二十日大根を収穫しましたが、発色がよいですね。葉っぱは一夜漬けにして食べます。秋が深まりましたね。
二本木東雲楼は「東雲のストライキ(東雲節)」で有名な遊廓です。東雲節の元歌は次のような歌詞だったそうです。
祇園山から二本木見れば
倒るるナントショ
金はなかしま(中島)家も質(茂七)
しののめのストライキ
さりとはつらいね てなこと仰いましたかね
少し解説をすると祇園山は花岡山、中島茂七というのは東雲楼の主人、帳場の責任者が斉藤。この時代熊本では斉藤を「さりとう」と発音していたらしい(ホントカナ・・?)。この元歌がさまざまに歌詞を変えて大ヒット曲になったのです。
東雲節 YouTubeにリンク 唄 市丸
東雲楼庭園
東雲楼庭園
二本木に遊廓が許されたのは西南戦争直後の明治10、11年ころと言われます。それまで熊本市に遊廓がなかったのかというと、私娼の売春宿が京町台にあって繁盛していました。明治4年に熊本鎮台が置おかれると、そこに全国から4千人の兵士が駐屯するわけですから、それを目当てに大小の遊廓、料理屋が、現在の裁判所付近一帯に軒をならべていたそうです。
その遊廓も西南戦争の時に官軍によって焼き払われて消滅、一時的に姿を消しますが、戦後にまた復活します。このときは私娼制ではなく官が許可を与える公娼制となり、遊廓は二本木以外の所で営業してはならないことになりました。爾来1958年の売春防止法成立の年まで80年余にわたって繁栄します。
以下に二本木遊廓の楼名と娼妓の嬌名及び実名並びに出身地を記します。これは清正公300年祭があった明治42年発行の「熊本の遊びどころ」より引用しています。
★梅花楼 二本木町1番戸電話527番 経営者 田中新吾
☆糸鶴(松本しつ、八代)☆若龍(石塚はる、鹿児島)☆老松(藤芳まつ、熊本)☆菊治(増田きわ、飽託)☆若駒(小形そやそや、芦北)☆鶴子(真開とき、熊本)☆若里(星子ちじゅ、玉名)☆右近(立川なつ、飽託)☆菊蝶(菊池てつ、愛媛)☆米次(朝永なお、長崎)
★益城屋 二本木町3番戸 女将 小梅
☆若浦(高木うら、やつしろ)☆市子(神谷すゑ、飽託)☆常磐(阿蘇品きと、飽 託)☆雛嶋(豊田はつ、福岡)☆大和(田中はつ、飽託)☆大吉(片江かの、飽 託)☆龍子(藤本たつの、飽託)☆朝日(徳永かよ、宇土)☆相(松藤かね、福 岡)☆朝鶴(上津原あさの、飽託)☆玉子(養父さち、福岡)☆若子(梶山はる、 飽託)☆澤野(萸木かな、球磨)☆小春(松江はる、長崎)☆此花(能登原いう、 飽託)☆朝子(高木たけを、菊池)☆駒吉(福本いし、八代)
★寶亭 女将 井上康子
☆衣子(金子だい、天草)☆八千代(松村よし、宇土)☆小櫻(川上みさの、鹿本)☆大見(西村やゑ、下益城)☆富子(瀬戸うさ、大分)☆曙(荒木てい、長崎)☆桃咲(吉永かき、飽託)☆花實(井上ゆき、八代)☆梅子(前田ます、八代)☆成駒(金田ゆき、下益城)
★東京亭 二本木町7番戸 電話737番 楼主 井黒弥助
☆小三(武田さだよ、愛媛)☆芳野(二田ふさ、佐賀)☆かしく(川上はる、飽託)☆鹿の子(上村ちさ、上益城)☆まさの(北本とし、飽託)☆霧嶋(米光さき、上益城)☆金八(志岐ます、飽託)☆君子(熊谷ます、福岡)☆静子(松本しつ、長崎)☆丸子(橋本すゑ、熊本)☆吉野(丸山きも、下益城☆乃花(佐田壽ゑ、うと)
★布袋 二本木町103番戸 女将 父母とめ子
☆子ノ日(高橋よし、飽託)☆金剛(圓山くに、京都)☆敷嶋(武田はる、下益城)☆對嶋(泉つや、長崎)☆常磐(齋藤ふき、飽託)☆鹿嶋(箱崎かと、飽託)☆有明(奥村さよ、長崎)☆菊月(内田つや、飽託)☆白砂(坂中なみ、愛媛)☆生駒(川野ゆき、大分)
★松龜亭 二本木町144番戸 電話736番 楼主 増山勘太郎
☆式部(緒方まる、飽託)☆照葉(古閑みつ、八代)☆常磐(佐藤つね、熊本)☆志信(村上のぶ、八代)☆巴(倉原ふじ、長崎)☆友恵(新見たけよ、広嶋)
★清川亭二本木町9番戸 電話423番 楼主 石原壽の子(8余歳の老婦)
☆鳴海(山田やよ)☆雲鶴(高濱きわ、飽託)☆玉里(中園きく、大川)☆花衣(大濱すゑ、熊本)☆小柳(阿部とき、筑後)☆橘(吉村まち、長崎)☆芳子(樋口さの、福岡)☆アダカ(佐々木きん、天草)☆三國(富永はるの、飽託)☆墨染(早瀬すみ、上益城)☆名月(南部きみ、熊本)☆小さん(新庄りき、飽託)☆霧嶋(津田きの、長崎)☆若花(小中りよ、福岡)☆若富(古川とち、鹿本)☆綾子(北方さん、佐賀)☆愛吉(村上みね、馬関)☆若吉(金子さと、鹿児島)
★清多楼 二本木町11番戸 楼主 石原壽の子(清川亭の支店)
☆菊鶴(岩佐はつ、飽託)☆有明(荒木かつ、長崎)☆鶴羽(中村一重、飽託)☆糸鶴(林田つよ、口之津)☆初枝(西牟田ゑみ、いづみ)☆友鶴(吉本しを、八代)☆玉鶴(井川そよ、大分)☆花ぞの(園田千代喜、上益城)☆房子(奥野ふさ、和歌山)☆琴次(松永きの、飽託)☆八重鶴(美林ちか、福岡)☆吾妻(藤本とり、飽託)☆泉(岡崎すみ、飽託)
★東雲楼 二本木町134番戸の1 電話246番 楼主 中島茂七 郭内随一の大籬
☆友江(中岡こすみ、愛媛)☆静香(土井ひろ、さが)☆妻吉(内田つま、)☆不知火(山内つま、大牟田)☆小菊(中嶋ゆく、飽託)☆京香(八木田つる、京都)☆梅幸(中嶋むめ、飽託)☆金糸(郡野きた、八代)☆花紫(安部田いわ、福岡)☆君子(内村みわ、飽託)☆仇吉(林田千代、飽託)☆青柳(末光みか、長崎)☆花衣(高濱はつ、熊本)☆浦里(那須野そよ、大分)☆東雲(船津きく、東京)☆常磐(中嶋かの、飽託)☆初菊(緒方はじめ、山が)☆日の出(横山ちか、佐賀)☆君勇(西嶋ひで、福岡)☆信夫(松本もと、宇土)
★新一楽 二本木町158番戸 女将 稲田とし子 一楽支店
☆千島(阪本けし、飽託)☆梅子(柴垣のぶ、飽託)☆一枝(吉沢かめ、飽託)☆福次(佐伯げん、天草)☆津山(武田たき、飽託)☆重子(木下ちく、広嶋)☆花子(内村たじゆ、飽託)☆明石(村上かね、熊本)☆千代子(里井たみ、大阪)☆若糸(古賀さだ、熊本)☆小花(大磯なと、宇土)☆村治(石川むら、島原)☆若春(中嶋じゆの、八代)☆徳八(関つな、福岡)☆富助(山城きま、飽託)☆鶴吉(立石ちま、牛深)☆千代子(上野つな、福岡)☆八重野(木村やゑの、和歌山)☆徳八(清井ちよの、筑後)
★我妻屋 二本木町188番戸 女将 野村ちき子
☆朝日(大久保きよう、直入)☆床本かね(床本かね、大阪)☆辻村ふさ(辻村ふさ、大阪)☆香取(松野すえ、水俣)☆太助(紙志奈しけ、大分)☆敷嶋(原田やをよ、福岡)☆香蝶(平嶋いせ、久留米)☆笹波(佐原いね、出水)
★一楽 二本木町160番 電話73番 楼主 稲田栄作
☆都(本多すゑ、長崎)☆藤松(栖川八重、飽託)☆福助(佐藤てい、飽託)☆お多福(矢倉きみ、大阪)☆今里(森口つま、牛深)☆おもちや(佐伯とよ、広嶋)☆東雲(嶋千代、長崎)☆叶(城戸かね、福岡)☆桃助(吉田たけ、広嶋)☆大吉(久保田むつ、飽託)☆不知火(西田ゑい、京都)☆沼津(大楢ふさ、長崎)☆若葉(田口とよ、長崎)☆かしく(石原しげ、熊本)☆米葉(大賀ゑき、福岡)☆若龍(山根てる、嶋根)☆君子(山口やい、長崎)☆いろは(金森しげ、長崎)
★鶯楼 二本木町161番戸 電話368番 楼主 竹下彌次郞
☆君鶴(山田のか、芦北)☆登(徳瀬なか、佐賀)☆お多福(安部いその、飽託)☆三福(久保田ふい、飽託)☆唐崎(有本ふさ、和歌山)☆一声(橋本とめ、筑後)☆勝勇(山田しげ、大阪)☆若子(園田しず、熊本)☆遊喜(岩崎まつ、阿蘇)☆早子(赤松つき、熊本)☆花恵(中村つも、熊本)☆大吉(池田くま、筑後)☆小櫻(住友ゑい、徳島)☆紫(清田いと、熊本)☆若竹(江崎いね、佐賀☆カナタ(境木のく、大和)☆雲鶴(田中きく、)
★第二日本亭 二本木町37番戸 電話771番 楼主 中嶋茂平 東雲楼
支店
☆初枝(田中はつ、熊本)☆都(芦塚すへ、熊本)☆絹栄(清田登壽、上益城)☆敷嶋(坂井とき、大牟田)☆宮城野(大川つる、福岡)☆白川(江崎みす、筑後)☆花子(吉黒はな、熊本)☆初根(中村ゑい、熊本)☆芳子(杉森よし、下益城)☆小米(本田ちじゆ、飽託)☆政治(佐藤さの、福岡)☆すみ江(山本澄江、愛媛)
★青玉楼 二本木町132番戸清 川亭支店
☆松嶋(飯田つる、飽託)☆春芝(志波はる、佐賀)☆仇吉(長多あやの、天草)☆若葉(うちだまつ、飽託)☆如月(向井茂登、熊本)☆小春(鹿尻ふい、八代)☆生駒(内田りつ、鹿本)☆福龍(小野田すて、和歌山)☆白藤(河野みね、長崎)☆初子(澤田まさ、八代)
★松鶴楼 二本木町39番戸 電話244番 女将 川嶋壽加子
☆秀子(児嶋ひでの、出水)☆美津子(井手口みつ、出水)☆松嶋(三村きく、宇都)☆市松(加藤とめ、佐賀)☆千代子(中川みき、八代)☆松島(池田きく、島原)☆若治(石川りつ、福岡)
★悦亭 二本木町32番戸 楼主 梅田熊喜
☆色葉(濱田たみ、天草)☆豊橋(山本つき、飽託)☆若子(野田ちよも、上益城)☆五月(福田ひと、飽託)☆金時(立石ちよ、佐賀)☆二三子(甲斐さよ、隈庄)☆常盤(武内わ、飽託)
★芳野亭 二本木町39番戸 電話539番 楼主 與縄由太郎
☆大分(長瀨きくえ、飽託)☆東洋(船瀬さき、飽託)☆関弥(藪みつ、八代)☆若春(山崎さと、八代)☆旭(森山きみの、嶋原)☆達磨(難家なみ、飽託)☆不知火(本田ふく、嶋原)☆右近(小川春、熊本)☆吾妻(河嶋すえ、熊本)☆左近(小川梅、熊本)☆若葉(長田さよ、飽託)☆朝妻(松村すえ、八代)☆宮城野(松本とく、嶋原)
★末広楼 二本木町130番戸 楼主 木村光太郎
☆市助(小嶋とめ、熊本)☆力弥(重松こと、福岡)☆室町(板橋ちき、嶋原)☆一鶴(中山くら、飽託)☆小櫻(吉村りき、熊本)☆花衣(北里ふい、八代)☆文明(緒方ちか、宮崎)☆伊達吉(山本くら、飽託)☆金六(江川りん、宇土)☆小春(笠原さく、飽託)☆大吉(梅田すかね熊本)
★榊楼 二本木町124番戸 楼主 林鶴松
☆壽(加川とめ、飽託)☆敷嶋(角谷くめ、飽託)☆花扇(永延ふい、福岡)☆八嶋(田熊とよ、福岡)☆月岡(村上と壽、上益城)☆久子(上野ひさ、愛媛)☆花小(尾野けさまつ、鹿児嶋)
★園木屋 二本木町27番戸 電話717番 楼主 女将 園木はま子
☆藤浪(角はな、鹿児嶋)☆千里(中村せき、長崎)☆小民(坂井あきの、福岡)☆浦嶋(角田はま、東京)☆小玉(石松せき、大分)☆野菊(井上とよ、飽託)
★若木楼 二本木町21番戸 電話402番 楼主 川嶋壽加子(松鶴楼支店)
☆曙(山下ゆき、天草)☆春次(鵤はる、熊本)☆若駒(水田かそ、芦北)☆泉栄(宮本ちぎ、菊池)☆卯月(定盛みね、玉名)☆津保美(赤松かよ、熊本)☆雲晴(福島もせ、八代)☆左右(嶋崎きよ、長崎)☆景色(福岡ねよ、下益城)
※一度には収まらないので二度に分けて掲載します。
句会日時 2017-10-20 10時
句会場 パレア9F 鶴屋東館
出席人数 8人
指導者 山澄陽子先生(ホトトギス同人)
出句要領 5句投句 5句選 兼 題 蘆の花
世話人 近田綾子 096-352-6664 出席希望の方は左
記 へ。
次 会 11月17日(金)10時パレア9F 兼題 時雨
山澄陽子選
枯葦や川面に広がるセピア色 純 子
葦の原湖水に映る波模様 〃
み仏に届けし菊の活けてあり 〃
名月や雲の流れに見え隠れ 〃
アーケード祭囃子の吹きぬくる 興
蘆の花小舟ゆらりとつき入れる 〃
葦刈舟とんと竿つくこと覚え 〃
曼珠沙華果てなく続く阿蘇路かな 〃
蹲踞に木の実落つおと密かなる 安月子
閑かなる独りの時を木の実落つ 〃
秋うらら五感の森てふ美術館 〃
遊廓のむかし偲ばん路地の秋 礁 舎
風に揺れ漣にゆれ蘆の花 〃
女子部員操る艇や蘆の花 〃
狛犬は遊女の寄進宮の秋 〃
新米のあと幾度かわが余生 武 敬
秋寒や妻の背中に貼る湿布 〃
江津湖畔汀女も見たる蘆の花 〃
散策の江津湖を渡る蘆の風 小夜子
蘆の花遠くに見ゆる観覧車 〃
栗飯のほっこり炊けて先ず亡夫へ 〃
嫁来たり今茹でし栗持たせけり 綾 子
いが栗を靴で踏み分け実の太し 〃
川舟に乗り込み下る蘆の花 〃
枯蘆のすきまの空にビル浮かぶ 優 子
(先生の句)
たまさかの遠出秋色湖中句碑
憂う日は晴れても冥し曼珠沙華
秋灯下親しみて読む相聞歌
蘆の花風を捉へて揺れ止まず
遠く旅して来しごとし蘆の原
今年もハヤト瓜の花が咲きました。一本の蔓に写真のように一円玉大の花をたくさん着けますがこれは雄花で雌花は別の蔓に咲きそれに実が着きます。受粉を媒介するのは上の写真のように足長蜂です。この花に蝶は来ません。朝からぶんぶん飛び回ってにぎやかです。
この季節楠も紅葉して落ちる葉があります。楠は初夏のころ嫰芽と入れ替わるときすべて落葉します。ですからいま落ちる葉っぱは病葉なのでしょうか。よくわかりませんが、美しく紅葉して落ちています。
膝栗毛は5編へ進みました。4編の終わりは七里の渡しを宮から桑名まで7里の海路です。ここでは弥次郎兵衛が船中で放尿してしまうという失敗談があります。渡し賃は1人45文、所用時間は4時間、陸路を歩くより3時間も早く着きます。途中から物売りの船が追っかけてきて酒、肴、饅頭などを売りに来ます。旅人には楽しく心安まる船旅です。
今日は会に先立って役員会を開き会則を改正して会費を値下げしました。千円/月を2千円/3月としました。これは会員数が増えたからできたことです。
富合町の旧家、清田家住宅への市及び県からの助成が決定しました。清田家住宅は明治初期の建造で建築様式は江戸時代末期の庄屋造りという大変珍しい作りだそうです。
このブログへも被災直後の写真をアップしておきましたが、今回修復されることが決まってほんとうに良かったと思います。第12代当主清田泰興先生は一時は解体を覚悟されていましたが、修復が決まってほつとされていることでしょう。
それでも修復費用の1/4は自己負担ということだそうで、軽い出費では済まないようです。
雑詠選後に 村中のぶを
修復の被いすっぽり城の秋 松尾 照子
熊本地震で崩れたお城のテントに封じられた今の異様な光景を詠じてゐる句です。而し一句はまことに尋常な表現で捉へ、その中七の叙述、結句の表出に私は躊躇なく偉とします。因みに作者は先に上村占魚、近くは夕野火先生の膝下にあった人です。
さざ波の寄せて織りつぐ花いかだ 後藤 紀子
「花いかだ」とは、水に散って流れつづる桜の花を筏に見立てた季語ですが、それを一句は「寄せて織りつぐ」と叙してゐます。何かそれは古典でも読むやうな、いかにも古風な措辞で、しかもその風景を的確に表現してゐます。なほ同じ春に「花筏」といふミズキ科の落葉低木の白い花を呼んだ季語があります。
母の名の流燈もあり添ひてゆく 伊織 信介
精霊流しに心を寄せる句です。特に「流燈もあり」のもの助詞に注目します。この助詞について、或る辞書には(願望表現としてその中心にあるものを示す)とありますが、一句の意図もこの一点にあらうかと思へます。それは流燈群の中の母の名にこそ、寄り添って蹤いてゆくのです。作者は句歴も長く、他の誌上にでも夙に活躍されてゐる方です。
いまだ現役九十三の生身魂 古野 治子
凡そ詩歌は一人称の文芸であります。つまり私は、我は、われわれは、といふ事です。「生身魂」の詠、まさに昂然と言ひ放って、女性の方です。して私共は、時には身を曝け出し自己を詠ずることも心掛けておくべきでせう。 なほ、作者とは数度お会ひして誠に穏やかな、柔和な方であることを付言しておきませう。
法師蝉律儀に鳴きてついと消ゆ 佐藤 和枝
「律儀」とは、佛語に因する言葉とありますが、一般には実直で義理がたい事を言ひます。それに「ついと」とは副詞として突然に、いきなりにと叙してゐるのです。以上を読み取りますと、或る時のつくつくしの本性を言ひ取ってゐて面白いと思ひます。しかし作者が、詩語の選択に労をとられたことは間違ひないと思ひます。
遠晴れて利尻の海の昆布船 赤山 則子
むろん北海道の方の詠句です。「遠晴れて利尻の海の」といふリズミカルな措辞が実に印象的で、遠い日に訪れました利尻岳とその海波の風光が目に浮かびます。また映像で目にします昆布探りのダイナミックな光景が想像出来ます。
詠句は簡単に詠ほれてゐるやうですが、この様な広大な風景を詩的に一句にまとめるといふ事は容易なことではありません。やはり日頃の労作の結果でせう。これからも当地に根ざした諷詠を期待いたします。
アヴェマリア梅雨聖堂に父送る 坂梨 結子
カトリックの方の父上の葬儀ミサの詠句です。彿教では葬儀ですが、カトリックでは別に鎮魂ミサとも呼ばれてゐます。「アヴェマリア」とは賛美歌を指してゐると思ひます。凡そキリスト教の葬儀は聖書と賛美歌と、祈祷が中心になってゐますが、その賛美歌の中、十字架を冠つた父上の棺が、外は梅雨さなかの大聖堂の聖壇へ進んでゆくのです。一句は 「梅雨聖堂に父送る」と詠じてゐます。読者にはその荘厳と悲しみのこゑが伝はつて来て、心に残る詠句です。
帰天とふ友の訃届く被昇天祭 向江八重子
作者は熱心なカトリックの信徒の方です。現に第四句集は集名も装丁も神父の方の手によって上梓されてゐます。
掲句の 「帰天」とはむろんキリスト教徒の方の死をいふのですが、召天とも呼ばれてゐます。その訃報が届いたのは「被昇天祭」 の日と、詠じてゐます。被昇天祭とは、八月十五日、一般には孟蘭盆の日、カトリックではこの日、聖母マリアが死を免れて昇天した日として教会では盛大なミサを行ふ日とあります。つまり作者は聖母マリアの被昇天の日、友の訃を知ってその因果と衷しみとを享受してゐるのだと思ひます。私は野見山朱鳥の (春落葉いづれは帰る天の奥) といふ、生を通した死の肯定につながるであらう句を思ひ出しました。
※ 俳誌『松(隔月刊)』購読希望の方は以下へご連絡ください。
購読料 同人年額10,000円 賛助会員(購読のみ)年額5,000円
連絡先 〒862-0922 熊本市東区三郎2-19-9 電話096-381-3774 西村泰三
熊本の遊びところ 明治42年刊
今月の読み合わせ会に平井さんが珍本を持参されました。例のヤフーオークションで購入されたものです。明治42年という年は清正公300年遠忌にあたり、熊本市ではそれを記念して商工会議所などが中心になって種々の記念行事を行ったようです。この本は県の内外から本妙寺等へ参詣に来る人たち向けのガイドブックとして出版されもののようです。
ページをぱらぱらと繰っただけでこの本が珍本であることがすぐに見て取れます。芸妓26人の顔写真がグラビアとして冒頭を飾り、きれいに結い上げた日本髪と豪華な衣装姿の芸妓を見れば一流の写真場で撮ったものであることが分かり、熊券と西券という所属が記してあるので、当時二つの券番があったことも分かります。
(西券)友子 茶羅 初子 孝龍
西券番は二本木遊廓内にあり、熊券番は塩屋町裏一番丁にあった。ここは俗に裏小路と称していたらしい。芸妓の数は合わせて80人ほどとあります。二本木遊廓の娼妓は800人いたそうですから、それに比べると芸妓は少ないのですが彼女たちには芸は売っても身体は売らぬという芸妓としてのプライドが写真にも顕れていますね。玉代は1時間60銭ばかりと書いてあります。
この本が貴重だと思うのは芸妓の紹介の仕方がとても詳しいというところです。先ず源氏名(お座敷名)と本名、出身地の記載に留まらず得意芸や、座持ちの特徴にまで紹介が及んでおり、この妓を宴席に侍らせてみたい、と読者に思わせるような紹介の仕方になっていることです。一例を下に記しませば
★西券番 二本木町百七十一番戸 電話百二十七番
この券番は芸妓の線香所又は集会所といふを当れりとす。即ち芸妓一同の申し合せを以て組織せるものにして、別に営業主なるものなし、此券番に於て寧ろ芸妓が主にして券番は従たるなり。同券は前にも記せる如く、歴史の古きと、名妓と美姫とに富むを以て毎夜箱切れの有様なりといふ。今籍を同券に有し、歌舞の喜見城に、翩々細腰を誇る歌妓の芸名、まつた少々野暮の嫌ひあれども、御慰に其の本名と出身地とをも列挙すれば左の如し
★ 一龍(立石いち長崎)は相撲ならば年寄株といふ所にて、ジッとしたる所に貫目あり。
以下35妓をこのような調子で紹介しています。
★熊券番 塩屋町裏一番丁十三番地 電話百四十八番
同券番は前に記せる如く、元熊本券番合資会社と称し、会社組織なりしが一咋四十年解散して現今は八百九、京常、開陽亭、及び神山某四人の名義を以て経営しつつあり。古き歴史と遊郭の後援とを有せる西券番と相拮抗して下らず、大小の歌妓孰れも研を競ひ美を誇り、招聘常に絶えずといふ。所謂花の真味を知らんとするの風流の才子は百聞一見に如かず、一度同券の妓を招いて座興を扶けしめらるべし。今同券に籍を有せる白拍子を、前例に依りて左に載録せん。
★ 三吉(竹本はつの福岡)変生男子と称せらるる老妓、三味も座持ちも達者
以下23人の紹介
著者は鉅城紅豆陳人という人ですが、文章の書き方などから見て新聞記者ではないかと思われますが、よくわかりません。明治42年から今年は108年になりますが、今の熊本市に券番などはありません。