古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

これから古文書に挑戦したい方のための読み合わせ会です。また独学希望の方にはメール会員制度もあります。初心者向け教室です。

俳誌「松」 令和2年鰯雲號

2020-09-27 07:49:05 | 

 主宰五句     村中のぶを

俯きし提灯花の一隅よ

ゆくりなく「只管写生」碑に夏茜

梅雨夕焼球磨の山河をおもへとや

冷酒やいのち冥加と申すべく

麦稈帽下駄履きわれの自尊心

    ※「只管写生」は松本たかしが唱えた俳句作法

松の実集

リハビリ   安永静子
リハビリの秋庭周回蚊遣香
明日あるを信じリハビリ星涼し
冷房や籠り居に脚弱りゆく
生きなんとリハビリ続け秋に入る
リハビリにふらつく足や秋暑し

雲の峰   山並一美
涼しさも届く受話器の向かうから
草を取るときどき海を眺めては
逢へる日の当てなき別れ菊に酌む
独りには非ず仏と満月と
雲の峰時折り遠き子のことを

風合いと色合ひ   伊東琴
紫草(むらさき)や母の好みし色吾も
織り上げし麻布の風合母に問ふ
藍刈るや手に染む藍もこぼさじと
経も緯も糸はカシミヤ草茜(あかね)染め
八千草や織機を踏めぬ足となり

先師の忌   西村泰三
岩すべり覚え幼や水遊び
逃げろ逃げろパパの水鉄砲追ひ来
芦の音波音ときに通し鳰
忍び入るかに空堀を葛伸びゐ
 夕野火忌・連葉子忌
梅雨に祈る十日違ひの先師の忌

 

雑詠選後に   のぶを

 

 


俳誌「松」向日葵號 令和2年7月号

2020-07-17 20:51:48 | 

主宰五句  村中のぶを

潮騒に松籟に貝寄風のころ

との曇り濱豌豆のなだれ咲き

明け空の豊旗雲や桐の花

海へ向ふ立浪草の道であり

「松」若竹號表紙繪に
南の國の竹の子粗粗し

松の実集

燕の巣   祝乃 験
遅れゐる燕の巣作り店改装
抱卵か巣に籠もりゐるつばくらめ
サプライズ母の日贈る胡蝶蘭
日の出時の天子の梯川鵜飛ぶ
診療所裏は蛍の宵となり

赤い薔薇  金子千世
朝涼に両手を広げ風を比(たぐ)ふ
手づかずの庭の夏草雲走る
赤い薔薇何となくつい買ひにけり
庭詰めに耐えて過ごすも夏の風
髪切ってさらりと街へ夏の風

峰の奥  浅野律子
持て余す一匹買へる桜鯛
四・五本の夫の牡丹の気取りをり
三密をさけてテラスにサラダ食ぶ
朝明(あさけ)なる屋根より下りるはたた神
峰の奥夏山にして雪光る

メダカ生る  西村泰三
メダカの子生れをり動く照りながら
芥とは違うて動きメダカの子
二ミリの身動く子メダカ光り受け
慣れ来る目に子メダカの増え読めず
梅花藻咲く五ミリとなれる稚魚の槽

雑詠選後に  のぶを

春寒や笑ひの志村けん逝けり   勝 寄山
   いはゆる正鵠を射る、といふ言葉がありますが、一句は正に当節の世情を詠み取ってゐて余り有ります。それもコロナ、コロナ禍といふ直接的な表現ではなく、「笑ひの志村けん逝けり」と風刺的にも強く批評を込めた、鋭い感性の時事を詠じた句です。

天を差す指より乾く甘茶仏    伊織信介
 「甘茶仏」とは、誕生釈迦立像の事で、誕生会、つまり4月8日の花まつりの本尊として祭られ、右手を挙げ、左手を下げ、それぞれ掌を見せ、施与といふ手印をとってゐます。説に依れば像の7歩歩いた足跡には蓮華の花が咲き、天上から竜王が香水を降らせたとあり、誕生仏の姿に甘茶をかけるのは之によつてと云はれてゐます。
  掲句は「天を差す指より乾く」と、その添景を叙して、誕生仏と周りの状況をよく伝へてゐます。
 なほ釈迦の降誕のことばに有名な、「天上天下唯我独尊」とあるのを付記しておきませう。

生もあり死もあり田植えさ中にて   山並一美
 「生もあり」「死もあり」、つまり生老病死の事を表白したのか、それとも子供が産まれ、ある日は弔ひがあったりして、それも「田植えさ中」の頃-。
 味読して実に深い息遣ひの詠情です。作者は96歳の方、その老境の自在さに感じ入ります。そして自然と人生とを見据ゑた句境に肖りたいと切に思ひます。

初夏やマスクの柄もストライプ   伊東 琴
 先にも触れてゐますが、昨今は日日コロナとマスクの話題で持切りです。而し掲句に限つてその深刻さは皆無です。して「初夏やマスクの柄もストライブ」とは、夏の到来に合はせてマスクも縞模様の柄にと明るさに満ちてゐます。それに作者は確かに染色に携はつてゐる方、然もあらんと納得のゆく作句です。

キャンパスに三叉路五叉路さへづれる   山岸博子
 大学構内を詠じた句。「三叉路五叉路さへづれる」、如何にも生気に満ちた、学生たちのそれぞれ講堂に向かふ光景と、その辺の草木の鳥たち、総じて春さきの学内の四辺を活写してゐます。作者は札幌市在住、北海道大学所見でせう。先にも作者の句を挙げてゐますがね、ここでも北国の爽やかな大気の見える句柄です。

混血の名の堂々の初幟   那須久子
 「混血の名」、言ふまでもなく日本人と外国の方との子の名、その「同堂の初幟」、作者は先にも引いてゐますが、宮崎熊本県境の市房山麓に住む方、想像しても幟のはためきが山野の空に眩く見えて来ます。それも混血の名といふ措辞が強く印象に残ります。それはまた現代の新しい鯉幟と言ふべくー。

有明海に引力みたり遠干潟   吉永みつせ
 広大な景観を骨太く描出した句、「引力みたり」しは起潮力といふ言葉もありますが、月と太陽の引力の事でせうか。大らかな力感に満ちた句です。それも「有明海」「遠干潟」とは誰もが知る懐かしい眺望、古くから文や詩歌にも詠まれ、特に干潟の生物の睦五郞、蝦蛄などは愛玩其の物でした。なほ筆者も様々な思ひがあつて、松永伍一文の写真集「有明海」、それに諫早出身の詩人伊東静雄の詩集を机辺身近に置いてゐます。詩集には世に膾炙した〈有明海の思ひ出〉があります。

亀啼くやほろ酔ひ帰る湖畔径   村田 徹
 作者の住む熊本市東南の江津湖「湖畔径」、そこを「亀鳴くやほろ酔ひ帰る」、つまりほろ酔ひて帰る宵の水際に何か声がしたのか、それを亀鳴くとー。季題の斡旋も然ることながら、何とも風流韻事の一句ではー。筆者も酒家の一人として、その作意に改めて敬意を表します。

野あざみや棚田天辺家一軒   園田のぶ子
 田園風景の写生句。「棚田」の畦をを伝ふ「野あざみ」の花が印象的です。それに「天辺家一軒」との叙景、叙法がまた鮮やかに棚田の丘の全景を描出してゐます。島原半島の一景でしょうか。

花冷えや罪人のごと家に籠る   温品はるこ
中七の「罪人」西教的にはつみびと、ここでも祈りのごとくに詠むべきでしょう。「花冷えや」「家に籠る」、それは暗に世に言ふ自粛のもたらす故なのか、さうでなくとも花冷えという時節と共に、罪人とよぶ措辞に何か私小説的な詠風です。

増えに増え二人志静の庭なりし   荒牧多美子
 「増えに増え」はいはゆる同じ言葉の繰り返し、リフレインに依つて咲き溢れた「二人静」を表出し、結句の「庭なりし」はその庭情を強調してゐるのです。

 

 


 

 

 

 

 

 

 


第二回 宗像夕野火顕彰俳句大会投句要領

2020-05-22 09:30:09 | 

趣 旨 

 郷土が生んだ俳人宗像夕野火を偲んで、その業績を讃え、伝統ある俳句文化を後世に引き継ぐため、顕彰俳句大会を開催する。

開催日時
 令和2年9月26日(土)、受付開始午後1時、大会開始午後1時30分より、終了予定午後5 時

会 場
 球磨郡多良木町駅前 多良木町交流会館 石倉

募 集
 小学生 中学生 高校生は1人2句まで
 一 般 2句1組 何組でも可 雑詠未発表の句に限る 所定の用紙、又はB5判200字原 稿用紙
投句用紙


                   この画像をB5判用紙にプリントしてお使い下さい。

投句料
 小学生、中学生、高校生は無料
 一 般 2句1組1,000円 何組でも可 郵便小為替または現金書留にて納金

投句締切
 令和2年7月15日 厳守 当日消印まで有効

投句先
 〒862-0922 熊本市東区三郎2丁目19番9号
 俳誌「松」発行所内 宗像夕野火顕彰俳句大会事務局 電話 096-381-3774

選 者
小学生低学年の部  村田 徹(俳人協会会員・松同人)
小学生高学年の部  西浦大蔵(俳人協会会員・松同人)
中学生の部     園田篤子(俳人協会会員・松同人)
高校生の部     岡本ゆう子(俳人協会会員・松同人)
一般の部      西村泰三(俳人協会評議員、支部顧問、俳誌「松」発行・編集責任者)

後 援
 多良木町・同教育委員会・同文化協会・湯前町・同教育委員会・同文化協会・あさぎり町・同教

 育委員会・水上村・同教育委員会・熊本日日新聞社・熊本放送・熊本県俳句協会・俳人協会熊本

 県支部

 

 


俳誌「松」若竹號 2020-05

2020-05-21 20:39:27 | 

 主 宰  五 句     村中のぶを

金鳳華北の雪嶺日を浴びし

春寒き拈華微笑(ねんげみせう)の遺影かな

 (子規の頭おもふよ洋梨見てあれば 占魚)
芳墨の一軸かかげ春の燭

遠嶺雪斑らに春田鋤く日かな

あめつちの明るさのなか辛夷咲く

 松の実集

 花満る  福田祐子
災を飛ばしてしまへ春疾風
春宵やスマホで交はす宴かな
花満る母と乗り会ふ人力車
風光る海の匂ひの観覧車
風光る亡き子を想ふ葛西沖

 庭牡丹  酒井信子
閂の固き牡丹の客案内
春風や待ちし合格通知来る
はくれんに塀越えて来る風眩し
花荊見上げ息つぐ朝の試歩
蝶つまみ損ねてはまた泣く子かな

 四旬節  坂梨結子
朝ミサの帰りにしかと初音かな
笹鳴きの庭木蓮の一斉に
帯となり中州まぶしき花菜かな
きらめきて集ひて稚魚や春の川
祭壇に供へ小手毬四旬節

 遺 影   鎌田正吾
畑仕事終へ庭仕事日脚のぶ
とどまれる雲の光りや野梅咲き
和太鼓の音のこだまや梅まつり
中天を野火のうづまく草千里
診療を待つ間見とれるシクラメン
 三月二十九日死去、熊本「松」句会への最後の投句より五句抄出。

雑詠選後に    のぶを

春陰や祈りをとかぬ石仏   菊池洋子
 句は「春陰」の或る一隅に存す、合掌した「石仏」の姿を、未来永劫に「祈りをとかぬ」と詠じています。つまりその事実からして、詩として、より鮮明に対象の姿が見えて来る表現をとって、季題も季題らしく、ひいては私共の(写生)に対する要諦をよくよく示してゐます。

犬なだめつつ東風の門出る女  安部紫流
 「東風」とは春を告げる風、逸り立つ「犬なだめつつ」、その「門出る女」、門はむろん、かどと読むべく、一読してなにか雰囲気のある一句です。結句の出る女、それは普通の門先ではなく、句柄からして高い門扉から現れた女人らしく、それも資産家風の人では-。それにしても印象的な詠出ではあります。

凧揚げに倦みて眺むる城普請  村田 徹
 掲句は、作者自身の「凧揚げ」と、同じ空のもと「城普請」とを詠んでゐます。それは単調といへば単調な遊びの凧揚げ、片や城普請と、言はずと様々な機材と覆ひの中での綿密な作業、「倦みて眺むる」は、言葉以上に作者は複雑な思ひでお城を見つめてゐるのでは-。むろん作者は在熊本市。

ポプラの芽札幌の空果てしなく  山岸博子
 素読して実に通りのよい晴れ晴れしい景。それも春先のポプラ並木の、区劃された札幌の街筋の空が見えてきます。
 水彩画のやうな淡彩の句。

きまぐれ東風まろく毒突く老いもよし  浅野律子
 きまぐれは気紛れの事、変はりやすく予測のつかないこと。気まぐれ天気といふ言葉もあります。「気まぐれ東風」とは面白い用語です。「まろく毒突く」もまた意表を衝く語、つまり角をたてずに悪口を言ふこと。「老いもよし」は自画自賛。総じて既成の言葉に捉はれない、自由闊達な一句です。

啓蟄や開け放ちたる農具小屋  鎌田正吾
強東風や片寄る竿の灌ぎもの  酒井信子
 掲句に就いてですが、高浜虛子の言葉を擧げます。「俳句は平俗の詩である。」「俳句は春夏秋冬の現象を透しての生活の記録である。」「写生とはそこに作者の心が働いて、その万物の相の中から或る一つの姿をとらへて来る事を言ふのである。
 改めて掲句を未読して、虛子の言葉は心を揺すります。

啓蟄や畦に立ちたる夫婦雉子  高橋すすむ
 「啓蟄」は三月五日、この頃の作者の住まふ球磨の田野の一景を詠み取つてゐます。「夫婦雉子」とは、作者自身の用語で、雉子は目の周りに赤い肉垂れなどがあつて多彩な色と、雌は褐色一色。この色どりの、餌を探す夫婦雉子の向かうに、読者は長閑な盆地の広ごりが、否応なく見えて来ます。因みに雉も春の季語で、一つの歳時記に「万葉集」家持の歌がしょうかいされてゐます。<春の野にあさる雉の妻恋ひに己があたりを人に知れつつ>。

余生とは嫌な言葉よ春を待つ  藤井和子
 甚(いた
)く心情を吐露した詠句。誰しもが心の底に抱いてゐることかも、共通した想ひが去来して。しかし作者の面と向かつての此の一句、その強さに読者は大いに救はれます。

夫います心のよるべ恵方とす  池原倫子
 亡き夫のいます、心を寄せる方が恵方といふ、如何にも古歌を思はせる詠句です。それに作者の沁み沁みとした心情が伝はつて来ます。

カルストの空に溶け込む雲雀かな  北本盡吾
 「カルストの空」とは、作者の住む北九州市の、国定公園でも知られる平尾台の所見でせう。その石灰岩の様々な形容の広がる台地の空に「溶け込む雲雀」とは、その天空の広がりに、雲雀の点々とした飛翔を鮮明に表出してゐます。して溶け込むとの表現は実に作者の手柄といふべく。


手習ひのショパンの調べ春の風  那須久子
 「手習ひ」とはなんとも古風な懐かしい語句。そして「ショパンの調べ」とは、その対比がまことに新鮮な詠情で、その「春の風」に乗つて、さしてはピアノのワルツの曲が流れて来る様です。作者にとつて至福のひと時。

夫と行く黙(しじま)も楽し冬木道  細野律子
 冬木とは、葉を落しつくした木々の姿、その「冬木道」を「夫と行く黙も楽し」。閑かな林間の日ざしに、冬木の影と二人の影と-。鮮やかに心に残る諷詠です。

 

 

 

 


俳誌「松」 百千鳥號 令和二年三月

2020-03-19 09:15:26 | 

主宰五句          村中のぶを

冬の日やわが影父の影に似つ

一天に漲るひかり橡冬芽

冬ざれや岬の道の縷々として

臘梅の華やぐ門や松飾り

   海(わた)の日に椨の宮淑気満つ

松の実集

寒  桜   落合 紘子
鴨の群れ鳩の鳴きゐる山の湖
寒桜と教はるや友を訪ひ
山湖一周駅伝大会寒の雨
寒桜咲く曲り角応援す
水辺なる紫小き蕗の董

紅  梅  多比良美ちこ
截金の阿弥陀の衣御堂冴え
藁の内こぼれ咲く白冬牡丹
懐炉背に巡る支那寺坂の街
紅梅や竹垣越しにこぼれ咲き
扁額の古りし祠や梅香る

湘  南   川上 恵子
春の海手繋ぎブランコ燥ぐ吾子
鳶襲ふ夏の境内若僧侶
遊行寺にて
掌に菩提子丸きを転がして
秋高しまもなく富士に綿帽子
江の島にイルミネーション冬に入る

ど ん ど   西村 泰三
始まれるどんど爆竹高々と
風に散るどんどの吉書舞ひ揚り
子等の声どんどの櫓崩れゆく
崩れ燃ゆどんどゆらゆら対の人
一斉に餅焼く棹を燠の上

イメージ

 

  雑詠選後に   のぶを

豆に杖あてがひ仕事始めとす   古野 治子
 一読して何とも穏やかな一句です。それも「豆に杖あてがひ」といふ些事に、作者にしては「仕事始め」と叙してゐます。あてがひは古い言葉で(宛がひ)であって、此所 では豆類の反りに支柱をしてやる事です。その支柱の杖も ご自分の杖と共通した心情が伝はつて来ます。
 一体、寄る年波に連れてその見聞が狭まってゆくことは 当然の事でせうが、而し掲句の様に些細な事にでも心を開 いて在れば、句の世界もまた広がってゆくのではないでせ うか。この事はむろん筆者にも言ひ聞かせる事でもありま す。それにしても季語の引用が実に当を得てゐて、また新年の晴れがましい句です。

白鳥座しかと翼張り寒に入る   細野佐和子
 「白鳥座」、どの辞書にも見えますが、野尻抱影の『星 三百六十五夜』にも散見出来ます。この白鳥座の五つの星 は十字形をつくり、星の配列がまた白鳥の飛ぶさまに似て、 南十字星に対し北十字星とも呼ばれてゐます。掲句の「し かと翼張り」は延いては、作者の住まふ上州の、北越の彼方までも及ぶ、寒の頃の透徹した星空を厳に詠み取ってゐるのです。して結句の「寒に入る」とはまた、作者の鋭い 把握です。

百歳を目指す令和の年酒かな  橘 一瓢
 九十九年を生きて来て「百歳を目指す」とは、何はとも あれめでたい事であります。そして一句の長生も然る事な がら、その駘蕩とした大らかさに肖りたいと思ひます。む ろん作者は会員最高年の方です。

秋空へ帆を一斉にうたせ船  白石とも子
「うたせ船」とは、在熊本の人達は既知の事で、宗像夕野火編「火の国歳時記」、また俳人協会の「熊本吟行案内」に紹介されています。辞書では打た瀬網として記載され、つまり底引網漁の一種として小型漁船が帆の風力や潮流を利用して海底を引き、エビや魚を捕ると有ります。またこのうたせ船は一般的に言へば帆掛け船と言ってよいでせう。 さて掲句ですが、この十数隻もの大景を端的に叙して、 その全容をよく描出してゐると思ひます。なは熊本吟行案 内では西村泰三さん達の句が紹介されてゐます。

冬の霧今日は晴れやら曇りやら  祝乃 験
 掲句の「晴れやら曇りやら」、なにか無造作な表現のやうですがさうではなく、球磨地方の名立たる、冬時の球磨 川の霧の大いさを叙してゐるのです。それも「今日」は晴 天なのか曇天なのか、視界が霧に閉ざされて不明と言ふのです。前後しますが助詞の(やら)は不確かな気持ちを込 めて自問する措辞です。むろん作者は球磨の方で、因みに 国手として地方医療に関はつてをられる人ですが、此の様 な霧の詠句は稀有です。

年新た名のみを刻む虚子の墓   後藤 紀子
 句はむろん鎌倉寿福寺の「虚子の墓」です。寿福寺はも ともと源頼朝の父の義朝の邸跡だつたとの説がありますが、 総門を入って真っ直ぐに続く参道は、後の句にもあります やうに、しんとして端正な佇まひを見せてゐます。この参道の奥に墓地はあるのですが、ここの墓地は他に大彿次郎、虚子の娘の星野立子などの墓、矢倉(岩穴)には政子、実朝の供養塔があり、一帯はまさに歴史的、文学的な景観を 呈してゐます。「年新た名のみを刻む」、その(虚子)の二文字だけの墓標に、改めて作者は新年の感懐とともに過 ぎてゆく時への思ひを綴ってゐるのです。

虛子の墓


盆地ただ静もりかへる初明り   住吉 緑蔭
 作者も球磨の方、元朝の夜明けを詠んでゐます。山に囲 まれた地の「ただ静もりかへる」、副詞のただは、ひたすらにと、その大いなる静寂を強調し、それにわが住まふ地 の初曙光を浴びて-。

初春の箱根の山路血潮飛ぶ   福田 祐子
 箱根駅伝と詞書のある句、「血潮飛ぶ」が面白い表現で す。それは放映の画面ではなく、目前の実景ではないでせうか。それも若き血潮の力走する姿を活写して余り有りま す。

胎中の胎児に合はす息白し   大場 友子
 唯々尊い生命の一句、「胎中」とはむろん胎内のこと、 その「胎見に合はす息白し」とは、ともあれ若き母の(いのち)への息づかひが伝はつて来るやうです。そしてこの 若き母を見守る周りの、温かな眼差しも感じられて、句はまた冬の一日の情景を描出してゐます。

支へ合ふ老いの暮らしの去年今年   野島 孝子
  淡淡とした詠情の一句、して「去年今年」といふ感慨が 沁み沁みと伝はつて来て-。

もろに受く木霊の息吹初詣   那須 久子

  作者は熊本、宮崎県境の高峰市房山の麓に住む方、掲句 はここ標高一九〇〇米餘の山の中腹にある市房神社の「初 詣」の詠、そして「もろに受く木霊の息吹」とは、球磨川 の源流の地でもある奥山の、深林の精霊の気を満身に受けての詠出、真に神々しい風趣の初参りです。  

市房神社


俳誌「松」 水仙號  令和二年一月

2020-01-23 18:15:45 | 

主宰五句  村中のぶを

長き夜の夢坑道をい行く我

遊ぶがにいのち得しかに鰡の飛ぶ

 台風十九号三句
来るものは来るべく秋の星點々 

荒ぶ夜の燈火いよいよ親しかり

颱風過水に浸かりし家茫々

松の実集

櫨 紅 葉     塩川 久代
   椎の実を踏みゆく響き宮の午後
   秋高し肩たくましき坑夫像
   披璃ごしの秋の日返す遠賀川
   櫨紅葉濃く山容は鮮やかに
   菊焚きし庭の残り火とろとろと

                                   日向ぼこ     小泉 晴代
                                      日がな降る雨の中なる松手入れ
                                      丹念に雨とて止めぬ松手入れ
                                      晩秋の影長く引き坂上る
                                     黄昏て未曾有の光枯尾花
                                     遺されて杖がたよりの日向ぼこ

                                入  院     高橋すすむ
                                   転落入院今年の年賀如何にせん
                                   冬寒や悪鬼にも見ゆ担当医
                                   九十年初の手術の冬の朝
                                   秋場所や声無く見るも乙なもの
                                   冬日さす向ひは支援の子等学ぶ

                               里  祭    西村 泰三
          紅葉濃き谷来て数戸祭旗               
          祀り継ぐ粧ふ山の間に住み
          狛犬も注連新しき里祭
          祝詞奉ず女神主爽やかに
          神酒献ず神楽や鈴に灯を返し

 雑詠選後に   のぶを

天高し天守地震よりよみがへり   松尾 照子

 先に作者の修復中の城を詠じた句を挙げてゐますが、掲句は三年振りにその覆はれた鉄組みが取り払はれ、修復成った秋天の大天守を詠み取ってゐます。それも不要な形容は一切なく「地震よりよみがへり」と、より鮮明に対象の姿が見へて来る措辞を選んでゐます。それは真に対象を一点に詠むといふ、句の潔さに外ならないのです。

修道院の通夜の鐘かな後の月   坂梨 結子

 作者は西教の方ですが「修道院の通夜の鐘かな」、修道院とは修造士、修道女の人たちが一定の戒律に従っての共同生活をする施設ですが、当院の通夜を偲んでの詠です。一体、修道院の通夜の次第を知る由もないのですが、通夜の鐘は祈りの時と思はれます。尖塔にかかる「後の月」は、故人への風土的な追想をもたらし、何とも心悲しい一句ではあります。それも一般の寺院と遠ひ、修道院だからでせうか。

見つめられ見つめて烏瓜燃ゆる    山並 一美

 「烏瓜燃ゆる」は、烏瓜の燃え立つやうな光を言った古来の言葉、「見つめられ見つめて」はその光を人為的に捉へた鋭意な感覚の措辞、何れも作者自身に呼び込んでの詠として情感の沁み通った、極めて印象的な一句です。

手にあまるほどに折り取る吾亦紅   浅野 律子

 「吾亦紅」、路傍の雑草に紛れて寂しげな、野趣のある花と言っても桑の実に似てゐると歳時記にありますが、実に哀れ深い花です。そして 「手にあまるほどに折り取る」とは、それは淋しさ余つての事でせうか。中村汀女に (曼珠沙華抱くほどとれど母恋し) の句があるのを思ひ出しました。

砕け打つ波の重さや秋の果   後藤 紀子

 荒磯か浜辺か、寄せては返す波浪の様相を「砕け打つ波の重さ」と叙してゐます。波の重さとは作者の主観でせうが、読者にもその波の雄々しさ、量感が伝はつて来ます。と「秋の果」といふ季感と相俟つて、晩秋の頃の海浜に、なにか郷愁に似た思ひさへして-。

水鏡一文字引き鴨過(よ)ぎる   菊池 洋子

 「水鏡」とは西行の歌集にも見える古い言葉、つまり閑かな池水の面に辺りの樹林や物影が映じてゐるのを言ふのですが、その水面を「一文字引き鴨過ぎる」と詠じてゐます。それは鴨が一羽、静やかに水尾を引き渡ってゐるのです。言はずと句は林間の池水の、静謐な小世界を描出してゐます。
 改めて一句は単なる写生句ではなく、よくよく言葉を選んでの、こくのある詠出と言ふべく-。

推敲す句はわが命秋灯下   鎌田 正吾

 「句はわが命」-、と告げられて、何か呼び止められた思ひに、「推敲す」と叙した、作者の俳句に対する厳しい一念が伝はつて来ます。そして俳句は誰の為ではない、自分の為にあるといふ声が聴こへて来るやうです。

秋の灯の終着駅の女学生   松尾 栄治

 作者は奥球磨の人、其所の「秋の灯の終着駅」 の一光景、終着駅の乏しい明かりに、駅に着いても帰りもせず、何か寄合ってゐる「女学生」、昨今は女子高生と呼びますが、女学生とは古き良き昭和の始めを想起します。やはり掲句は、回顧的な思ひに駆られます。

子守唄流るる里や薄紅葉   竹下ミスエ

作者も球磨の人、「子守唄流るる里」とは他郷では見られぬ叙景、それも明らかに五木の子守唄ではないでせうか。それに山野の「薄紅葉」が哀愁を漆へて-。

鷺一羽我もひとりの秋の浜  多比良美ちこ

 「鷺一羽」といふ光景に「我もひとり」と、わが身の有り様を透かさず投影してゐます。この詠情は、鷺とわが身との、情緒的なつながりを叙してゐて、「秋の浜」とはやはり物思ふ秋、しみじみとした心通ふ詠句です。

即位祝ぐ赤坂御所に秋の虹   福田 祐子

 即位の礼は十月二十二日、雨の降りしきる日でした。夕刻には雨も上がり淡い虹が立ち、自然も祝ふ様で印象的でした。掲句は都心近く住む人の詠、自づと実感があります。

鰤をさげ自転車飛ばす力士かな   野田貴美恵

 前に(即物即詠)と称して実作の道を唱へた、上田五千石といふ俳人がゐましたが、さうでなくとも掲句は実景を即活写してゐます。(鬢付けの匂ふ中洲や博多場所)も獨白の感覚で、中洲といふ博多の中心街で力士の往来を垣間見る、この頃の通りの活況を伝へてゐます。「鰤をさげ」は力士のちゃんこ鍋を直ぐ思ひますが、要するにいづれも(側目即吟)の個性的な句です。


俳誌「松」 木枯號 令和元年十一月号

2019-11-26 16:51:34 | 

 

主宰5句   村中のぶを

 近代洋画展2句
この秋や村山槐多の「裸婦」に立ち
秋光や松本竣介「立てる像」 

  円空展3句
菊挿して円空菩薩の笑まひかな
荒荒し木端佛や秋のこゑ
烏帽子の人麿像ぞ花すすき

 

 松の実集

 島 の 秋   野鴫孝子
花芙蓉校門前の船溜り
石榴の実貸し自転車に回る島
秋の色化石に島の歴史あり
商人の飾らぬ会話秋日和
島の秋迷はず選ぶ漁師飯  

 鰯 雲    野田貴美恵
小春日や百金巡り欒しかり
遠き日や月に兎のゐると母
秋時雨山籠り行く夫案ず
旅に来て宿下駄任す月の夜
英彦山包む空いっぱいの鰯雲

 秋 燈 下   園田篤子
秋燈下ずしりと重き裁ち鋏
霧うすれ輪郭線の駅舎かな
朝戸出の折戸に絡む大蟷螂
萩の尾や庭石一つぽつねんと
秋日和サイクリングの列続く

 竹崎季長墓所  西村 泰三
返り花コスモス野菊墓の径
玉すだれ鎌倉武士の墓囲み
返り花散るや古武士の墓五輪
柿たわわ門の屋根にも舵を乗せ
四体の神仏一字に木の実降る

 

 雑詠選後に  村中のぶを

蚊のこゑも亦追悼と聞きて侍す 阿部 紫流
「蚊のこゑも亦追悼と」、蚊にご縁のある故人ではなく、 蚊のひそかなる声も亦わびしく、作者は今は亡き人を偲んでゐるのです。副詞の亦はその思ひを強くしてゐます。  一体に蚊は人畜の血を吸ひ、蚊の声もよしとする人はゐないのですが、一句の作者の心情には郷愁のやうな思ひもして、「聞きて侍す」は式場の雰囲気をも伝へてゐます。

蝉に明け虫に更けゆく日となりぬ 伊織 信介
「蝉に明け虫に更け」とは、昨今の日日の明け暮れを実 に端的に叙してゐます。それもいはゆる古調を重ねての詠、 正に作者の手柄といふべく、そして「日となりぬ」は推移 する季節への感慨を表し、しみじみとした秋の到来を詠じ てゐるのです。

枯木めく老いの手足や秋暑し 橘 一瓢  
 高齢の痩躯を敢へて「枯木めく老いの手足」、と詠じた 作者の気概に、同世代の筆者として自づと一歩身が退けま す。それにいたづらに老いを嘆くのではなく、老境の自在 さに示唆を与へる句としても挙げるべきでせう。

とんぼうや山あり川あり風のあり 村田  徹
 一読してなにか購蛤の目線で詠じたやうな句、また確かに晴蛤はどこを飛んでも風情を呼ぶ昆虫でもあります。掲句は「山あり川あり風のあり」と句風壮大に叙して、特に結句の風のありは、生生とした蜻蛉の流動を読み取って余りあります。

朝露の牧に牛呼ぶ鐘の音  細野佐和子  
 吸ひ込まれるやうなすがすがしい点景の旬、長い夏を経 て、「朝露の牧に」、新たな「鐘の音」が印象的。

薪爆ぜ能たけなはの笛高く 白石とも子  
 作者は熊本の方、私の知る限りでは熊本の能舞台は生家より歩いて子供の足で十分位の、水前寺公園(成趣園)南隅の一角で、当日は桟敷が出来、紋付和装の翁姐の人達が 大半でした。「薪爆ぜ」は篝火の盛んなこと、そしてクライマックス の、シテの序破急の急の舞を、笛の高音と共に「能たけなはの笛高く」と詠出してゐます。先年この欄に都心に住む 方の、同じく薪能の句を挙げてゐますが、やはりこの様な 複雑な光景を一句に纏めることは気概の要る事だと、改めて感じ入ります。

真野御陵しのぶ風鈴吊れば鳴る  池原 倫子  
 佐渡に遠流の順徳帝を葬る真野御陵、作者は熊本より遠く訪れての詠、当地で求めた風鈴でせうか、「吊れば鳴る」に強い思ひ入れがあります。また同時に佐渡金山の羈旅の 句も見えますが、実に貴重な事だと思ひます。

寺の塀箒立てかけ彼岸花  松尾 照子  
 なんの屈折もない句、人通りの稀な或る寺の低い土塀に 等が立てられ、其所だけ彼岸花が咲き点ってゐる景、即ちありのままに自然の景を描写してゐます。しかし実はそれ となく秋といふ、季節の心情を伝へてゐることを私共は読み取るべきでせう。それにまた見逃し易い一句でもありま す。

魂を抜きとられたる大昼寝  勝 奇山  
 たぶん昼寝より目覚めた直後の、ぼんやりと気抜けした、 茫然自失の態を「魂を抜きとられたる」とは、実に言ひ得て妙です。それも「大昼寝」です。

負荷なしの水中歩行爽やかに 安永 静子
「負荷なしの水中歩行」、屋内の温水プールでの二景でせ うか、負荷なしはその場の用語でせうが、それを措辞とし てゐるのはまた作者の手柄です。それといふのも手垢のつ いた言葉ではないといふ事です。としても作者は投句で推察する限り大病の後と承知してゐますが、限られた生活の一片を斯うして一句に昇華されることは、見習ふべき事だと強く思ひます。

古竹を欄に竹林秋日影  菊池 洋子
「古竹を柵に竹林」、実際の有様を掲句は其の儘叙してゐます。辞書では実際の有様、真実のすがたを(実相)と有ります。所で師逝いて二十年余、旧居の庭に自らの染筆で (実相観入)の碑を残してゐます。むろん斯の言葉は斉藤茂吉の歌論の要諦をなす言葉です。宗像夕野火さんは碑を見て(こらあ、占魚さんの本音たい)と言ったのを私は覚えてゐます。私もまた全くその通りだと思ってゐます。それは亡師は常々(徹底写生 創意工夫)を唱道してゐたからです。句は「秋日影」の陰翳と共に、しんとした秋の日の竹の疎林を切に詠出してゐます。

水のきら日のきらさざめく竹の春  温品はるこ  
 一句の竹林は「水のきら日のきらさざめく竹の春」と、 青々とした水辺の竹林のさやぎを映出してゐます。水のきら日のきらと、このリフレインがなんとも印象的です。それも句が躍動してゐます。


俳誌「松」 鰯雲號 令和元年9月

2019-09-21 18:27:07 | 

 主宰五句    村中のぶを

庭石の影もみどりに梅の實よ

己がじし角きらやかに蝸牛

大洗磯前神社
わたつみの陽の廣前に茅の輪かな

梅雨の夜や故山を遠く木の葉猿

麦稈帽腰手拭に下駄履きて

大洗磯前神社の茅の輪

  松の実集

蝉  殻     勝 奇山

先生の句を掛け暑気に向かひをり

子とめくる昆虫図鑑夏やすみ

蝉殻を見せて蝉の名答ふる子

風去りぬ爽竹桃をもてあそび

句仲間の二人の眠る寺涼し


立神峡     伊織信介

道開け池あり蓮の花明かり

夏つばめ水面を掠め翻る

父の顔温もり知らず敗戦忌

 立神の瀬の匂ひ立つ赤とんぼ

吊橋や瀬に鮎掛けの竿ひかる


梵 鐘     北本盡吾

梵鐘も猫もいくさに終戦日

コンクリの梵鐘朽ちて夏の果て

姥二人杖も手も借り滝見行

蝉しぐれ姿きままな羅漢たち

尊氏のかくれ穴
下闇に刻練る将の隠れ穴


忌日来る    西村泰三

落したる速度田植機移動中

庭通る湖への流れ螢舞ふ

鯉ならん花藻の揺れの風でなし

満席の札鰻屋の煙吐く

忌日来る梅の実色を帯びて落ち

 

雑詠選後に  のぶを

明け易し今日もこの世に目覚めけり   向江八重子 
 寄る年波に、とある日のしづかな自問の一句です。「明け易し今日もこの世に」とは、また並並ならぬ自覚の深さが伝はつて来ます。私たちも今を大切に、自然と人生を見 つめた、自分の俳句にいそしむべきでせう。  

梅雨しとど雫のやうな新生児  園田 篤子   
「梅雨しとど」と「雫のやうな」、実に新しきいのちの産児への祝福と、自然への讃歌です。してまたこの対照をうたひ上げた作者に敬意を表します。   

春雨のあしたに逝きしとことはに   渡辺美智子
 一句の「春雨のあしたに逝きし」、重ねて「とことはに」と叙した措辞に心ひかれます。それは悲しみの底から衝き上げて来た、残された人の思ひの末の言葉でせう。その言葉は古くとも、心象は新鮮です。  

青蛙熊本弁で鳴きにけり  鎌田 正吾
 希有な表現です。蛙の鳴き声と言へば草野心平の蛙の詩です。一例を引きますと、それも単純なオノマトペア(擬音語)の繰り返しで、るるり、りりり、けくつく、けんさ りりをる、ぴぃだらら、びがんく、がりりき、ぐぐぐぐ、くくつく、ぐるるつ、があんびやん、ぎやわろツぎやわろツなど。熊本弁では、どうろこうろ (どうにかこうにか)、 だるもかるも(誰も彼も)、えだんいたか (肩が痛い)、たるかぶって(下痢して)、なるもんをはいよ(果物を下さい)、どぎゃんござやん(どうかこうか)など。さて一句の熊本弁の蛙の声とはどのやうな節だったのか、思ふだけでも愉しくなりますが、作者はまた朝夕の新聞業務の方で、蛙の声を身近にしながら住民の方々との会話が 弾む、翻ってその明るい雰囲気から生まれた、話語の一句 と読み取ってよいでせう。

銀の雨千の蓮の中にゐて  伊織 信介  
 「銀の雨」「千の蓮の」、実にリズミカルに雨の蓮田の全貌を過不足なく詠み取ってゐます。そして結句の「中にゐて」、つまり傘のなかの立ち居を彷彿と表して。

教会のクルス夏至の日眩しかり   野田貴美恵
 平明に叙して印象的な一句。「夏至」とは六月二十一、二日ごろ、太陽は最も高く照り、一年中最高に日の永いときです。掲句はまたなにか異国風の情緒をかもし出してゐます。

老鷲や佐用姫の像沖へ向き  園田のぶ子       
 「佐用姫」とは、まつらきよひめ(松浦佐用比賣)と、『萬葉辞典』佐佐木信綱編中央公論社蔵版にあり、また松 浦と佐用姫に関はる歌が十首ほど紹介されてゐます。そし て一句では「像沖へ向き」とありますが、ここは注釈を入 れておきませう。海原の沖ゆく船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用姫 (五・八七四)、と先の集の一首ですが『肥前風土記』も松浦佐用姫は悲恋の対象とされ、「九州の万葉』福田良輔編桜楓社版では、沖は玄界灘の唐津湾(松浦潟)や虹の松原 を見下ろす鏡山(領振山)標高二八二メートルを紹介してゐます。その別れを惜しんだ相手や姫の身分など省略しますが、ただ化生伝説の多い姫が石になって飛んだといふ 呼子市の田部神社には先の歌を刻む佐佐木信綱氏染筆の歌碑が昭和三十七年に建てられました。掲句の像はどこにあるのでせうか。

佐用姫像 唐津市 鏡山展望台

空梅雨や開け放ちあり夕野火居  那須 久子
 先年私の町のシンポで、金田一京助の孫の金田一秀穂杏林大学教授が講演で、文法もさる事ながら先づ語感を大切にと語ってゐましたが、このやうな観点から掲句の「空梅雨や」の季感と相侯って「開け放ちあり夕野火居」とは、どなたの旧居か知らずとも、その解放感をよくよく詠出してゐます。それも山野の風韻が伝はつて来ます。尚また句は楽屋落ちではないといふ事です。

向日葵や太陽どこぞと傾ぐなり   金子知世
  向日葵」は日回りとも書きますが、一般に向日葵は太陽を追つて花が回るといふ俗説があり、それは尤も有り得ないこと、しかし〝太陽の子〟と呼ぶ、その花冠の様をよ く見届けてユーモラスに描出した一句。

緑蔭に椅子の三つ四つ島の寺  多此良美ちこ  
 なんとなく詫びしさに涼風をよぶ詠句、「島の寺」といふ 風光がまた旅情をさそってゐます。 

浅間山裾ひく辺り朝の虹  伊東 琴
 「浅間山」、一帯の裾辺は坂の町小諸、直ぐ藤村、虛子を思ひ出します。ましてや「朝の虹」とは、この上なく文学的共感を呼んで琴線に触れる詠句。

 

 


俳誌「松」 向日葵號 令和元年七月號  2019-7-27

2019-07-27 11:15:42 | 

 

主宰五句  村中のぶを

 いわき白水阿弥陀堂
角ぐむ蘆水のひかりや阿弥陀堂

春の落葉一火山房寂び寂びて

春障子師のこゑのして空耳か

夏茱萸や山肌はなほ雪残し

栃の花省廰街の窓々よ

国宝いわき白水阿弥陀堂

 

松の実集

薔薇の名  吉永せつ子

大いなる句碑に影打つ若楓

薔薇の名はプレイボウイと手折り呉れ

門川を濁し卯の花腐しかな

小糠雨渦つややかに蛸牛

ぬばたまの水面へつつと落螢


岩煙草  菊池洋子

光雲を吹き払ふ風朴の花

誰が炷きし香よ墓辺の岩煙草

梅雨ごもり黑の片減りならし磨る

少年の凜々しさにあり肥後菖蒲

松山(しょうざん)の至芸の蒔絵窓青葉

岩煙草

 

青  嵐  西浦大蔵

花屑の風に一つは蝶となり

仕舞屋の空地の増えて柿若葉

城若葉陰うつところ舟下る

青嵐城趾の森を傾けて

城址の石垣の崩え青嵐

 

埴輪の里  西村泰三

大埴輪麦秋の里見やるかに

青葉の陽笠に受けつつ大埴輪

いと小き埴輪の乳房青葉照る

瞳を細め聞くかに埴輪囀れる

梅は実に出会ひ埴輪の里に成る

 

雑詠選後に  村中のぶを

逝く春に惜しむセーヌの大伽藍  宇田川一花

 作者は経済学で名を成し、内外に名の通った方で、さすれば海外への訪問も多かった事でせうし、掲句はその折りの回顧の一句と思ひます。それも「惜しむセーヌの大伽藍」とは、まさしくノートルダム大聖堂延焼崩落の事でせう。
  人は老いて誰しも往事を精しく思ひ出すと言はれてゐますが、それは寂しくもあり、華やかなことでもあります。 作者にとっては後者の事だつたかと思ひます。季語の「逝く春」もまた堂塔への賛美をこめて・・・。

春の月また逢ふことのありやなし  松尾照子

一句はさして特別な内容のある旬ではありません。しか しいつか愛諭的な句風に心誘はれます。それも結句の 「あ りやなし」 の措辞に引かれます。ありやなし、連語の一つ とされ、有るのか無いのか、はっきりしないといふ語意。
用例に
 筍や目黒の美人ありやなし    正岡子規
 からたちの花の匂ひのありやなし 高橋淡路女 
など歳時記に見えますがそれぞれ非凡の作風です。

母の日や母亡き生徒の贈りもの  竹下和子

「母の日」、母への感謝の臼で、亡き母を偲ぶ者は白、母 ある者は赤のカーネーションを胸に飾ると歳時記にありま すが、昨今は物を贈る人が多いやうです。掲旬は母の亡い 生徒からそれを受けたと叙してゐます。生徒とは中学、高 校生を指してゐますが、それはきつと、何しろわが亡母に 通じるやうな、共通の物ではなかつたかと第三者は想像し ます。  心洗はれる一句。

句碑親し湖畔に淡き春の雲  村田  徹
 

 掲旬は作者の住まひからして、熊本市江津湖畔の宗像夕 野火句碑の叙景でせう。作者にとっては師と仰ぐ人の句碑 で、  

 ひるがへるときの大きさ夏つばめ    夕野火

と自然石に刻まれてゐます。作者には先に芭蕉林の句があ りますが、掲句もまた句碑と共に明るく簡潔に周辺の光景を叙してゐます。

新仏像衣文流麗四月尽  金山則子

 「新仏像」、新らしく望まれて安置された仏さまの事でせ うが、それは立像か座像か、「衣文流麗」とはその着衣の 避がうるはしくなだらに流れてと叙してゐます。と立像の 容姿が浮かんで来ます。また仏像とは”仏陀の像“の略で すが、一般には阿弥陀如来や菩薩を指します。 一句は新らしい容貌の仏様を迎へて同時に季節の節目を 心に留めてゐるのです。それに句の叙法に注目。

柵の牛なんじゃもんじゃの花の下  那須久子

 「なんじゃもんじゃの花」、なんじゃもんじゃ(ひとつば たご)は珍木とされ、五月頃の開花と各辞書や図鑑に見え ますが、手元の四通りの歳時記には記載がありません。作者は球磨の水上村の住まひ、十五米か二十米にも及ぶ高木、 その白い花の下の牧牛、自づと村のたたずまひが想像され ます。

 

駅前のトラットリアに初夏の風

「トラットリア」、小さめで庶民向きのイタリア料理店と 辞書にあります。そこに「初夏の風」とは実にお酒落な光 景です。なにか此所だけ地中海の風でも吹いてゐるやうな 明るい思ひがします。

芽柳や鮒取神事の泥の飛ぶ

 「鮒取神事」、母が八代の人でしたので鮒取りと言って開 いたことがあります。宗像夕野火編の 『火の国歳時記』に依ると四月七日、石川宿祢を祀る、八代郡鏡町印鎗神社祭礼の事で、第十四代仲哀天皇の御代、石川宿祢が賊徒征伐のためこの地に来たとき、神社裏の鏡ケ池から鮒を手掴 みにして捧げたといふ故事にならつて、毎年鮒取神事が行はれ祭の呼び物になったとあります。掲句と共に先の五月(若竹鍍)でも西村泰三さんが松の 実集で鮒取神事を迫真的に詠じてゐますが、斯うして皆さん方が自ら暮らす郷土の自然と人々の習俗などを、各人の 写生と季節感で詠みつづけてゆく事は俳句といふ次元を超えて、真に尊いことだと強く思ひます。

新樹光勢至菩薩の指の照り  落合紘子

「勢至菩薩」とは、凡そ阿弥陀如来の右に脇侍する菩薩 で、お独りで信仰されることの少ない仏であって、半伽政 坐に合掌のお姿です。「新樹光」「指の照り」、初夏の頃の 山内と御堂のきらやかな点描です。

万物の令和寿ぐ五月来ぬ  釘田きわ子

 新元号を祝ふ一句、それも出典は万葉集といふ、すくな くとも詩歌に親しんでゐる私達にとっても五月一目、晴が ましい目でした。「万物の」「五月来ぬ」、総てを言ひ止め てゐます。 

桜東風半年ぶりの窓を拭く   中山双美子 

 東風、ちは風、こは不明と辞書に見えますが春到来の風 で、いろいろな名があります。掲句は札幌の方、「半年ぶ りの窓を拭く」とは南の私共にとっては意外な事。なほ半年ぶりにではなく半年ぶりのと叙した差違を、作意上些細 な事ですが心得ておくべきでせう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


第一回夕野火顕彰俳句大会入賞作品

2019-03-30 14:32:27 | 

大会大賞
 冬の朝馬のまつげに光るつゆ  南陵高校 恒松乃絵瑠

あさぎり町長賞
   しもばしら頭の土が重そうだ       深田小学校 林田ひなた

多良木町長賞  
  秋に逝く生きたあかしを句に残し     多良木町 黒木 雷

湯前町長賞  
  夕やけやわたしの心も照らしてる     湯前中学校 苗床楓花

水上村長賞  
  あれなんだうえからぽつんどんぐりだ   岩野小学校 石橋大輝  

あさぎり町教育長賞  
  くつのひも結んで外へ雪遊び       岡原小学校 益田琥生

多良木町教育長賞  
  強くうちどこまでひびくじょやのかね   多良木小学校 立山晄一

湯前町教育長賞  
  初日の出山からでてくる花のよう     湯前小学校  吉田楽々(らら)

水上村教育長賞  
  星月夜天文学び視点変え         水上中学校  原田夏稀(なつき)  

多良木町文化協会賞  
  神宿る響く足音寒稽古          多良木中学校  豊永麻鈴(まりん)

湯前町文化協会賞  
  もちの顔ぷうっとふくらみパパみたい   湯前小学校  竹下 心(こころ)

熊本日日新聞社賞  
  神酔うて人垣くづす里神楽        飯塚市  安永静子

熊本放送賞  
  住み古りて此処がふるさと松飾る     島原市  吉永せつ子

人吉新聞社賞  
  色のない冬の静けさ突き刺さる      人吉高校 西門美紅(にしもんみく)

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【小学校低学年の部】村田 徹選   俳人協会会員 俳誌「松」編集委員

特 選
あれなんだうえからぽつんどんぐりだ   岩野小学校 一年 石橋大輝(だいき)

秀 逸
しもばしら頭の土がおもそうだ      深田小学校 三年 林田ひなた
帰り道夕やけしずみ月光る        岩野小学校 三年 石橋海羽(みう)
初日の出山からでてくる花のよう     湯前小学校 三年 吉田楽(らら)
もちの顔ぷぅっとふくらみパパみたい   湯前小学校 三年 竹下 心(こころ)

佳 作
日がのぼり光かがやくしもばしら    多良木小学校 三年 竹辺みどり
年がじょう二つもらってうれしいな    久米小学校 二年 森山華帆(かほ)
ゆうやけやたこあげしたいともだちと         久米小学校  二年   平島未侑(みゆう)
妹とはじめてすごすお正月       深田小学校 二年 よし田心音(こと)の
はつ日の出まぶしく光るお正月      深田小学校 三年 高村真人(まなと)
しもばしらふむとザクザク気持ちいい   深田小学校 三年 宮原乙寧(おとね)
サンタさんリースをかざってまってます  岩野小学校 二年 西 永遠(とわ)
クリスマスまちがぴかぴかかがやくね  岩野小学校 二年瓦川日愛(かわらがわぴあ)
ふきのとうがんばれがんばれでてこいや  免田小学校 二年 おさきゆりの  
ふゆのあさそとはきらきらしものまち    免田小学校 一年 中村りあ

 

小学校高学年の部】 西浦大蔵選   俳人協会会員 同県支部幹事

特 選
くつのひも結んで外へ雪遊び       岡原小学校 四年 益田琥生(こお)

秀 逸
冬空にオリオン輝く家の庭        久米小学校 六年 蔵坐翔斗(はくと)
強くうちどこまでひびくじょやのかね 多良木小学校 四年 立山晄一(こういち)
グランドの霜柱ふむ球児たち      黒肥地小学校 五年 池田圭汰(けいた)
息白しホットココアを飲む朝よ      岡原小学校 四年 星原望愛(のあ)

佳 作
日の光きりの深さにかなわない     湯前小学校 五年 多良木姫愛来(きあら)
とんできたむきわらぼうしこれだれの   免田小学校 五年 小山会(かい)
かぜにのり空たかくとぶやっこだこ   黒肥地小学校 四年 森山朝喜(ともき)
いちょうの葉ぎんなんともに落ちにけり 黒肥地小学校 六年 浦田天莉(りこ)
赤い空夕日を通る赤とんぼ        岡原小学校 四年 今田莉子(りこ)
宿題が終わらぬままのお正月      多良木小学校 四年 橋詰竜空(りく)
一面に広がる静けさ冬の朝        須恵小学校 五年 今村光花(ひろか)
持久走ペースがあがる白い息       岩野小学校 六年 西野聖乃(せな)
ホタルまう川べり歩く夏の夜       岩野小学校 六年 久保田怜奈(れな)
山の中川のせせらぎさわやかに      須恵小学校 五年 恒松美蕾(みらい)

 

【中学校の部】園田篤子選  俳人協会会員 俳誌「松」編集委員

特 選
星月夜天文学び視点変え         水上中学校 三年 原田夏稀(なつき)

秀 逸
神宿る響く足音寒稽古          良木中学校 二年 豊永麻鈴(まりん)

森の奥静かな戦い甲虫          水上中学校 一年 中村海羽(みう)
夕やけやわたしの心も照らしてる     湯前中学校 二年 苗床楓花(ふうか)
天の川織姫彦星探す夜          水上中学校 一年 椎葉夏稀(なつき)

佳 作
流星群空のかなたでおにごっこ      水上中学校 一年 西未羽(みう)
夏祭り二人の手にはりんご飴      多良木中学校 二年 味岡笑音(にこね)
紅葉は山がおしゃれをする時間     多良木中学校 二年 山本楓(かえで)
たんぽぽよとおくへいけいけとんでいけ あさぎり中学校二年 榎元綾郁(あやか)
流れ星僕の願いは届くかな        湯前中学校 一年 藤山憲史郎
おでん鍋家族六人かこむ夜        湯前中学校 一年 黒木海音(かいと)
サクサクと足元鳴らす霜柱       多良木中学校 二年 嶋田尚一郎
蛇の目のにらみし先にえものあり     湯前中学校 一年 上村 純
冬空にたくさんの気球ビー玉のよう   多良木中学校 二年 尾方乙葉(おとは)
シカのつの電線破り菜を盗る       湯前中学校 二年 椎葉咲斗実(さとみ)

 

【高校の部】岡本ゆう子選  俳人協会会員 俳誌「松」編集委員

特 選
祖父と行く静かな山へ猪狩りに多    多良木高校 三年 白木諒(りょう)

秀 逸
弟を越す雪だるま溶けはじむ      球磨工業高校 二年 村尾飛(ひづき)
冬の朝馬のまつげに光るつゆ        南陵高校 三年 恒松乃絵瑠(のえる)  
色のない冬の静けさ突き刺さる     人吉高校 一年 西門美紅(にしもんみく)
お湯なのにたまに冷たく感じる手      人吉高校 一年 下田恵巳梨(えみり)

佳 作
雪積もる君との足跡消えて行く     球磨工業高校 二年 中田照真(てるま)
冬の夜流星群に願いごと          南陵高校 三年 千代島美雪
正門の前に大きな松が立つ         南陵高校 三年 上田彩香
鼻の奥ツンと冷たい風が吹く        南陵高校 三年 米澤梨沙
SLが桜を揺らし走り出す         多良木高校 三年 税所愛莉(あいり)
風ふいてだれよりきつく巻くマフラー    南陵高校 三年 高野起一(きいち)
一年の思い出胸にそばを打つ        人吉高校 一年 横山風菜(ふうな)
冬の空星がきれいな球磨地域        南陵高校 三年 嶋田有希子(ゆきこ)
白いきりぬれたかみが光る冬        人吉高校 一年 桑原侑雅(ゆうが)
チャイム鳴りダッシュで駆ける冬課外    人吉高校 一年 南 咲衣(さきえ)


【一般の部】西村泰三選   俳人協会会員・評議員県支部顧問・「松」編集、発行責任者

特 選
住み古りて此処がふるさと松飾る      島原市 吉永せつ子

秀 逸
三方の供物のことに栗ひかる       多良木町 松本朝秋
秋に逝く生きたあかしを句に残し     多良木町 黒木 雷
神酔ふて人垣くづす里神楽         飯塚市 安永静子
散歩とて妻の出かくる冬うらら     あさぎり町 祝 乃験(いわいのけん)

佳 作
球磨弁の飛び交ふ霧のホームかな     北九州市 北本盡吾(じんご)
正月や派手派手なりし母のこと     あさぎり町 高橋すすむ
梅雨晴や山峡の田を風走る         湯前町 金山則子
県境のトンネルくぐり初湯かな       水上村 那須久子
神木の雨だれをうけ初詣で         熊本市 坂梨結子
炎(ほ)の色のよしと炭焼一服す    福岡県遠賀町 安部紫流
棹さしてぐらり漕ぎ出す炬燵舟       熊本市 白石とも子
出初式指揮隊長はおさげ髪       あさぎり町 加賀山瑞子(みつこ)
射位に立ち身のひきしまる弓はじめ   あさぎり町 白石香代子
足太き球磨の酢蛸や歳の市         湯前町 柿川キヨ子

 

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー―――――

選 評

   小学校低学年の部】 選者  村 田  徹                  

●特選  あれなんだうえからぽつんどんぐりだ    岩野小学杖 石橋大輝(だいき)

 何度か声に出して読んでみました。とても面白い句で、作者の表情までが目に浮かんできま した。最初に「あれなんだ!」と問題提起し、次に「うえからぽつん」で状況が分かり、最後に「どんぐりだ」で種を明かし、自分が体験したことを素直に、簡潔に表現してあります。

●秀逸  しもばしら頭の上がおもそうだ      深田小学校 林田ひなた               

 いいところに目を付けました。街中ではあまり見かけなくなりましたが、寒い朝、神社の裏 の日の当たらないところや、あぜ道などに霜柱が残っています。良く見ると力持ちの霜柱が 黒い上をグッと持ち上げていたのです。それを霜柱の気持ちを推し量った「おもそうだ」と表現したところが、面白いと感じました。                                                  

●秀逸  帰り道タやけしずみ月光る      岩野小学校 石椅海羽 (みう)          
 帰り道の何気ない情景を詠んでいますが、とても詩的な句です。夕日が沈み、きれいだった夕焼けも消えて、徐々に辺りは暗くなっていきます。中七を「タやけ消えて」とはいわず、「夕やけしずみ」と表現したところがいいと思います。時間の経過とともに変化する帰り道の情景が、よく描かれています。

●秀逸  初日の出山からでてくる花のよう     湯前小学校 吉田楽々(らら)           
 元日の朝、家族みんなで、今か今かと初日の出を待っています。しばらくすると、山の稜線に少しずつ赤みがさしてきて、ついにお日さまが現れてきたのです。その神々しいばかりの初日の出の瞬間を、作者は「花のよう」と上手に表現しました。

 ●秀逸  もちの顔ぷうっとふくらみパパみたい   湯前小学校 竹下 心        

 膨らんできたおもらをみて作者は、「パパみたい」と思ったのです。思わず笑みがこぼれるユニークな句です。日ごろから、とても仲のいい親子ぶりがうかがわれます。

 
小学校高学年の部】    選者  西浦 大蔵     

 ●特選  くつのひも結んで外へ雪遊び       岡原小学校  増田琉生(こお)

  学校での様子でしょうか。雪遊びをするために、外へ出ようとする一瞬です。いつもはゆる く締めている靴の紐をきつく締め直し、雪の庭へ出て行ったというのです。雪が降った、雪遊びができるという喜びが感じられます。「楽しい」、「うれしい」など、気持ちを表わす言葉を用いず、その情景だけを詠み、読者に気持ちを伝えています。それが俳句なのです。
「スケートのひも結ぶ間も逸(はや)りつつ 山口尊子」を相起させる一句です。  

●秀逸  冬空にオリオン輝く家の庭     久米小学校  蔵座翔斗(はくと)         

 冬の星空を見上げた時の感動を詠んだ一句です。広い庭が思われます。その庭に立ち、親しいオリオン座の形を見つけたのです。
                                       
●秀逸 強くうちどこまでひびくじょやのかね 多良木小学校立山暁一(こういち)                                          
 除夜の鐘をついた時の情景です。撞木をカの限りつきました。大きな音が響いたのです。その驚きを「どこまでひびく」と表現しています。
                                       
●秀逸  グランドの霜柱ふむ球児たち     黒肥地小学校 池田 圭汰
 早朝の野球の練習がはじまりました。一団となってグランドをランニングしているのでしょうか。凍てつく朝の空気の中、緊張感が感じれます。
                                      
●秀逸  息由しホットココアを飲む朝よ     岡原小学校 星原望愛 (のあ) 
 朝食の一場面でしょうか。暖まらない室内の空気に息が白くなります。その中でホットココアを飲んでいるというのです。寒いけれども、ホットココアに穏やかな思いであるのです。

【中学校の部】 選者 園田篤子

 ●特選  星月夜天文学び視点変え       水上中学校 原田夏稀 (なつき)

 作者は、理科の授業で星や星座の勉強をしたのでしょう。今までは、何となく見上げていた夜空が、学習した後では違って見えたことを、「視点が変わる」と表現しました。中学三年生ともなると、少し大人の視点になるのですね。星月夜とは、月のない満天の星で、まるで月が出ているように明るい夜空のことを言います。興味濃く、星を観察しようと意気込んでいる気持ちを、句にすることが出来ました。

 ●秀逸  神宿る響く足音寒稽古       多良木中学杖 草本麻鈴(よりん)
 剣道か柔道でしょう。一番寒い時期に、あえて寒さに、立ち向かい、厳しい環境での稽古の様子を句にしました。道場に素足の音が響きます。「神宿る」とは、少し大けさにも聞こえますが、段位が上の人の足さばきに、「さすがだな」と、大いに感心したのかもしれません。寒い時期 は音が良く通ります。その一瞬を上手に切り取りました。

●秀逸  森の奥静かな戦い甲虫       水上中学杖 中村海羽(みうれ)   

 水上村のキャンプ場あたりは、たくさんのカブト虫がいそうですよね。確かに角と角を戦わせてもカブト虫は静かです。人間に聞こえるような音とか声は出しません。しかし、虫たちには虫たちなりの世界があって、虫にしか聞こえない声とかが、あるのかもしれません。 


【高校の部】 選者 岡本ゆう子

●特選  祖父と行く静かな山へ猪狩に       多良木高校 白木 諒

 狩猟期は、十一月中旬から翌年二月中旬までの期間です。猪狩もその一つで、山地に住む人々にとって大事な冬の仕事です。今日はおじいちゃんと一緒に猪狩です。自分も大人になったら猟師になりたいと思っているのかもしれません。胸弾ませて出かけたのでしょう。どんどん山奥へ進んで行くうちに、期待や不安が広がってゆきます。その心の動きが、「静かな山 へ」の表現で読み取れます。そして、祖父の広い背中が、頼もしく感じられるのです。                             

●秀逸 弟を越す雪だるま溶け始む      球磨工業高校 村尾 飛月(ひつき)

 積もった雪に大喜びで、皆で雪だるまを作りました。出来上がった雪だるまは、一緒に作った弟よりも大きなものでした。やがて雪だるまが溶け始めました。それだけの事ですが、賑やかに作ったであろう状況、雪だるまが弟より大きかった事で、積もった雪の多きも想像されます。そして、寒さが柔らいで溶け始めた時間的な経過、この三つの言葉が省略されて、よい句になりま

●秀逸 冬の朝馬のまつげに光るつゆ      南陵高校 恒松乃絵瑠 (のえる)

 冬の早朝、冷えきった牧舎で牛や馬の世話をするのは大変な作業です。牧舎から連れ出した 馬の大きな眼とそのまつ毛に、キラリヒ光っている露を見逃きず、美しいと心に留めて句にした姿は、馬への愛情と相俟って、素晴らしいと思いました。甲斐甲斐しく家畜の世話をしている様子も、眼に浮かびます。                                           ●秀逸  色のない冬の静けさ突き刺さる      人吉高校 西門真紅(みく)  

 冬だからと言って、色がないわけではありません。春の花咲く季節、紅紫の美しい秋等に比べ 、華やかさのない枯れ色の多い冬景色を、「色のない」と表現し、厳しい寒さ冷たさが身体 に「突刺さる」と感じた思いを、素直に句にしたと思います。                                            

●秀逸  お湯なのにたまに冷たく感じる手    人吉高校 下田恵巳梨(えみり)

 痛い程に冷えきった手を暖かいお湯にひたした時、一瞬、自分の手を冷たいと感じ取った、という瞬間的な感覚を、読み取った句です。その後じわっと、お湯の暖かさが伝わって来るのです。素直に表現出来ていて、良い句となりました。私にも、こんな経験をした覚えがあります。


【一般の部】  選者 西村泰三 

●特選  住み古りて此処がふるさと松飾る      島原市 吉永せつ子

 この家へ嫁に来てから、又は結婚して家を建ててから、この地この家に長い事住んいる。ここが生れ育った故郷みたいだ、と思いながら正月の松を飾っている、という句です。詠み出しの「住み古りて」の中に、作者のウン十年の歴史が込められています。その歴史の中か ら「此処がふるさと」という感慨・言葉が出てきたのだと思います。それが、「松飾る」という正月準備の作業だけに、作者の感動に共感が湧いて参ります。                                   

●秀逸  三方の供物のことに果ひかる       多良本町 松本朝秋

 「三方」は、神や仏などに供える食べ物などをのせる四角な台で、正面と両側の三方に穴が あけてあります。その台に乗せてある供物の中の栗が 特に光っている、という句です。作者は、その三方を前にして仕事をされる、僧侶か神主さんではないかと思います。供物が栗等の農産物からして漁村ではなく農村地帯だとわかります。それらを推測して行くと、それが供えられた村祭りの様子までも想像されます。
                                        
●秀逸  秋に逝く生きたあかしを句に残し     多良本町 黒木 雷

 追悼の句です。投句をする気になったことを投句用紙に書き添えてありました。それによりますと、作者は、私どもの句友で一昨年秋亡くなられました「中原れつ子」さん(俳優中原大雄さんの母さん)の、黒肥地時代の幼なじみとの事です。中・下の記述に、亡き友の生涯を推し量る作者の気持ちが、素直に表現されいて、それが私の琴線をゆさぶりましたので、 選らばせて頂きました。

●秀逸  神酔ふて人垣くづす里神楽         飯塚市 安永静子

 村祭りで奉納される神楽を見ての詠です。神楽の設定が、神さまが酒を飲みすぎて酔っぱらってしまう内容だったのです。その神が酔うた仕草の中で 観客の方まで踊ってきたので、神楽を見ていた人たちの列が崩れたのです。その瞬間を捉えた句です。中七の描写で、神楽や観客の様子まで想像でき、村祭り全体まで推測が広がって参ります。                                        ●秀逸  散歩とて妻の出かくる冬うらら  あさぎり町 祝乃 験(いわいの けん)

 散歩に行ってきまーす、とテレビを丸ているのか、仕事をしているのか、室内の旦那さんへ    声をかけて、奥さんが出かけて行ったのです。それで窓の外を見たら、風もなく晴れ渡った春のようなうららかな冬日和の日であった、という句です。同居の家族があったら、家族は 仕事や学校へ行つていて夫婦二人だけの時間です。夫婦二人だけの暮らしだったら、その夫婦の日ごろの暴らしぶりが伺える、そんな句です。何でもない日々の生活の一コマを、うまく切り取り、句にした手腕は見事だと思います。

 

 ※「松」誌の購読は「松」発行所へお申し込みください。TEL 096-381-3774(西村)まで


俳誌「松」 百千鳥號 平成31年3月

2019-03-27 23:39:14 | 

 

主宰五句   村中のぶを

十一月遠杉とみに尖り見ゆ

古墳道わが息白く犬じもの

マスクして身をとざしたる思ひかな

椨(たぶのき)に海の光ぞ初社

暮れなづむ野面の涯や雪の嶺ろ

 

「松の実集」

 年新た   大江妙子

  神妙に手合はす幼聖夜の灯
  「年賀状」紙の貼るりあるポスト口
  門松の竹の切り口みずみずし
  聖堂の花に若水あふれしめ
  かがよひて大波小波春の川

 
      冬景色   住吉緑陰

        納屋うらの曝れし板かべ干大根
        麦の芽やめぐる山なみ屹立し
        ねぐらへと鳥影忙し冬夕焼
        月に照る霜の甍のほのぼのと
        ほど遠き町にひびける寒念仏


      水仙の香   岩本まゆみ

        山茶花や親鸞像の笠小さく
        小春日の立釣舟や遠賀川
        水害のものを引つかけ枯柳
        辻毎に報恩講の案内板
        折れ折れて水仙香を失はず

 
        神風連・桜山神社   西村泰三
        
        高々と宮の日の丸冬木中
        宮に満つ寒禽の声雨上がる
        淑気満つ命日同じ墓並び
        百二十余の墓の列淑気満つ
        淑気満つ墓所の奥なる誠忠碑 

 

雑詠選選後に     村中のぶを

 

勢ひ水砕けまぶしや玉せせり   安部紫流           

  凡そ短歌や俳句ほど古今より深く風土に根づいた詩はないのですが、一句はまた福岡市筥崎八幡宮の正月三日に行はれる、弓矢八幡にふさはしい「玉せせり」の勇壮な祭事を詠んでゐます。径三十センチの雌雄二つの木玉の、雌玉は貝桶に納めら れ雄玉は神官の手によって、海水で身を潔めた褌一貫の若者たちの群れへ投げ渡され、それを競り合ひ奪ひ合ひ、最後に手に取った者がその玉を神前に捧げ、一年の豊作、豊漁を得るといふのです。「勢ひ水」は若者達を嚇し、冷水を掛け合ひ、「砕けまぶしや」はその放つ水の光景と共に若者たちの揉み合ふ裸身のかがやきをも言ひ留めて、玉せせりの活況を善くぞ伝へてゐます。なは筥崎八幡の楼門の大額は亀山上皇宸筆の(敵国降伏)で知られ、灯籠は千利休寄進と謂はれてゐます。私も二度訪れました。

 

しまき雲越後境の嶺々隠す 小鮒美江

「しまき雲」、しまきは(風巻)と書き(し)は風の古語、風の烈しく吹きまくること、と辞書にありますが、例句に角川源義の(海に日の落ちて華やぐしまき雲)などが見えます。掲句はその強風をはらんだ雲が、作者の地の上州に接する、越後の山を覆ふ景を、季語の選択も然る事ながら日常的な遠景らしく、平易に叙してゐるのが実に印象的に思へます。

 

駅長の嚔に列車動き出し   竹下和子

  面白い句です。直ぐ地方の一支線の小駅の風景が浮かんで来ます。それも野景の広がる、短いホームの駅の様で、駅長の嚔からは朝の気配が窺へます。してまたこの様 な一句の発意に、作者の親しい人柄が想像されます。

 

初春や緞帳上り「成駒屋」   川上恵子

 「初春や」、昔からの慣例が太陽暦の今日に残り、初春といへば正月の事で、新年を寿ぐ意味で用ゐられてゐます。 その「鍛帳」が「上り」、いきなり「成駒屋」と、掲句は叙してゐるのですが、それは読者にはその声さへ聞こえて来て、重々しい絢爛たる緞帳が上って現代の成駒屋一門が座してゐるのでせうか、まことに活活しい場面です。 ともあれ、成駒屋、と急迫調で終止した結句はまさに見事です。

 

辻井伸行聴きゆたかなる年の夜   古野治子

 「辻井伸行」といへば世に知られた若いピアニストの方です。生来目のよくない方で、その視線の落とす先の美しい清らかなピアノの音に、誰もが聴き入った事はあると思ひます。もちろん画面の向かうですが、一句の場合は何処の事でせうか。「聴きゆたかなる年の夜」とは、読者には大晦の夜空をも連想されて、いつか作者の情感に浸る思ひです。

 

枯芭蕉縫ひっつ江津の水豊か     村田 徹

  熊本市の東南に位置する江津湖の、湖畔に住まふ作者ですが、一句はその一隅の芭蕉林の詠句でせうか。「枯芭蕉縫ひっつ」はその林の風光を詠じて、「江津の水豊か」は湖水の流れを称へてゐます。そもそも熊本市は阿蘇山の伏流水により潤された水の豊かな町で、江津湖はその精髄ともいふべきところです。そして詠句の誇張的な表現でもなく平明に、ささやかな景色に触れてゐることに何とも心惹かれます。

 

連結を果たし汽車出づ寒北斗      山岸博子

 どの歳時記にも加藤鰍郡の(生きてあれ冬の北斗の柄の下に)の例句が見えますが、「寒北斗」とは、むろん冬北斗の季題の副題ですが、作者は札幌の地の方です。それは自づと東南にきらめく揺光を厳しく見据ゑてゐるのです。して「連結を果たし汽車出づ」、中でも果たしといふ措辞、ここでは連結を終へた、しとげたといふ事ですが、一句の寒北斗の下の夜景の、旅愁めく思ひをこの上なく表出して ゐます。またこの様な詩語の引用はお互ひに心得ておくべきことだと思ひます。

 

屈み入る氷柱囲ひの小海駅     細野佐和子

「小海駅」は信州小淵沢から小諸に通じる小海線の途中の駅で、千曲川沿ひに浅間山が望まれ、振り返れば北八ヶ岳の稜線に、諏訪富士と呼ばれる蓼科山が見える所です。その高山にかこまれた駅に「屈み入る氷柱囲ひ」とは、土地の風雪が自づと詠まれ、氷柱には辺りの山容が映じてゐることも想像されて、改めて右は価千金の叙述だと強く思ひます。それに懐かしい風景です。

 

夫支へ立ち初空に合掌す     荒牧多美子  

 先にも述べた言葉ですが、何の誇張もなく詠句は、「初空」 に託すべく「夫支へ立ち」、その有りの俵の姿で「合掌す」と叙してゐます。それは沌み沌みとした詠情に誘ほれます。

 

除夜の鐘のみに静もる峡住まひ  住吉緑蔭  

「除夜の鐘のみに静もる」とは、除夜の鐘の渡る以外に何の音もないと述べてゐるのですが、「峡住まひ」とあれば更に大晦日の深い闇が偲ばれます。

 

藁積みて萌やし田繕ふ水烟る      白石とも子   

 作者も熊本市の江津の湖畔に住む方、掲句は明らかに水前寺もやしを作る、昨今のもやし床の風景を映像的に、鮮やかに詠じてゐます。それに何の感情移入のないことが実に写生的です。 


「俳誌松」水仙號 2019年1月

2019-01-25 21:12:06 | 

主宰五句  村中のぶを

家古りぬ甃石古りぬ杜鵑草
断崖の罅や濱菊なだれ咲き
古墳林山樝子の實いよよ赫き
山門をくぐり一揖冬紅葉
神の旅沖白波を生みつづけ

松の実集

秋 思  松尾敦子
山なりに沿ふ秋雲や帯なして
ひそと咲く秋野の花に歩をゆるむ
あかあかや秋恵の歌のごとき月
朝の日にさくらもみぢの極まれり
暮れ方の繊月ひくし風は秋

多摩川澄めり 神力しのぶ
東京の北風多摩川を越えて吹き
秋うらら櫓の音犬と聞きたくて
秋愁や犬と聞きたる櫓は昔
調の布晒したる多摩川澄めり

球磨小春  小崎 綠
市房は神なる山や天高し
ばらアーチ過ぎ鴨のみの湖を見る
坊守の鐘の音に揺れ秋桜
我が庭や女郎花咲き桔梗咲く
球磨小春四季咲きの薔薇我が庭に

村 祭  西村泰三
諸肌の胸を晒しに神輿の娘
一升壜立てて一気や
神輿衆
神楽舞ふ笛の若手へ檄飛ばし
掠れ鳴る笛に神楽も終の舞
直会に語り神楽師みな若く

 

  雑詠選後に   のぶを 

夜汽車めく仮設舎の灯や秋涼し 鎌田正吾
 作者は熊本の益城町の方、つまり先の熊本地震の真っ只中の地であった所です。一句はその後の仮設の家々の夜景を詠んでゐるのですが、「夜汽車めく」といふ措辞にいきなり気を引かれます。しかし夜汽車めくとは、うら淋しい風情がありますがここでは結句の 「秋涼し」といふ明るさに依って、作者の復興の明日への思ひが伝はつて来て読者は救はれます。それも作者は一戸一戸に届ける、新聞業務に携はってゐる方で、一般の人とはその心情が違ふと思ひます。改めて作者ならではの情感の籠もった句だと感じ入り ます。なほ蛇足ながら熊本地震の事は『広辞苑』七版にも逸早く掲載されてゐます。 

遠からぬ雨の気配や風は秋    橘 一瓢
 松会員の最高齢の方ですが、実に変はらぬ句境で「遠からぬ雨の気配や」、「風は秋」、と、ふと季節の到来を思ふ資性に羨望さへ感じます。総じて作者には老境といふ切迫感が見られないのには頭が下がります。 

もう一つ月産みさうな満月や   福田祐子
 大写しとなり孕んだ「満月」に向かって「もう一つ月産みさうな」と、若い方の何の衒ひもない表現、勇ましいと思ひます。それに違和感がありません。
一体、俳句の (写生) にとって最も大切な事は当然ながら対象に向かった時、どのやうな表現、言葉がひらめくか、この一点に尽きると考へてゐますが、掲句にして一層納得がいきます。それに俳句は言葉の芸術とも言はれてゐます。 

朝の鵙切口上をはじめけり  安部紫流
 「切口上」とは、手短に言ひますと浄瑠璃やお能などの口調のことですが、辞書には改まった堅苦しい口調、無愛想で突き放したやうな口のきき方とも述べてゐます。その「朝の鵙」の突如とした叫声に、切口上を「はじめけり」との措辞は実にこの鳩の本質を言ひ止めてゐて、さらに作者自身の衿持さへ伝はつて来ます。  

大木の裂けて大きな秋を知り 福島公夫
 前に「倒木」の句があって「大木の裂けて」とは、颱風の後の所見でせう。そして「大きな秋」といふ措辞、まことに凝縮した感慨です。それも暗に颱風の事を指してゐるやうにも思へます。一体に新鮮な詩藻の詠句です。 

秋澄むや相鎚を得て成る刀  菊池洋子
 詞書に薪能(小鍛冶)とあります。作者は都心在住の方、それは鎌倉か都心での舞台でせうか。私は生家の近くに能舞台があったので子供の項より何となくお能に親しんで来ましたが、上京して間もなく東京薪能を観に行きました。
 立秋後の暑い日でしたが、都心の赤坂の山王日枝神社の神苑内の舞台でした。一句の 「秋澄むや」、私は篝火を通した澄み亘った夜気を先づ感じます。そして「相鎚を得て成る刀」とは、烏帽子を被り、袂を端折り、刀身に鎚を持つ師と弟子、シテ、ワキの鍛治場の修羅を簡潔に叙してゐます。それにしてもこの様な難しい光景を一句に挙げることは、第一気概が要ります。 

お囃子に合はせ角乗り秋高し  渡辺美智子
  掲句もまた特異な催しを叙してゐます。作者は都内深川の木場近くに住む方です。私も一度見物しました。
 その「角乗り」ですが、辞書にも見えますが、つまり水上の角材の上に乗って、両足で角材を転ばし操る軽業のことです。それも水に浮かべた角材ですから、水に落ちる御仁が多く、その時はまた見物人から拍手喝采です。「お囃子」は太鼓、笛、鼓、三味線、鉦などですが、季節の「秋高し」の晴れの気もあって、一句はその賑はひをよく伝へてゐます。それも薪能の句と同様に、対象を効果的に詠み取ってゐます。 

冬に入る独り暮しに音あらず  河本育子
 一度ならず二度、三度句を読んで、いつも「独り」の淡淡とした静かな表白が伝はつて来ました。それに「音あらず」と断定した措辞には、ご自分の衿持とする、自立の強い意志が込められてゐます。また「冬に入る」といふ季節への思ひにもそれとなく身の構へが見へます。
 凡そ作者には嘆いたり淋しがったりする徒な感傷はありません。
 
誰も来ず一歩も出でず日短か  藤井和子
 掲句もまた、何の情緒もありません。「誰も来ず」、「一歩も出でず」、この反応する様な叙述、気丈と思ひます。そして「日短か」と、作者にも徒な感傷は皆無です。 

秋爽や肥後三賢女しのびつつ  松尾敦子
  詞書に中村汀女、安永蕗子、石牟礼道子とありますが、納得がゆきます。郷のお城の西に当る島崎町に三賢堂といふお堂があって、それは菊池武時、加藤清正、細川重賢の三人の賢人を記念する建物でした。この三賢堂へ遠足で行
つたのを思ひ出しました。一句はこの流れの三賢女でせうか。それとも作者自身の思ひでせうか。

 

 


主宰句を鑑賞する  2018年木枯号より

2018-12-03 21:05:22 | 

   炭山(やま)の日の記憶ふくらめ月見草  村中のぶを

 作者の経歴をよく識らない。けれどもこの句を読めば作者は炭鉱労働の経歴を持つ人であろうことが想像できる。夕暮れ時、月見草を見ていると遠い日の記憶がまざまざと甦って来るというのである。
 
炭鉱の敷地は広い。選炭場、貯炭場、貯水池等が広い敷地を埋めている。夏になれば敷地内のあちこちに月見草が咲くのであろう。「記憶ふくらめ」とはなんと切ない抒情であろうか。月見草は不二に似合う花と言ったのは太宰治であるが、炭鉱にこそ似合う花だとこの句を読んで思った。

  盆灯篭写真の父母と熊本城  仝

 盂蘭盆会で灯篭を灯してある部屋に父母の写真と熊本城の写真が飾ってある。熊本城の方は写真でなく絵かもしれないが、それは鑑賞の上ではどちらでもよい。作者は熊本市出身のお方で今は関東平野の一隅にお住まいである。この一事からも望郷の強さが思われる。

 上の写真は今年の中秋の名月である。復興なってクレーンが外されるのはまだまだ先になりそう。

 捌(は)け道のいまはままこのしりぬぐひ  仝 

 「ままこのしりぬぐひ」が面白い。
 ママコノシリヌグイは、タデ科イヌタデ属の1年草。トゲソバの別名がある。 和名は、この草の棘だらけの茎や葉から、憎い継子の尻をこの草で拭くという想像から来ている。( Wikipedia
 
捌け道というのは沢などの水が流れ下る道。または雨水がはけて行く道である。この植物は湿気を好むのではけ道の上が今は部厚い藪になっているというのである。

 葛の花釈超空の道として  仝

 釈超空の歌碑

 民俗学者折口信夫は大正時代に2度ほど調査のために対馬を訪れている。恐ろしく古い時代のことであるが、彼は歌人でもあり釈超空と称した。
 葛の花踏みしだかれて色あたらしこの山道を行きし人あり
 掲句はこの歌を踏まえている。私がこの歌に遭遇したのは高校時代の国語の教科書であった。強烈な衝撃をうけたことをはっきりと憶えている。

角堂人気なく秋の潮荒(あ)

再建された六角堂

 作者が潮荒る(うしおある)と表現するときその脳裏には当然3.11の津波の記憶がある。まだ風化していない生々しい痛みを伴う記憶である。
 景勝の地、北茨木市五浦(いづら)の岩礁の上に六角堂は建っていたが、3.11の大津波で流失した。この建物は岡倉天心が法隆寺夢殿を模して自ら設計したものと言われていた。今は再建なった六角堂が建っている。

 妙高市六角堂 (妙高市観光協会HPより) 

 岡倉天心の六角堂は妙高市赤倉温泉にもある。こちらは天心が最晩年を過ごした山荘跡に有志によって建てられた。  
  10年くらい前になるが、私はここを訪れた。写真なども撮ったのだが、パソコンの中深くに収まっていて今は取り出すこともできない。その時は訪れる人もない鄙びたところに六角堂が建っていた。


第1回 宗像夕野火顕彰俳句大会

2018-11-28 09:38:35 | 

 表題の俳句大会が来年3月23日(土)、多良木町交流会館「石倉」で開かれます。以下に投句要領を掲載しますので奮ってご応募ください。

この用紙上で右クリック「名前をつけて画像を保存」でパソコンに取り込みプリントして下さい。


俳誌「松」 木枯號 平成30年11月

2018-11-27 17:51:57 | 

主宰5句     村中のぶを

炭山(やま)の日の記憶ふくらめ月見草
盆灯篭写真の父母と熊本城
(は)け道のいまはままこのしりぬぐひ
葛の花釈超空の道として
六角堂人気なく秋の潮荒(あ)

松の実集
小鹿田焼 白石とも子
 この村の窯元十戸柿実る
 唐臼の陶土打つ音秋高し
 秋澄むや足蹴りろくろ動き出す
 薄紅葉村に新たな昇り窯
 大皿に野ぶだうを盛り商へり 

曼珠沙華 村中珠恵
 表紙絵に糸瓜を描き子規忌かな
 参道は鎮もり秋の深さかな
 秋蝉や親鸞ゆかりの寺なりし
 花すすきおん影ひそと女人佛
 曼珠沙華筑紫路のこと母のこと

国学者伊藤常足旧居

福岡県鞍手郡鞍手町

竹林に野分の名残り旧居訪ふ
町あげて旧居復元秋高し
竃辺に旧居の家訓身にぞ入む
奥津城へまたぐ小流れ石蕗の花
宮土俵使はぬままに落葉舞ふ

白糸の瀧 西村泰三

白糸の瀧

 瀧頭照りゐ小暗き木々の奥
 深呼吸大きく滝見お立ち岩
 吾を襲ふかに滝口を出て伸び来
 瀧へ槍刺すかに木漏れ日一条
 虹生るる瀧面へ日の差し初めて

 

雑詠選後に  村中のぶを

 

 山鹿燈籠千の灯の輪の揺るる海    伊織 信介

 「山鹿燈籠」とは、熊本、山鹿市の例年八月十五、十六日の、山鹿燈籠祭の事です。私も先年、祭に出合ひましたが、それは圧巻でした。その由来ですが、唯一、市から貰った散らしと、宗像夕野火編『火の国歳時記』 から引きますと次の通りです。
 第十二代景行天皇熊襲征伐の折、菊池川一体の濃霧に難渋されてゐるのを、里人は松明をかかげ天皇をお迎へしたといふ故事に始まり、十六日夜から翌朝にかけて行はれ、夜明し祭ともいはれる。午後七時半頃より山鹿大橋より天皇行在所だった大宮神社まで御神火行列があり、六〇〇年程前から紙細工で金燈籠を模したものを奉納するやうになり、祭りは燈籠を燈籠台に飾り付け、担いで奉納する(上り燈籠)行事と、市内の婦女子が頭に燈籠をいただき踊る(燈籠千人をどり)が町の広場で始まる。 以上ですが、それこそ街中、火の海、人の波になります。燈籠には人形燈籠、金銀燈籠、宮造など種類がありますが、いづれも全部紙製で、その精密さは郷土芸術としても重用されてゐます。
 掲句は次の「櫓巻く」の句と共に祭の全容を善くぞ詠みとつてゐると感じ入ります。特に揺るる海、揺るる闇、櫓巻く、の措辞に注目すべきでせう。
 わが家にその折の金燈籠人形を飾ってゐますが、その楚楚とした姿に (山鹿燈籠は骨なし燈籠ヨーヘーホー、ヨーヘーホーと哀愁に満ちた歌声が耳に残ってゐます。 

 常ならぬ酷暑鬼城の句さながら    向江八重子

「常ならぬ酷暑」とは、昨今の歴史的な暑さを叙して、「鬼城の句さながら」とは、村上鬼城の
  念力のゆるめば死める大暑かな
の句に因んでの措辞と思ってよいでせう。
 いきなり一句の内容から述べたのですが、この鬼城俳句の特色について、生と死の二面性があることは世に膾炙した評釈ですが、作者のさながらといふ措辞もまたその生死の事を暗に指してゐます。
 人生のある時、掲句のやうな思ひに至る日があるのですが、それにつけても格調の高い諷詠です。

 燕帰る他郷を知らぬわれを置き   小鮒 美江

 上州の風土に根付いて暮す作者独白の一句です。京極杷陽に(浅間嶺に眼凝らせば秋燕) などの例句が見えますが、「他郷を知らぬわれを置き」とは、何も遠くに眼を凝らさずとも、今、此処に在る自分を詠じて、自然への率直な思ひを吐露してゐます。それに口誦性を伴った句としても実に印象的です。
 
 裏妙義山(めうぎ)白竜めける霧疾風      細野佐和子

幻想的な旬です。それも「裏妙義山」といふ地勢が生きてゐます。奇岩怪石の山塊に妙義湖と呼ぶ人造湖が「霧疾風」を生む水面となり、「自竜めける」幻想が実感として想像出来ます。描写がまた活き活きとしてー。

 葛の風天地返しの小昼どき        竹下 和子

 掲旬、語句の引用、関連が面白いと思ひます。つまり「葛の風」とは葛の大葉が風に翻ってゐる様、「天地返し」は畑を掘り返して土の上下層を入れ替へる事、それは恰も自然も人も同じことをしてゐると、小昼をとり乍ら作者は眼前を興味深く眺めてゐる、その折の一句でせう。作者は奥球磨の人、真に風土に親しんでゐる人の詠句です。
 
 無言舘出でて目深に夏帽子      山岸 博子

 無言館

  作者は札幌在住、「無言館」は信州上田の地、遥々と訪れた作者にとって貴重な一句です。私も六年前同じ季節に訪ねました。
 無言館は知る人ぞ知る、コンクリート打ち放しの、十字架形をした小さな私設美術館で、館主は彼の水上勉さんのご子息、窪島誠一郎氏です。それも先の日中、太平洋戦争で没した画学生たち三十余名の遺作、遺品約三百点を展示した美術館です。
 
館内は終始無言で音もありません。一句の拝観し終って外に出て「目深に」とは、その敬虔さをこの上なく表出してゐます。「夏帽子」は黒でせうか。私も外に出てアカシアの花のしとしとと散ってゐるのを見て尚更言葉を失ってゐました。
 
 老い一人島の畑の唐辛子    中村千恵子

 遠くない日に博多湾の能古島を訪れた折、全く同じ光景に出合ひました。何するのでもなく老いた人が段畑の畦にひとり立って私達のバスを眺めてゐました。それが遠くなるまででした。掲旬では私の出合った同じ点景に「唐辛子」の赤い実が淋しく詠出されてゐますが、それはなにか今時の世相の一端を垣間見るやうな思ひに誘はれますが、これは私一人の飛躍した思ひでせうが!。

 法師蝉鳴きつぎ森をふくらます       高村美智子

 「森をふくらます」、率直な表現に一瞬違和感がありましたが面白いと思ひます。同時に飯田蛇第の (ひぐらしのこゑのつまづく午後三時)といふ句を思ひ出しましたが、共に即興的に成った句で、特に掲句について私には童話めいたイメージが有ります。