古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

「町在」御内意之覚 矢嶋忠左衛門

2019-03-10 17:35:49 | 町在

 この「御内意之覚」は矢嶋忠左衛門が永年の忠勤を認められて唐物(とうぶつ)抜荷改方横目役に抜擢されたときの文書です。忠左衛門は文政元年(1818)初めて沼山津手永蚕桑見締として召し出されているので、この文書の発給された天保9年(1838)まで20年を経過しています。その間郡代手附横目、上益城井樋方助役、郡代手附横目本席などへ昇進しています。

 御内意之覚
           上益城一領一疋ニ而矢嶋卯内
           養子沼山津手永河原村
           居住当時御郡代手附横目
           助勤

     矢嶋忠左衛門 
     三十三歳

 

右者筆算達者ニ而才筆も有之往々御用
存立可申者と見及申候間今度渡辺当左衛門跡
唐物抜荷改方御横目被仰付在勤中諸役人
段ニ被仰付被下候様左候ハハ津口陸口見締役
御郡代手附横目をも兼帯可申付と奉存候
尤横目等申立之書付御達仕候節は両三人
名前御達仕候様被仰付置候得共御家へ会所
役人等之内外ニ見込之者も無御座其上右
忠左衛門儀は先役已来手附横目役助勤
申付置候而相減申候処往々御用ニ相立可申


       

              相見申候間旁外之名前御達不仕候間
              可然様被成御参談可被下候 以上
       十二月     永田金左衛門 
     御郡方
     御奉行衆中
     

              忠左衛門儀達之通外ニ相応之人
     物無之由御郡御目附御横目
     見聞之趣も同様御座候間唐
     物抜荷改方横目欠跡被
     仰付在勤中諸役人段可被
     仰付哉

         右付札之通五月十七日達

     ※ 永田金左衛門は上益城郡代

             覚

          沼山津手永河原村居住一領一疋
          矢嶋卯内養子
     
                  矢嶋忠左衛門
                      三十三歳

          右者別紙申置之趣ニ付見聞仕候處壮健ニ有之
          実体なる人物ニ而気働も有之筆算等宜敷当時
          役方心地能出精相勤候様子ニ相聞行状など異候唱
          承不申候委細本紙之通外ニ御郡代手附横目可相勤
          人物差寄承込不申候忠左衛門別紙書面之通
          被仰付候而も役前相応可仕人物ニ見聞仕候此段
          御達申上候以上

           戌 二月             野田常助 印

       戌 五月十七日達

 ※ 野田常助は郡代手附横目

 

 


「町在」御内意之覚 矢嶋忠左衛門 倅 源助2

2019-02-22 10:22:29 | 町在


熊本県立図書館蔵

御内意之覚
         中山手永御惣庄屋ニ而
         病死仕候矢嶋忠左衛門倅
              矢嶋源助

右者親跡相当ニ被召出砥用手永御山支配役
被 仰付被下候様委細太郎八より御内意仕置候
處津直支配所内ニ而無余儀繰合せ之筋
有之此節申談右御山支配役被 仰付被下候様
奉願候儀は御取捨被下左候而親跡相続被

仰付候上当七月病死仕候池田瀬左衛門跡南
関手永唐物抜荷改方御横目在勤中
緒役人段被 仰付被下候様於私共奉願候左候ハバ
御郡代手附横目並内田会所見締兼帯
申付度奉存候右ニ付而内実之事情は巨細
口達を以御内意仕置候色々御座候間彼是可然
被成御参談可被下候 以上
  九月            杦浦津直
                蒲池太郎八

上記覚は初め蒲池太郎八名で「砥用手永御山支配役」へ推薦していたものを「南関手永唐物抜荷改方横目役」へ変更されている。その理由について「津直支配所内ニ而無余儀繰合せ之筋有之」、「内実之事情は巨細口達を以御内意仕置候色々御座候間」と歯切れの悪い弁明をしている。杦浦、蒲池は下益城郡代である。

 

熊本県立図書館蔵

  覚

        中山手永御惣庄屋並
        御代官兼帯ニ而病死
        仕候矢嶋忠左衛門 倅

             矢嶋源助

右者別紙申立之趣ニ付見聞仕候處人物
宜筆算相応ニ仕才力も有之候由之處些
出過候生質ニ而人和薄様子ニも御座候得共
御郡代手附横目役之儀は抑揚筋之取扱は

無之且内田会所之儀間ニは不締之儀も
有之哉ニ御座候処源助儀手強仕懸も有之候
由ニ付申立之通被 仰付候而も相勤可申
人物と相聞申候尤亡父勤年数之儀本紙
書面之通承申候 以上

卯十月    渡邊平兵衛 印

※ この覚は郡代に提出する矢嶋源助にたいする内申書である。これを作成したのは中山手永郡代手附横目の渡邊平兵衛であった。郡代手附というのは御惣庄屋と同格であり、職務上は同僚でもあるので、平兵衛にとって同僚の子の考課をするのは気の重いことだったろう。けれども彼は源助の人となりを公平に評価している。「些出過候生質ニ而人和薄く」と源助の欠点をよく見抜いている。
 源助は横井小楠の弟子であったことから明治3年には中央政府に登用され「大丞」という職に就く。これは土木職の高官であったが、「出過候生質」が禍して上役に憎まれ、左遷の憂き目に遭って郷里杉堂村に引っ込まざるを得なくなる。



       熊本県立図書館蔵

 

僉議
源助儀達之通ニ而父矢嶋忠左衛門御惣庄屋
被 仰付惣年数三十八年之勤ニ而相果候付
極之通御郡代直触末席可被
仰付哉且直ニ砥用手永御山支配役被
仰付在勤中諸役人段被 仰付被下候様
達之通御座候處猶御郡代申談之趣
有之右之達は御取捨被下南関手永
唐物抜荷改方御横目被 仰付被下候様
左候ハバ御郡代手附横目並内田会所
見締兼帯申付有之度由別紙
達之通ニ付南関手永唐物抜荷

改方御横目被 仰付在勤中諸役人段
可被 仰付哉

右僉議之通卯十一月十一日達

僉議は熊本城内郡間で奉行たちによって行われる。そこに郡代も同席するのであろう
「口達を以て御内意仕置候」という文言があった。

 


「町在」御内意之覚 矢嶋忠左衛門 倅 源助

2019-02-21 15:56:32 | 町在


                                熊本県立図書館蔵

  御内意之覚

中山手永御惣庄屋御代官兼帯ニ而病死仕候矢嶋忠左衛門

             
矢嶋源助
               三十四歳

右者父矢嶋忠左衛門儀文政元年沼山津手永
蝅桑見締申付同四年正月手永見締申付け
同六年九月御郡代手附横目役申付同九年

五月唐物抜荷改方御横目在勤中諸役人段
被仰付天保八年五月上益城井樋方助役
兼勤申付同年十月親跡御郡代直触
本席相続被仰付同年同月御郡代附御横目
被仰付同九年二月湯浦手永御惣庄屋当分
御代官兼帯被仰付同十二年十月中山手永江
所替被仰付同十四年六月右本役被仰付御知行

 上記文書は熊本県立図書館が蔵している「町在」です。「町在」は熊本藩の被支配階級である農民、町人階級の藩政に対する褒賞記録です。ここに登場する人物は在においては惣庄屋以下の手永役人、村役人など、また町においては町別当などの町役人です。


                             熊本県立図書館蔵

高弐拾石被下置嘉永四年八月御知行高拾石被
増下当年迄役方三十八年出精相勤居申候処
当六月病死仕候右源助実体成者ニ而才力も
有之筆算も相応ニ仕一体篤志之者ニ而弘化
三年親代役も被仰付置往々一稜御用ニ相
立可申と見込申候間親跡相当ニ被召出被下直ニ
病死仕候篠原三左衛門跡砥用手永御山支配役

被仰付在勤中諸役人段被仰付被下候様有御座
度於私奉願候此段御内意仕候条宜被成御参
談可被下候以上

安政二年八月      蒲池太郎八

御郡方
 御奉行衆中

  これは郡代蒲池太郎八が郡方へ差し出した伺文書です。県立図書館の許可を得ていますのでしばらくの間町在を掲載して行きます。