享保四年十一月十三日
一、木綿百六拾三貫四百目 高田手永
一、同三十壱貫五百目 野津手永
一、同拾三貫弐百目 種山手永
右ハ御蔵納
一、同拾九貫弐拾四匁 種山手永
一、同弐拾弐貫六百目 野津手永
右ハ御給知方
右は八代郡御蔵納め御給知村々木綿注進前 右の通り百姓共種子綿に仕度き旨願い奉り候間例年の通り米銀のままにて上納仰せ付けられ下され候様にと御惣庄屋共御断りの書付 御郡奉行衆より差し出され候に付御勘定方へ申し談じ願いの通り沙汰しめ候事
上記はなかなか興味深い古文書である。上3項目は蔵納め、下2項目は給知方納めと納める先が違っている。蔵納めというのは藩庫に納めること、給知方というのは藩から領地を給されている家臣のこと。4公6民という税率はどちらも変わらないので農民からすればどうでもよい事である。
さて、米銀で納めるというのは現物でなく現金で納めるということである。その現金は銀や銭の貨幣ではなく藩札で納めること。例えば高田手永の場合で言えば163貫400目を藩札で納めよということであり、その額は銭163貫400目ということになる。この銭163貫400目というのは銭16万3千400文のことかというと、そうではないのでややこしい。ではこの163貫400目というのは銭で言えば何文なのか換算式を説明しよう。
まず藩札というのは藩が発行している紙幣だから熊本城内にある御銀所へ持って行くとその時のレートで銭と交換してくれる。享保4年頃のレートは1匁24文であったから、換算式は次のようになる。
163400匁×24/70=56022.857 文となる。
この額は金目では約14両、銀目で表せば約840匁となる。
註 熊本藩藩札の公式レートは銭1匁70文であったから、このレートで計算すると馬鹿デカイ数値が導き出される。藩の文書には公式レートで記載されているので注意が必要である。