読み合わせ会風景。
4、5人から始まった読み合わせ会ですが、ついに2桁の10人になりました。
古文書にはそれだけの魅力があるのですね。新入会の皆さまは早速膝栗毛の
文庫本を購入されて次回から輪読に参加されます。
読み合わせ会風景。
4、5人から始まった読み合わせ会ですが、ついに2桁の10人になりました。
古文書にはそれだけの魅力があるのですね。新入会の皆さまは早速膝栗毛の
文庫本を購入されて次回から輪読に参加されます。
編が改まる毎に一九は書き出しの文章に力を入れます。この三編もなかなか
力の籠もった名文です。短い文章ですから、ここに引用しておきます。
「名にし負ふ遠江灘浪たいらかに、街道のなミ松枝をならさず。往来の旅人互
に道を譲合、泰平をうたふ。つづら馬の小室節ゆたかに、宿場人足其町場を争
ハず。雲助駄賃をゆすらずして、盲人おのづからつづらうまと独行し、女同士の
道連、ぬけ参の童まで盗賊のかどハかしの愁いにあハず。かかる有難き御代に
こそ東西に走り南北に遊行する雲水のたのしミえもいはれず。」
漢土の書物に人々が道を譲り合って通るのは国がよく治まっているからという
のがあり、それを引用してこの国の治まり具合を描写しています。「つづら馬と小
室節」は画像を掲載しました。「宿場人足町場を争ハず」というのは町場の秩序
がよく保たれていて、力のある駕篭かきが客を独占するようなこともなく、現代の
駅前タクシー乗り場のような整然とした秩序が保たれているということです。
それにつけて思い出すのは戦後の混乱期の日本社会は、これとは全く違ってい
て、電車に乗るのでさえ、ホームを走って我先にと座席を争ったものです。また、
駅や郵便局など人だかりの場所では順番を無視した割り込みが横行していまし
た。そういう社会は強者の社会であり、老人や女、子供など弱いものは取り残さ
れてしまうのです。それは統治の行き届かぬ社会なのです。
江戸時代は「前近代」と言われる社会でしたが、よく治まった社会であったこと
がこういう作品からも窺えます。だからこそ300年間もつづいたのですね。
おつづら馬
小室節 歌詞 (ハイ ハイハイ) |
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句会日時 2017-2-17 10時
句会場 パレア9F 鶴屋東館
出席人数 6人 1人は投句のみ
指導者 山澄陽子先生(ホトトギス同人)
出句要領 6句投句 6句選 兼 題 余寒
世話人 近田綾子 096-352-6664 句会出席希望の方は左記へ。
次 会 3月17日(金)10時パレア9F 兼 題 青踏
今回久しぶりに入会者がありました。木村純子さんとおっしやる60代の女性です。末永くよろしくお願いいたしたいですね。
山澄陽子選 特選句
金峰山うつすら白し雪の舞ふ 綾 子
隣家の解体するとや春寒し 〃
余寒なほ身を寄せあふて鳩ねむる 安月子
春の鴨やがては帰る羽摶して 〃
靴音の高く響きし余寒かな 〃
盆栽の松一尺の冬木立 礁 舎
暗がりに余寒ひそめる薬種蔵 〃
神田神保町界隈日脚伸ぶ 〃
送別の会の帰りの余寒かな 武 敬
折合ぬ母と娘の余寒かな 〃
バレンタイン旧友からの便り来る 茂 子
春の小川吾オカリナの曲となる 〃
寒行に雪解け水の身にしみて 純 子
頰よぎる黒髪もまた春の風 〃
先生の句
一塊の雲の崩れて春近し
遙か来て麦の芽青し空蒼し
碧空の欠けて生まれし龍の玉
人気なきホールの隅にある余寒
浦曲とは人の懐かし暖かし
寒村や灯のとびとびに冴返る
山澄陽子先生の句 平川礁舎
風花に楽しく歩き通しけり 山澄陽子
寒の内に寒い日があつて熊本市内にも雪が降つた。前夜の予報では積もるか
も知れぬと言つてゐたが、市内に積雪はなかつものの日中に何度も降つた。
が、それはほとんど風花が舞ふ程度の降り方であつて、作者が上記の句を詠ん
だのもその日の事に違ひない。朝日俳壇で稲畑汀子が採つた句である。句意は
極めて明瞭、何の屈託もなく誠に自然で小気味よい詠みつ振りである。
熊本市民で震災の被害に遭はなかつた者は一人もゐないと云はれる。作者も
例に漏れず、夫君の病状の悪化、その看病疲れによる自身の入院など辛い
日々が長く続いた。けれども強い人である。この句を読めばそのことがよく分か
る。くよくよしても仕方がない楽しく生きやうよ、といふメッセージの発信であらう。
また、予後の肉体を励ましながら目標の距離を歩き通した喜びと、そしてまた
その中に包含してゐるであらう微量の哀感とが季題風花とよく調和して一句の
美い仕上がりとなつた。
作者は夏にも稲畑汀子選に入選してゐる。
城の威は崩れてをらず雲の峰
なんといふスケールの大きい句であることか。かういふ句には才能が迸つてゐ
るが、これはまた俳句による震災被災者応援歌でもあるやうだ。なぜならいまや
熊本城は自らが震災復興のシンボルタワーとなつてゐるではないか。
太祇の十句
太祇は蕪村とほゞ同時代の人で、また別に一特色を備へた俳人であった。か
つて、子規の生前にも、蕪村を推尊したかたはら、この人の特色をも見留めて、
その句集を俳書堂から発兌せしめたことなどもある。極端なる滑稽の一茶など
に比すれば、句風も多方面になつてゐるといつてよいが、しかしその修辞上に
於ては、多く俗語を用ゐて、洒脱にまた軽妙に言ひこなしてゐる。で、これらの、
句を見れば、やはり一茶、大江丸の続きには、自然この人に連想を及ばせねば
ならぬことになる。前々回に一茶、前回に大江丸を解いた因みから、今回は太
祇の句を解くことゝする。
年玉や利かぬ薬の医三代
昔は一月に用ゐる屠蘇は、専ら出入の医者から貰つたもので、則ちこれを逆
にいへば、屠蘇はきまつて医者のお年玉であつたといつて宜しい。で、この句は
其処から趣向を立てたものかと思はれる。
今、年玉を貰つた。これは出入の医者の贈物で、その人の調合した薬である。
この医者はすでに三代も続く家柄であるが、その薬といつては余り効能がない。
則ち利かぬ薬を下さるお医者様であるといふので。
これが屠蘇であつて見れば強ち利く利かぬといつて論ずるでもないが、たまた
ま新歳に方つて一家病気もなく、医者から貰つたものは、目出度い酒に投ずる
屠蘇である。けれども、何等病気には利き目はないと、医者を嘲る如き言外に、
一家の無事で目出度く春を祝ふ心持ちがほのめかされてゐる。
それから、茲に殊更に三代といつたのは、かの医三世ならざればその薬を服
せず、といふ漢土の諺から取つて来たこと勿論である。
永き日や目の疲れたる海の上
日永の時分に海岸に立つて、漫々とした沖を眺めてゐた。折しも春の長閑な
空であるから、畳を敷いたやうな穏やかな波が一面に動いてゐるのみで、外に
は何等格段なものも目に入らない。その穏やかな春の海を、立つて眺めてゐた
ので、遂には目も疲れるやうになつたわいといふのである。
限りも無い海を限りもなく眺めてゐるところに、自然に永き日の心持ちが浮か
んで来る。この句も「目の疲れたる」 といふ一語は、どこまでも太祇の手段たる
を失はない。
春の夜や女をおどすつくりごと
春の夜は男、女、殊に若い人達は色々まどゐをして慰み興ずる例であるが、
折節、一つ女にからかつて嚇してやらうといふので、男同士が言ひ合せて、何か
女のびつくりするやうな事をして興じて見たいといふので。
嚇かされて女の怨みごとを訴へるといふことも此の後に想像されて、これも一
種の情を含んだ感があるし、又、それを嚇かした所にも一つの情を含んでゐて、
こゝらが春の夜の趣によくかなつてゐる。又、多少なまめいた状態も想像され
る。
家内して覘き枯らせし接ぎ木かな
たまたま庭に接木をした。それが本意なくも枯れて了つた。この枯れたのは、
家内中の者が、もうついたであらうか、もう芽を吹くであらうかと、入り代り立ち代
り、それを覘いたからで、左様に余りに責められる所より、木も遂に生育を遂げ
なかつたのであらういうたのである。
勿論、かやうな関係は無いことであるが、それをかく興じて、何とはなしに関係
あるごとく感ぜしめる。これも一種の俳諧手段である。
関守の瀬戸口に立つ涼み哉
関所の番をしてゐる人が、関所も余り人通りがなくて間暇であつたと見えて、
おのが住居の裏に立つて涼みをしてゐる。定めて夏の夕暮れ比でもあらう。関
所とはいへど僻地で、或いは山のほとりでもあらうといふことが、この事柄によ
り連想される。則ち、世の中も泰平で、打ち寛いで、夏の暑さも忘れて十分に涼
みもできる彼らの生涯を写したものである。
背戸に立つといふことを捉へたのは確かにこの人の技倆であると思はれる。
七夕や家中大方妹と居す
これは昔の江戸の大名屋敷の趣と思はれる。これらの屋敷には定詰といつて
邦基り家族を引き連れて来てゐる者も多く澄んでゐるし、又、独身の勤番者も居
るのである。
折しも七夕祭りの夕べ、かの星合の契をなす宵であるが家中も大方は妻と共
に住つてゐて、空の星と共に各々楽しく此の宵を送つてゐるといふので。
妻と住むといはずに殊更に妹と古雅に言ひなし、又、その下へ居すと漢語を使
つた所が、不調和ながら、却つて一種の感じを惹き起こして、七夕の宵の大名
屋敷、殊に其の武家方のさまを最も可笑しく、又、あはれあるさまに言ひ現はし
てゐる。兎に角、七夕の宵の或る社会の状況を面白く歌つたものである。
かの後家の後に踊る狐かな
これは例の盆踊でね色々な人が交つて踊つてゐる中に、或る家の後家が踊
つてゐる。それを余所から見た所の興である。
かの後家といへば、すでに近所あたりにも評判になつてゐる未亡人で、それが
身分にも歳にも恥ぢず踊つてゐる。あのやうに踊るのは其の後に狐がついてゐ
て、その狐が踊らしてゐるのである。で、この狐とは、自然に、若い男などが、そ
れを賺し誑かして操を破り、遂には皺の顔に白粉を附けて踊の仲間になるやう
な浅猿しい生涯にしたのであると、遠く想像される。これも村里などには多くある
当時の状況を可笑しく歌つてゐて、殊に、後に狐がゐるといふのは、最も働きの
ある言葉だと思われる。
剃りこかす若衆のもめや歳の暮
この句はかの蕪村の
お手討の夫婦なりしを更衣
と並べて、唯の十七字でいかにも複雑な叙事をしてゐると、吾々仲間でも度々
称賛されてゐる句である。
さて、此の言葉に依つて考へて見ると、或る侍仲間などで一人の若衆則ち美
少年を愛してゐた。それが、甲が念者となつてきまつてゐるのに、つい他の乙の
者がまた念者になることになつたので、甲乙の間に一つの騒動が起きた。それ
が則ちもめである。で、いよいよ果合でもせねばならぬことになつたが、其処へ
仲裁が這入つて、其の決果、つまり若衆の頭を剃りこかして坊主にし、此の者が
すでにかく出家した以上は、互の言分も立つ訳であるから、これで無事に済まし
て貰ひたいといふことになつて、長らく延び延びになつてゐた事件も、年の暮で
やつと落着したといふので。
かくのごとき複雑な出来事をうまく言ひ現はした所は、誠に非凡な手段である
と思ふ。
御影供の花の主や女形
御影供は『おめいかう』とよみ、日蓮上人の忌日の法会のことで、例の法華のこ
とであるから、信者たちから色々のものが仏前に捧げられてある。その中に立
派な花が捧げてあるが、その捧げ主を誰かと思つたら女形の役者であつたとい
ふので。定めて当時花形の立おやまでもあつたのであらう。
一体かやうな仲間にはよく神仏の信心をして、人の目に着くやうな捧げ物をす
るものがある。これは、一面にはわが名の広告にもするので、今も昔と変らずに
行はれてゐることである。これらも悪く述べると、唯だ人事の穿ちになり行くので
あるが、花形にかけて「花のあるじや」と歌つた所は、どこまでも雅致を失はずし
て、十分にに俗に堕ちる所を救つてゐる。
鰒食ひし人の寝言のねぶつ哉
今しも鰒を食べ終つて、中にはすでに転がつて寐たものもある。その内に寝言
を言ひ出したが、その寝言は、よく聞くと念仏を唱へてゐるのであつた。彼奴も
威張ったこと言ひ散らして、平気に食べは食べたが、其の実、心には恐ろしく、
命惜しく思つたものと見えて、死ぬる夢でも見たことか、南無阿弥陀仏を唱へて
ゐる。これで彼の実情がすつかり現はれて了つたといふので。
これも下手にいふと、俗一方に陥るのであるが、何処までも上品になだらかに
歌つて、同じことでも念仏といはずに、ねぶつと読むやうに綴つたのは、何処か
に古雅を帯びて、此処にもこの人の長所が十分に発揮されてゐるやうに思はれ
る。
写真は平井さん購入の江戸往来です。例によってヤフーオークションで隅田川往来と併せ購入されたとか。隅田川往来はすでにアップしましたがこれは手持ち本としてアップできます。
今日は見学者四人のうちお二人が入会されました。このところ毎回見学者があり、古文書を勉強したい人が特に女性の中に増えているのを感じます。心強いことですね。
な折りそと折りてくれけり園の梅 太 祇
春先になってある人の庭に梅の花の咲いているのを見て、あすこにいい梅の
花が咲いている。あの枝が一本ほしいものだと思うて、それを家の人に断りもし
ないで折ろうとしていると、意外にもそこにその家の主人がいて、その梅を折っ
てはいけない、と叱りながらも、そんなに欲しいのならば上げようといつて、か
えってその主人が手ずから梅の枝を折ってその人に呉れたというのである。同じ
物を盗むのでありながらも、いわゆる風流泥坊で、その盗む者が花卉の中でも
殊に清光な姿をして芳香を持った梅の花であることが、一種の面白味を持って
いる。またその梅を折る人も物を盗むは悪い事と知りながらもそれを金に代えよ
うというわけでもなく、多寡が梅の花の一枝位だから居ってやれと、窃かに折り
取ろうとしていると、思い懸けなくも其処に主人の声がして梅の花を折ってはい
かんと尤められたので、吃驚して手を止めたのであるが、其処の主人もまた、そ
れを尤めたばかりで無下に追い払うのも、それを折る人のこころもちを十分に解
釈することのできぬものとして、何処かに自分自身不満足を感ずるので、そんな
に黙って折るのはいけないが、欲しいのなら上げようといって、かえつて手ずか
らその枝を無造作に折ってその男にやったのである。かくてその盗もうとした人
も、それを尤めた人も、梅花そのものを通じて互いにその心持を領解し合うとこ
ろに、この小葛藤の大団円はあるのである。(俳句は斯く解し斯く味わう)
逢ひ見しは女の賊(すり)や騰月 太 祇
朧にかすんだ春の月の出ておる晩、表を歩いておると、ふと美目のよい一人
の女が目についた。美人だと思いながら、それほどたいして気にとめるでもなく
すれ違ったのであったが、懐を探って見ると財布がなくなっている。さては今の
女が賊であったのかと驚いたという句である。「蓮ひ見しは」というのは、ふと行
き違って何となくこちらが眼にとめて見た、あの女が賊であったというのである。
あるいは自分が拘られたのではなくって、あのちょっと目にとまった女が、後に
掬摸であったことが判って、あの女が掬摸であったのかというように解しても差
支ないのであるが、しかしやはり前解のように自分が掏られたと解する方が作
者の意を十分に酌み得たものかと思う。沢村源之助の舞台などを思わせるよう
な句である。(俳句は斯く解し斯く味わう)
今はやる俗の木魚や朧月 太 祇
元来木魚は仏前に置かれて僧の手によって取扱われるべき性質のものである
が、俗間の好事家は、それを居間などに置いて唯ポコポコと打って喜んだり、あ
るいは人を呼ぶ時の呼鈴の代りにしたりしておる。あの妙な形をした仏臭い木
魚を脂粉の気の漂っている辺に用いているというところに、かえって一種のおか
しみがある。この頃は何かというと木魚を用いるのであるが、またここにもその
ポコポコいう音がしておる。空には朧月が出ていて艶な光を漂わしておるという
のである。この作者太祇は京の島原に住まっていたというのであるから、おるい
はその辺の光景かとも想像されるのである。俗の木魚というだけでは、あるいは
俗人で仏信心のものが持仏の前で木魚を叩いているものと解されぬことはない
が、「今流行る」というような言葉から推すと、もっと極端に木魚を単に好事的に
弄ぶものと解するのが至当であろうと思う。今でも座右に木魚を置いて、それを
叩いて婦僕を呼ぶようなことをしている人が随分あると思う。
(俳句は斯く解し斯く味わう)
春の夜や昼雉子うちし気の弱り 太 祇
これは猟に行って昼間雉子を打った。鳥の猟のうちでは、小鳥などよりも山
鳥、山鳥よりも雉子といったような順序で、雉子は一番に功名とすべき鳥であ
る。あの美くしい毛色をした長い尾の見事な雉子を昼間打った、その張り詰めた
昼間の反動で、夜は気が抜けてがっかりしておる、というのである。多寡が小鳥
位なら何でもないと格別嬉しさが大きくない代りに、夜になったところで別に気分
に違いもないのであるが、昼間の喜びが大きかっただけ夜はがっかりするので
ある。その上前に言ったように、大い美々しい烏を殺したのだという事が、美くし
い春の夜らしい心持はしながらも、何処となく落莫の感じがある、そこにも気の
弱りを導く一つの原因はあるのである。次の句と併せ考えれば、そこの消息はよ
く判るのである。(俳句は斯く解し斯く味わう)
たのみなき若草生ふる冬田かな 太 祇
これから先きだんだん茂って春の草になって行くものであるが、それがまだ冬
田にちょいちょいと生いそめたところを見ると、その若草はいつまで茂るべき未
来があるかを疑わねばならぬのである。冬田は、二作田であればやがて打ち耕
されて畑になるか、そうでないにしてもそのまま打ち棄てられて顧みられないは
ずであるが、其処へ生える若草は他の地面に生えるものに比べると、まことに
頼み少ない心持がする。その冬田に生えた若草を見た時の作者の心持を言っ
たのがこの句である。あるいは十月に返り花が咲くようにまだ冬の初めの田の
面に、日当りのいい処などに、若草が生えておるが、これはやがて来る寒さや、
雪や霜やに忽ちいためられて枯れてしまわねばならぬものである、其処に生え
る若草は頼みないものである、という風に解釈されぬこともないのであるが、し
かしやはり前解の方が適切であろうと思う。(俳句は斯く解し斯く味わう)
五月雨や夜半に貝吹く水まさり 太 祇
それが天明になると先ずこの句のようなのがある。五月雨のため水嵩が増した
と言って、沿岸の民家を警戒するために夜中に法螺貝を吹き立てるというので
ある。これは随分大正の今日でも見る光景であって、たとい法螺の貝を吹かぬ
にしても、半鐘でも乱打して人の眠りを驚かすのである。(俳句は斯く解し斯く味わう)
つれづれと据風呂焚くや五月雨 太 祇
この句は前と反対の暢気な句で、毎日々々雨が降って退屈しておるのに、今日
もまた 降り続いて退屈で仕方がない、そこで仕方なしに据風呂でも焚いて這入
ろうというのである。碁をうつにも相手がなく書物を読むにも鬱陶しい、その上著
物も畳も凡て湿っているようで気持も悪いから据風呂でも焚いて湯に這入ろうと
するのである。(俳句は斯く解し斯く味わう)
塩魚も庭の雫や五月雨 太 祇
塩魚を梁か何かに吊って置いたところが、連日の雨で空気が湿っているので
その塩魚の塩が溶けて土間の上にポクボタと雫が落ちるというのである。天気
がよければからからになっている塩魚が、雫になるまで湿っぽいというのは、五
月雨頃の鬱陶しい心持をよく現わしておると言ってよい。(俳句は斯く解し斯く
味わう)
蔓草や蔓の先なる秋の風 太 祇
『太祇句集』中に在る唯一句の秋風の句である。太祇のみならず天明の秋風
の句は一体に振っておる方ではないようである。さて句意は、蔓草を見るとその
蔓の先に秋風は吹いておるというのである。蔓草の蔓の先を見ると風のために
動いておるのを見て、なるほど秋風がその蔓の先に在る、といったような句であ
る。芭蕉の「日はつれなくも」の句などに比べると、秋風というものについての感
激の度がよほど違っているので、余り秋風というような題について多くの興味を
見出さなかったか、それともむずかしくて相手にしなかったのかも知れぬ。秋風
というような題は、むずかしいものである。(俳句は斯く解し斯く味わう)
盗人に鐘つく寺や冬木立 太 祇
木立の中に在る寺で、その木立も冬枯れて一層淋しさが増している。ところが
その寺へ盗人がやって来たので、その急を村人に知らすために鐘楼の鐘をゴー
ンゴーンと撞き鳴らすというのである。隣りにすぐ人家でもあれば声を上げて「泥
坊々々」と叫ぶ位でも聞えぬことはないのであるが、冬木立に遮られているため
に急に知らすため鐘を撞くのである。時ならぬ鐘の乱打に村人は何か事あるこ
とを知って直ちに走せつけるのであろう。。(俳句は斯く解し斯く味わう)
夜見ゆる寺の焚火や冬木立 太 祇
これも前句同様冬木立の中の寺を詠じたもので、夜その寺で焚火をしている
のが、冬木立を透して見えるというのである。昼間は冬木立の中に寺があるとい
う事を承知していながらも、その寺の費もはっきり見えない位であるが、夜になっ
てあたりの暗い中にたき火をし了しいるのであるから、その焚火が冬木立をす
かして、よく見える趣を言ったのである。木立は皆灰色に冬枯れている中に焚火
の赤いのが際立って赤く見える心持ちがする。(俳句は斯く解し斯く味わう)
蚊帳くぐる女は髪に罪探し 太 祇
この太紙の句の性質は蕪村とはすっかり違っている。蕪村が士ならこれは町
人といってもよい。蕪村が九代目団十郎なら、太祇は五代目菊五郎である。蕪
村の句は天頼的で大きな岩石の峙つているような趣がある。太祇のは入籍的で
小さい石で築き上げたような趣きがある。前にもいった如く召波の句は或る一面
たしかに蕪村に似ている。しかし太祇の句は全然歩調を異にしている。もし太祇
に似たものを求めるなら几董であろう。几董は召波と太祇との中間にいるものと
いってもよかろう。かくいうと蕪村と太祇は非常に異っていて、あるいは同一標準
では論ずる事が出来ぬと思う人があるかもしれぬが、しかしこれも度合論だ。蕪
村と太紙とその間に全く別個の趣味があるには相違ないが、しかも共に天明の
俳人たる事においては一致している。他の関係は一切取のけて蕪村、太祇等の
仲間だけで比較すればこそ非常に違ったもののように思われるが、これを元禄
の諸俳家と比較する時は、萩や女郎花の秋草に対して牡丹や百合の夏草を見
るようなものである。元禄時代の諸俳家の句はめいめい比較すればまたそれぞ
れ違っている。萩と女郎花のように違っている。しかしとにかくに秋の草には相
違ない。それと同じく天明時代の諸俳家の句を、それぞれ比較して見ると牡丹と
百合のように違っている。しかしとにかく夏咲く花という点においては争われぬ
相似の趣味を持っている。蕪村と太紙との比較も丁度こんなものである。もし蕪
村と召波とが牡丹と芍薬との比較とすると、太紙は先ず百合位のものであろう。
しかしこれを、も一歩進めていうと、元禄の俳人も天明の俳人も秋草夏草の相違
はあるにしてもやはり草花たる点においては一致している。
桜とか石榴とか梨とか松とか樺とか樅とかいうものと比較したら、やはり草花と
しての相似点を持っているといわねばならぬ。即ち芭蕉の文学としての俳句は、
他の桜や松や樺やに相当する他の文学と比べたら、如何なる時代を通じても殆
んど同じものと言わねばならぬのである。その差を論ずるのは草花の中の差を
論ずるのである。俳句を芭蕉の文学として講ずる本書においては、その差は大
問題とはならぬのである。太祇は句三昧と称えて一切他事を擲ち蟄居して句作
にのみ苦心する事などがあったそうな。とにかく作句に苦心して熱心であった事
は古今有数の一人とせねばなるまい。その句の傾向は平生目賭する卑近な人
事景色の内から、比較的趣味の深い趣向を見つけ出して、屈折をつけて平凡で
ないように叙するのである。団洲が好んで英雄豪傑に扮するように、蕪村の取
材は必ず卑近でない方に傾こうとしている。よし卑近な人事を叙するにしても、
一度蕪村の口に上ると、どことなく蕪村的となってしまう。団洲が百姓町人になっ
ても団洲的となってしまうのと同じ事である。蕪村の句だから蕪村的となり、団洲
が演ずるのだから団洲的となるのは当然の事で、不審するのがそもそもの間違
いではあるが、その不得意な方面に働くために、面白いと感ずるよりも、多少の
不自然を感じて、いわゆる蕪村臭、団十郎臭を感ずるのである。しかもその趣向
が太祇の手に移ると、その得意の舞台であるためにそれが活動して描出される
のが、丁度大工や左官が菊五郎の畑であって技、神に迫るのと同様である。こ
この所をよく弁えて太紙の句を読まんと、蕪村や召波の句を読みなれて突然太
紙の句を見たら、品格が悪くって光沢が少なくって、興味が索然としてしまうよう
な心持ちがするであろう。しかも太祇の句の決して趣味索然たるものでない事
は、この一句を解釈してもわかるであろう。「女は罪深きもの」という事は、古くよ
りいい習わすところである。この句はその言葉をそのまま借りて来て、蚊帳に這
入る時の光景を叙しているのである。男ならば大きな髷を結っておるでもなく、
かつチヨン髷が少々こわれたところで格別もないが、女の髷は大きなものである
から、とかく蚊帳に這入る時にひっかかれりやすい。従ってその髷をこわす憂い
があるので結い立ての髪などは、殊に大事そうにして蚊帳をくぐる。其処を見て
太祇が作ったので、女は罪が深い深いと世間でいうが、あの蚊帳をくぐる時を見
ても罪の深いのがわかる、といったのである。「髪に罪深し」という言葉は曖昧な
言葉である。何も女の罪深い事は髪のみに原因しているのではないが、唯この
場合に触目すると同時に、「女は罪深いものである」という言葉があるのを思い
出し、「髪に罪探し」といったのである。これを普通の文章のように、「髪を見るに
つけても罪深い事がわかる」と延べていったら、たるんでしまって俳句にならぬ。
たとえ少々言葉に無理があろうとも、調を整えて言葉を出来るだけ省略していっ
たところに面白味があるのである。さてこの趣向はどうであるか。前にもいった
如く、いかにも卑近な我らが日常よく目に触れている平凡な事実である。蕪村で
あったら、たとい目にとめても棄てて顧みぬ事実である。その蕪村が「草の戸に
よき蚊帳たる法師かな」とか「蚊帳釣って翠徴作らん家の内」とか、かように飛び
離れた趣向を案じている間に、太紙は目前の卑近な事実を捕えてこの句を作っ
ている。卑近な事実を捕えて作ったのではあるが、その句柄はどうかというに、
「罪深し」などいう語を巧みに斡旋し、言葉に屈折をつけ、調子をひきしめて卑俗
ならざる句にしている。尤も蕪村召波などの句のように品格のよい句ではない。
しかしてこんな趣向をこれ位までにこぎつけて、さほど下卑た句にせぬところは
太紙の手腕を認めねばならぬ。我が日常目賭している事実の点からいえば陳
腐な事実である。しかし古よりこの事実を取って俳句にした者はない。否これを
俳句にしようと思いついて、その事に注意する人が一人もなかったのであろう。
一歩を仮してその人はあったとするも、その事実をこれほどの句にする人は、一
人もなかったであろう。太祇なる人があってはじめてこの平凡な事実を平凡なら
ざる句にしたとすれば、この一句だけでも敬服せねばならぬであろう。ましてこ
の種の句は、太舐集曳聖半を占めているので、やがてはこれが太祇の特色を
為し、容易に他人の模倣を許さぬとすれば、更に大に敬服せねばならぬであろ
う。蕪村の句は摸し悪い、太祇の句は模しやすいという事は、夙に世人のいうて
いるところで、またそれはたしかに事実だが、しかしそれも比較的の話しで、太
紙の句も決して模し易いことはない。試に太祇のこの種の句を模して見るがよ
い。それは終に卑俗な句になってしまって、容易にこの太祇のような気の利いた
句は出来ぬであろう。蕪村の句の模し難いのは著想の点が多きにいるので、思
いもつかぬものとあきらめる人も、太祇の句は著想が卑近なだけに及びやすい
ことのように思うが、よし著想だけ及ぶとしても、太紙のようにいいこなすことは
容易でない。(俳句は斯く解し斯く味わう)
不夜菴太祇句集 冬
422 玄関にて御傘と申時雨かな
423 うくひすのしのひ歩行や夕時雨
424 濡にける的矢をしはくしくれ哉
425 しくるゝや筏の棹のさし急き
426 中窪き径わひ行落葉かな
427 米搗の所を替る落葉哉
428 盗人に鐘つく寺や冬木立
429 冬枯や雀のありく戸樋の中
430 炉開や世に遁たる夫婦合
431 川澄や落ち葉の上の水五寸
432 麦蒔や声て雁追ふ片手業
433 達磨忌や宗旨代々不信心
434 をとらせぬむすめ連行十夜哉
435 なまふだや十夜の路のあふれ者
436 夜歩行の子に門て逢ふ十夜かな
437 辻々に十夜籠りや遣リ手迄
438 あら笑止十夜に落る庵の根太
439 莟しハしらてゐにけり帰花
440 京の水遣ふてうれし冬こもり
441 身に添てさひ行壁や冬籠
442 冬こもり古き揚屋に訊れけり
443 なき妻の名にあふ下女や冬籠
444 尻重き業の秤やふゆこもり
445 僧にする子を膝もとやふゆこもり
446 いつまても女嫌ひそ冬籠
447 来て留守といはれし果や冬籠
448 それそれの星あらハるゝさむさ哉
449 帋子着てはるはる来たり寺林
450 紙子着しをとや夜舟の隅の方
451 わひしさや旅寝の蒲団歌をよむ
452 活僧の蒲団をたゝむ魔風哉
453 足か出て夢も短かき蒲団かな
454 旅の身に添や鋪寐の駕ふとん
455 夜明ぬとふとん剥けり旅の友
456 人こゝろ幾度河豚を洗ひけむ
457 死ぬやうにひとハ言也ふくと汁
458 鰒喰ふて酒吞下戸のおもひかな
459 鰒売に喰ふへき顔とミられけり
460 河豚喰し人の寝言の念仏かな
461 意趣のある狐見廻す枯野かな
不夜庵に芭蕉翁を祭る
462 塀越の枯野やけふの魂祭
463 行々てこゝろ後るゝ枯野かな
464 行馬の人を身にする枯野かな
分稲一周の忌となりぬ此叟のすゝめにて大原野吟行せし
往時を思ひて
465 なつかしや枯野にひとり立心
466 鼠喰ふ鳶のゐにけり枯柳
467 目にそしむ頭巾着て寐る父の㒵
468 新尼の頭巾おかしや家の内
469 頭巾をく袂や老のひか覚へ
470 法体ヲミせて又着る頭巾かな
庚寅冬十月亦例の一七日禁足して俳諧三昧に入に草の屋
セはく浴も心にまかセねハやうやうかゝり湯いとなむに時雨
さへ降かゝりいとゝ寒きを侘るゝに吞獅より居風呂ワかして
男ともにさし荷セ来たり贈ものゝ珍しくうれしとやかてとひ入
て心ゆく迄浴しつゝかく申侍る
471 頭巾脱ていたたくやこのぬくい物
472 眼まてくる頭巾あくるや幾寐覚
473 帰来て夜をねぬ音や池の鴛
474 草の屋の行灯もとほす火桶哉
475 塩鱈や旅はるはるをよこれ面
476 手へしたむ髪のあふらや初氷
477 朝顔の朝にならへりはつ氷
478 勤行に起別たる湯婆かな
479 茶の花や風寒き野の葉の囲ミ
480 口切や花月さそふて大天狗
481 口きりやこゝろひそかに聟撰ミ
482 菊好や切らて枯行花の数
483 ちとり啼暁もとる女かな
炉に銚子かけて酒あたゝむる自在の竹に鬼女の面かけた
るを人の仰ぎ居る図に賛をセよと田福より頼れて
484 吹きやす胸はしり火や卵酒
485 鴨の毛を捨つるも元の流かな
486 胴切にしをせざりける海鼠かな
487 海鼠たゝミや有し形を忘れ顔
488 身を守る尖ともミへぬ海鼠哉
489 うくひすや月日覚へる親の側
490 大食のむかしかたりや鰤の前
491 剛の座は鰤大はえに見へにけり
492 立波に足ミせて行ちとりかな
493 茎漬や妻なく住を問ふおゝな
494 草の庵ワらへた炭を敲く也
495 水仙や胞衣出たる花の数
496 膳の時はつす遊女や納豆汁
497 曲輪にも納豆匂ふ斎日哉
498 僧と居て古ひ行気や納豆汁
599 御命講の華のあるしや女形
500 人の来て言ねはしらぬ猪子哉
喜助を江戸へ下せしあくる日
501 初雪や旅へ遣たる従者か跡
502 はつ雪や酒の意趣ある人の妹
503 木からしの箱根に澄や伊豆の海
504 陰陽師歩にとられ行冬至哉
505 野の中に土御門家や冬至の日
506 雨水も赤くさひ行冬至かな
507 たのミなき若草生ふる冬田かな
508 木からしや柴負ふ老か後より
509 今更にワたせる霜や藤の棚
510 腰かける舟梁の霜や野のワたし
511 鶤の起けり霜のかすれ聲
512 苫ふねの霜や寝覚の鼻の先
513 行舟にこほるゝ霜や芦の音
514 恥かしやあたりゆかめし置火燵
515 埋火に猫背あらハれ玉ひけり
516 埋火にとめれハ留る我か友
517 あてやかにふりし女や敷炬燵
518 火を運ぶ旅の炬燵や夕嵐
519 淀舟やこたつの下の水の音
520 草の戸や炬燵の中も風の行
521 摂待へよらて過けり鉢たゝき
522 暁の一文銭やはちたゝき
523 はけしさや鳥もかれたる鷹の声
524 鷹の眼や鳥によせ行袖かくれ
525 雪やつむ障子の帋の音更ぬ
526 小盃雪に埋てかくしけり
汲公と葎亭に宿してそのあした道にて別るとて
527 見返るやいまは互に雪の人
528 宿とりて山路の雪吹覗けり
529 空附の竹も庇も雪吹かな
530 うつくしき日和になりぬ雪のうへ
531 降遂ぬ雪におかしや簑と笠
532 御次男は馬か上手て雪見かな
533 足つめたし目におもしろし手にかゝむ
534 里へ出る鹿の背高し雪明り
535 長橋の行先かくす雪吹かな
536 交りハ葱の室に入にけり
537 寒垢離の耳の水ふる勢かな
538 寒月や我ひとり行橋の音
539 寒月の門へ火の飛フ鍛冶屋かな
540 寒月や留守頼れし奥の院
541 駕を出て寒月高し己か門
542 鍋捨る師走の隅やくすり喰
543 日比経て旨き顔なり薬くひ
544 枯草に立ては落る囹かな
545 氷つく芦分舟や寺の門
546 御手洗も御燈も氷る嵐かな
547 垣よりに若き小草や冬の雨
548 父と子によき榾くへしうれし顔
549 勤行に腕の胼やうす衣
几圭師走廿三日の夜死せり節分の夜明なりけれハ
550 死ぬ年もひとつ取つたよ筆の跡
梅幸へ言遣る
551 積物や我つむ年をかほ見せに
552 大名に酒の友あり年忘れ
553 夢殿の戸へなさはりそ煤拂
554 聲立る池の家鴨すゝ払
555 煤を掃く音せまり来ぬ市の中
556 剃こかす若衆のもめや年の暮
557 褌に二百くゝるや厄おとし
558 すゝ掃の埃かつくや奈良の鹿
559 怖す也年暮る夜をうしろから
560 年とるもワかきハおかし妹か許
561 寶ふね訳の聞へぬ寐言かな
562 聲よきも頼母しき也厄拂
563 年とりて内裏を出るや小烑灯
564 谷越i聲かけ合ふや年木樵
565 兼てよく㒵見られけり衣配
566 唐へ行屏風も画やとしの暮
雅因を訪ふ
567 年の暮嵯峨の近道習ひけり
年内立春
568 歳のうちの春やいさよふ月の前
辛島公園から工事中の交通センター跡地を観る。ここにビルが建てば景観は一変してこのようなナアングルの写真は撮れなくなります。今のうちですね。
久しぶりに市内中心部へ出ました。肥後銀行本店ギャラリーで堅山南風展をやっているのでそれを観に行ったのです。徳富蘇峰の人物画がよかったですね。これは前にも観たことがあるのですが、なんべん観ても感銘をうけます。蘇峰の内面がにゆっと出ています。並大抵の技量ではこんな絵は描けないです。
白・紫・黄の三色すみれ。公園の花壇に植えてあります。造園業者が手入れを請け負っているので、さすがに立派な花が咲いている。