~旦那寺の仏餉袋をやわらかにつめたれバ外に百銅地腹をきつて往来の切手をもらい、大屋へ古借をすましたかわり、御関所の手形をうけとり・・~
上記の文章から往来切手というものは2種類用意したことが窺えます。つまり百銅(百文)の自腹を切って貰った手形は諸国寺院向けでこれは旦那寺からもらい、関所向けは大家に頼んだということです。では実際の書付けがどんなものであったか、江戸飯倉町一乗寺発給の手形を見てみましょう。
【例1】
一 札
一 拙寺檀家江戸京橋古着店三右衛門母とみ儀心願に付今般千ケ寺参詣に罷出候、以御慈悲諸国
御関所無相違御通可被下候。為後日往来一札仍而如件
江戸芝飯倉町
文政十一戊子年 一乗寺 印
諸 国
御関所
御番衆中
【例2】
一 札
一 拙寺檀家江戸京橋古着店三右衛門母とみ儀心願に付今般千ケ寺参詣に罷出候、
一返之御首題奉希候、若行暮候はゞ一宿被仰付可被下候、万一病死仕候はゞ、以御慈悲其所に御取置被下、幸便之節為御知可被下候、為後日往来一札仍而如件
江戸芝飯倉町
文政十一年戊子年 一乗寺 印
諸 国
御寺院中
弥次・喜多が貰った手形がどのようなものだったか作品に記載がないので分かりませんが、それは上記2例のようであったろうと思われます。手形文言中の「誰それ母とみ儀」というところを「江戸神田町何々店弥次郎兵衛及び食客喜多八儀」と書き換えればよいのです。
例1は諸国関所、番所宛てのものです。仏餉袋(ぶっしょうぶくろ)にやわらかにつめたればとあるのは、寺の法要(彼岸、盂蘭盆会、施餓鬼等)の時檀家は仏餉袋に米を詰めて持参するのですが、しみったれの弥次・喜多はそれをやわらかに詰める、つまり3合のところは2合5勺、1合のところは8勺とケチッて納めていたので、寺のウケが悪く、手形をもらう段になって自腹を切らされたというのです。
また例2は諸国寺院宛てのもので、旅行中病死をしたようなときは当寺へ知らせて欲しいと書かれています。この手形は大家に頼んで発給者へ申請するのでしようが、店賃が溜まったままでは頼めないので店賃をすっきり清算したということです。
江戸芝飯倉町 一乗寺というのは港区麻布台に現在も存在する日蓮宗の寺院です。「一返之御首題」というのはお題目「南無玅法蓮華経」の功徳を授かることで日蓮宗に特有の文言のようです。
また別の文書に、「今般心願ニ付甲州身延山並諸国霊場参詣ニ罷出候処一返ノ御首題御受ケ下サレ度候・・」という文言が見えこれも日蓮宗寺院発給の手形と思われます。
さて、上記2例の文書は古文書を翻刻したもので、古文書のサイトとしては古文書そのものを載せたいのですが、それは所有者の著作権に触れる事になり無断ではできません。 やむを得ず翻刻文を掲載しているのですが、それも読みつらいので読み下し文にしてくれという要望があります。便宜のために本文のみ読み下し文を掲載します。
一 拙寺檀家 江戸京橋 古着店 三右衛門母とみ儀 心願に付今般 千ケ寺参詣に罷出(まかりいで)候、御関所相違なく御通し下さる可く候。後日のため往来一札よってくだんのごとし。
一返之御首題希い奉り候、若(もし)行暮候はゞ、一宿仰せ付けられ下さる可く候、万一病死仕候はゞ、御慈悲を以て其所に御取置下され、幸便之節 御知らせなし下さる可く候、後日のため往来一札よってくだんのごとし。