一日亭 二本木町17番 電話162番 女将 三浦じん子
熊本の地旗亭多けれども、最も古くして最も大なるものは、二本木遊廓内の一日亭本店と為す。一日亭といへるは、元熊本城内(今の予備病院の構内)に在りし、家老松井佐渡の別邸なりしが、明治4年廃藩置県の後、長崎生まれの緑屋栄造といへる者これを譲り受けて京町本町に移し、翁屋と称し初めて料理屋を営みしが、その後更に坪井の立町に移りて、旧称の一日亭を称へ、明治10年西南戦争にて、全市兵燹に罹りしとき、同亭もまた類焼し、戦い終はるの後、今の二本木町に遊廓を公許さるると同時に、同所に移り新たに巨屋を構へて盛んに営業し、引き続き今日に至れり。同亭は遊廓の内にあれども、境内広ければ喧噪ならず。開豁にして清雅なる後庭を控へて、大小十数の客室あり、その最も大なるものは多人数の集会に適し、小なるものは友朋三五浅酌するに妙に、別に数軒の離亭及び茶室あり、愛妓と真猫の楽しみもよからん。
慶(よろこぶ)亭 山崎町47番地 電話145番 主人 女将 三浦ゑい子
調理の美と包丁の翠とを以て有名なるものにして、客室は左まで多からねども、四五十人位は集会し得べき席もあり、孰れも瀟洒たる庭園に望み、清潔にして典雅なり。仲居も丸髷姿の中年増を選み、はしゃがざるも懇切に、そのもてなしの雅にして万事俗に陥らざるは粋人の最もよろこぶところなり。同亭は一日亭の支店なり。
静養軒 手取本町55番地 電話31番 女将 東せい子
当地第一流の旅館研谷支店に隣し、広大なる庭園を有せるはこの料亭なり。同所は元当藩の門閥家、俗に長塀有吉といへる旧邸なりしを以て、庭園甚だ広くして幽雅に、一方はこんもりとして昼なほ小暗き老樹を以て蔽はれ、中に大なる蓮池あり。池を還りて所々に小亭を構へ、本館また集会席、西洋室其他数室を有す。料理は和洋両種とも客の需めに応じ孰れも美味に、殊に西洋料理は当地においては此処に優るものなし。
三 浦 春日町799番地 電話 特長20番838番 女将 三浦やす子
万事東京風の翠をこらして、凝りた料理を食わせるなり。客室も東京風の廊下風にしつらへ、床の懸幅や置物から食器類まで凝りに凝りて客をしてアツと言わはせんば止まず。庭園も坪井川の碧流に望み枕みて閑雅にして、諸般の設備大いに風流紳士に適し、門前車馬の響き絶たず。
一 休 京町2丁目132番地 電話158番 女将 森しげ子
開業日猶浅しと雖も、眺望の絶佳なると、土地の閑静なると、包丁の美なるとを以て次第に盛名を博せり。地は京町の高台に在るを以て望界甚だ広く、居ながらにして遠くはあその噴火より近くは竜田の翠色坪井の万甕を眸裏に収め、眺望の佳なる此の楼に及ぶものなし。女将は西券でならした芸娼お繁といふ女宰相なり。得意料理は木の芽田楽。
京常楼 山崎町20番地 電話139番 主人 山下常次郎
熊本税務署の向ふに在り。主人京都の人にして、明治23.4ねん頃沖縄より来たりて、草葉町に料理を営み次第に隆盛に赴けるを以て、今の所に店構へしたるなり。主人自ら包丁を執り一意薄利を旨とし、諸事軽便を以て客を喜ばす。
八百九(やおく) 塩屋町10番地 電話163番 店主 、富森金三郎
市内中流の旗亭にして、粋客の眷顧最も多く、京常と相若くものを八百九と為す。主人京都人にして、主人自ら調理に従ひ、只管客を喜ばんことを勉め、万事簡便を以て主義となせり。同亭は元西京において精進料理を営み知恩院、西本願寺等の御用を達せし縁故あれば、この度の清正公三百年祭には、本妙寺における客賄ひ一切を引き受けしめられたりといふ。
開陽亭 洗馬下1丁目4番地 電話68番 主人 丸尾政次郎
洗馬橋に臨み清洒なる料亭にして、緑聲肉聲常に河をわたりて聞へ春夏の候最も宜し。同亭は元西岸寺町に初めて開業し、西洋料理を専門とせしが、其の後明十橋に移りて、傍ら日本料理の求めにも応じお手軽一方に勉強したれば客足日夜に繁く、遂に今のところに改築移転す。
梅 園 洗馬町下1丁目7番地 電話113番 主人 森谷平助
当地第1の旅館研屋本店に隣し開陽亭の下45軒目に在り。市塵を避けて静かなる客室を有し、歓談に宜しく、暖酌に宜し。春雨蕭々たるの時妓を擁して一杯を傾けんか、雨聲絲音と相和してまた別種の興味あらん。
山海軒 船場町下48番地 電話135番 主人 楢崎傳次郎
元都亭と称し当所有数の亭なりしが、その後幾度か主を易へ現主人の経営となれり。楼上の眺望は阿蘇の噴煙を望み快豁なり。
幸 軒 山崎町8番地 電話624番 主人 楢崎傳次郎
山海軒の支店なり。閑雅なる庭と客室を有す。慶亭と後輩向ひに隣す。
若松屋 船場町下1丁目32番地 電話335番 女将 古江ねの子
開陽亭と斜めに相対し、別に練兵町にも客の出入り口を設ける。
岡崎家 仲間町 主人 岡崎米八
お手軽迅速を旨とし紳士にも学生にも適せる。愛子称する看板娘、客の間を周旋する。玉突き場の設けあり。
金 庄 紺屋町3丁目14番地 電話419番 女将 本田ねい子
こじんまりとしたる料亭にて、先ず二次会的と言ふべきか。弦歌喧噪を厭ふ粋客に人気。
魚 茂 鷹匠町37番地 電話363番 主人 内野茂三郎
元下通町にありて、生魚商を営み傍ら料理仕出しを業とせしが、その後今の所に移りて料理屋となし、依然仕出しにも応ずることにせしに、主人自ら材料の仕入れ料理の調進に勉め専ら軽便を旨とし、手軽と直安とによりて店運メキメキ隆盛に赴き、今は当地第1の大客室を有するに至り百2百の大集会も何なく為し得たり。
南山楼 水道町36番地 電話350番 主人 佐村利一郎
熊本市警察署前にあれども、客の出入り口は別にその横町一本竹町に設けあり。ここも魚茂と同じく手軽料理をもって名あり。県庁、市役所その他の諸官衙に近く、またこの度開催の藤公記念共進会、教育品展覧会も手近なれば、会期中の繁栄思ひやらるるなり。
キリン亭 山崎新市街記念碑通 電話673番 主人 永田陽八
熊本におけるビヤーホールの開祖はカブトビヤホールと称せしが今般現主人が引き継ぎ名を改名したるものなり。
吉野屋 塩屋町裏2番丁13番地 電話317番 主人 米崎中吉
明十橋通りにありて手軽一方を以て鳴り、仕出しをも為す。地取引所に近きを以て同所に立ち寄る者はすべて同店にてにて食をとれり。其の低廉なることは他に比類なし。
鈴 屋 高麗門裏町15番地電話38番の甲女将鈴木多壽子
新町3丁目青物市場の近傍にありて旅館なりしが、中頃席貸業に転じ、更に料理屋に改めたるものなり。
桃中軒 山崎新市街桜町 主人 森角菊平
主人、浪曲師桃中軒雲右衛門の芸風を愛し遂に屋号となす。坪井川に添へるを以て夏時は河上に屋形船を浮かべて客室と為し納涼の便あり。
光島屋 山崎新市街桜町78番地 電話654番 主人光 嶋勝平
桃中軒と軒を並べ同じく手軽料理にて聞ゆ。
石 倉 新町3丁目45番地 電話175番 女将 石倉としの子
熊本の地はいかなる原因ありてか、待合の長続きせざる所なり。従来幾度か起こりて或いは倒れ或いは料亭に変じ、今日にいたるまで盛況を保てるものは独り石倉あるのみ。女将としの子は久しく馬韓大吉楼にありて貴顕紳士に接し、客の応対待遇にかけては、天晴れ場数を踏みし手練の者なれば粋客の雲集するも故あり。
舞 鶴 二本木町38番戸 主人 森 軍次
廊中の大旗亭一日亭本店の向かいにあり。台物屋中料理美味を以て称せら、殊に鮓飯及び親子丼のごときは熊本第1といふ。