇躍岡部宿を発ち3里余の道を急ぎます。ここで
も色々と失敗談があって面白く、楽しい読み合わせ会になつています。人数が
増えた効果も出て来たようで、活気に満ちています。
今回も3人の見学者があり内1人は入会されました。
読み合わせ会風景。
4、5人から始まった読み合わせ会ですが、ついに2桁の10人になりました。
古文書にはそれだけの魅力があるのですね。新入会の皆さまは早速膝栗毛の
文庫本を購入されて次回から輪読に参加されます。
編が改まる毎に一九は書き出しの文章に力を入れます。この三編もなかなか
力の籠もった名文です。短い文章ですから、ここに引用しておきます。
「名にし負ふ遠江灘浪たいらかに、街道のなミ松枝をならさず。往来の旅人互
に道を譲合、泰平をうたふ。つづら馬の小室節ゆたかに、宿場人足其町場を争
ハず。雲助駄賃をゆすらずして、盲人おのづからつづらうまと独行し、女同士の
道連、ぬけ参の童まで盗賊のかどハかしの愁いにあハず。かかる有難き御代に
こそ東西に走り南北に遊行する雲水のたのしミえもいはれず。」
漢土の書物に人々が道を譲り合って通るのは国がよく治まっているからという
のがあり、それを引用してこの国の治まり具合を描写しています。「つづら馬と小
室節」は画像を掲載しました。「宿場人足町場を争ハず」というのは町場の秩序
がよく保たれていて、力のある駕篭かきが客を独占するようなこともなく、現代の
駅前タクシー乗り場のような整然とした秩序が保たれているということです。
それにつけて思い出すのは戦後の混乱期の日本社会は、これとは全く違ってい
て、電車に乗るのでさえ、ホームを走って我先にと座席を争ったものです。また、
駅や郵便局など人だかりの場所では順番を無視した割り込みが横行していまし
た。そういう社会は強者の社会であり、老人や女、子供など弱いものは取り残さ
れてしまうのです。それは統治の行き届かぬ社会なのです。
江戸時代は「前近代」と言われる社会でしたが、よく治まった社会であったこと
がこういう作品からも窺えます。だからこそ300年間もつづいたのですね。
おつづら馬
小室節 歌詞 (ハイ ハイハイ) |
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